2021.10.29
「子育て=集団の担い手育成」と捉え直してみると、いろんな可能性が見えてくる
前回までの記事で、縄文・江戸時代の「子育て」を探る中で、「子育て」とは
①常に集団の中に存在していたこと。
②常に生産活動(仕事の場)の中に存在していたこと。
の二つの可能性が見えてきました。
そして、本来「子育て」とは、生産集団の中で全ての課題(仕事)と繋がった、集団みんなで取り組んでいた課題であり、みんなの期待が詰まった「集団の担い手育成」だったということが分かってきました。
~「共同養育」をもっと知りたい!~
私たちが「子育て」と聞いて頭の中に描くイメージとはまさに真逆ですよね。
「仕事の場」と「子育ての場」が一体!?集団みんなで取り組むってどういうこと??ってなりませんか。
でも実は、私たちが直面している子育ての環境(仕事とは切り離された核家族単位)の方こそ、歴史的にも自然の摂理からしても不自然な状態なのです。そもそも私達人類は単独で子育てする動物ではないのです。
人類はそもそもみんなで子育てをするようにできている。
過去~現在まで、集団や仕事の場面でこそ活力溢れる子供たちが育まれている事例は沢山あります。
◆集団みんなの期待があるからこそ、
子供達に「みんなと一体化したい欠乏」が育まれる。
村共同体を守れる男を皆で育てる「若者組」に学ぶ
寺子屋の教育力(現実から学ぶ・人間力を培う・共同体で育つ)
異年齢の集団の中で揉まれることで、自ら集団を担っていく人材になりたいという欠乏が育まれるのです。
親の期待だけしか存在しない現代の家庭環境と比べるとどうでしょうか?
◆現実の圧力に向き合った生産(仕事)課題の中でこそ、
「未知を掴みたいという追求心」が育まれる
富山県の「14歳の挑戦」が示す可能性~仕事収束は加速していく
~本気でこどもに期待する職場体験~
強制されて嫌々勉強するより社会の現実課題に答えを出す仕事(未知追求)の方が断然ヤル気もUP。
答えが用意された問題ばかりで現実の圧力に背を向けた現代の学校環境と比べるとどうでしょうか?
◆生産を共にする集団・仲間との関係性の中でこそ
「役に立ちたいという主体性」が育まれる。
3か月、実際に働いて分かったこと
江戸時代の子どもは「子供同士で本気で遊び」「大人と本気で遊び」それが教育だった
大人も子供も一緒に課題に取組む環境でこそ、受身ではなく自ら役に立ちたいという主体性が育まれる。
20歳前後まで子供扱いされる現代の家庭や学校環境の状況とは大きく異なります。
これら「一体になりたい」「もっと追求したい」「仲間の役に立ちたい」といった社会で生きていくために必要な力(=集団の担い手になる力)は、親なら誰もが子供に期待していることではないでしょうか?
そして本当にこれらの力を育成していこうとすれば、核家族や学校という生産と切り離された集団ではなく、生産を担う集団(例えば企業)の中にこそ実現基盤や可能性があるのではないでしょうか?
「子育て=集団の担い手育成」と捉え直してみると、子供達にとっても親達にとっても、一人で抱えることはない、みんなが見守ってくれているんだ。という大きな可能性も見えてきます。家庭や学校を超えて、大人から子供まで一体で生産課題(仕事)に向き合える環境へと子育ての場を広げていきたいですね。
次回からは、生産集団の中で活力を再生していく子供達や、安心基盤を生み出そうとしていく親達の事例をさらに紹介しながら、「子育て=集団の担い手育成」の可能性を掘り下げていきたいと思います。
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2021.10.22
[コラム]産後の不安は体にセットされた祖先からのメッセージ~「共同養育」をもっと知りたい!~
こんにちは!今回はコラムです(^^♪
前回まで、長く続いて安定していた時代の子育てはどういうものだったのか?という視点で、ブログを書いてきました。
〇 縄文時代の「共同養育」に学ぶ。人類は共同で保育するようにできている
〇【集団再生のカギを探る】江戸時代の子育てに学ぶ③~江戸時代は、生産単位(職場)が家族~
やっぱり共通しているのは「共同で子育てしている」という所。
感覚的にですが、一人で育てるよりも、共同で=集団の中で育てた方が子どもたちも自分たちも充たされる感じがしますよね。
実はこの「共同で子育てする」というのは生命の原理に則った生き方なんです✨
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2021.10.20
縄文時代の暮らしは、子育ても生死も全てが自然との一体化の上で成り立っている!
前回の記事では、縄文時代の子育ては、集落の子どもとして全員で育てていく「共同養育」という新しい集団の形であることを取り上げました!
今回は、「歴史に学ぶシリーズ」の縄文時代の子育てに学ぶ第2弾として、過酷な自然外圧の中での縄文時代の人々の暮らしや子育てを紹介し、その中での老人の役割についてお話しします!
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■縄文人の暮らし~自然との一体化~
縄文時代は、食糧を狩猟採取しているため四六時中食物を探し求めていた、という風にイメージすると思いますが…
実は、縄文時代はほとんどの地域で、豊富な食物があったと言われています!
これは、縄文人が自然を受け入れ、自然と一体となることで、時間の流れを把握することが出来たことが影響しています。なぜ縄文人が自然と一体化することが出来たのかについては、建設されたモニュメントや道具が自然エネルギーの象形化であり、時計としての役割もあったことから推測できます。(https://intojapanwaraku.com/culture/18809/)
そして、季節に合わせて効率よく獲得することが出来るようになったことでこれまでの遊動的な生活に代わり、定住生活を行う事が可能になりました。
縄文人の生活カレンダー
(山岸良二著『考古学のわかる本』87頁より)
■自然との一体化を高めた老人は村の羅針盤!
自然との一体化により食糧は比較的容易に確保できるようになりましたが、自然は恵みを与えてくれるものであると同時に、大雨や土砂崩れ、雷などの災害をもたらすものとして恐れられていました。
いつ災害が起こるか分からない自然外圧の前では生死は常に死と隣り合わせであり、集落の存続は村の第一課題でした。
そのため、集落の存続には、自然現象から次どんなことが起こるかを予想する能力=自然との同化力が必要となり、村でその能力を持っていたのが老人であると考えられます。
老人の役割は、男は祈祷師、天候の予測、災害発生の予測、食料のありかの把握など、女は、助産師、子育て、全員の健康状態の把握などであり、自然との一体化=知能部分が高い老人だからこそ、村の第一課題(村の存続、子育て)を担う村の羅針盤となりました。
■老人から子どもへ世代を超えた伝承
老人から子どもへ伝承されていたことは自然との一体化した老人たちにしかできないものでした。
縄文人に近いアイヌの子ども達は、
男子:漁猟の方法,弓矢や罠を作る方法,地形の形状と名称を学んだ後は,毒矢の製造法,器物の製作法,彫刻を習い,最終的に信仰するカムイの名や祈祷に用いるイナウ(弊)の作り方,祈祷文,儀式の進行,古来の伝説などを修めた。
女子:木皮より織物を作る方法,刺繍,料理,子育ての方法,舞踏,死人のための泣哭の仕方,分身の技術,男子に対する礼儀
などを学んでいたと言われています。子どもたちは、集団での遊びや老人からの伝承のなかで、自然と大人になるために必要な教養だけでなく、自然とともに生き抜く知恵を学びました。
■集団では、一人一人が役割があるからこそ存在している!
縄文時代の老人たちによる子育てを紹介しましたが、核家族の誕生によりこうした伝統的な教えを知る機会がなくなり、現代は、子育てに関して導く人がいなくなってしまいました。
社会情勢の変化により収束軸が失われてしまった家庭から、新たな活力源を探索し始めた現在、数千年も反映した縄文時代を「ただの歴史」として捉えるのではなく、私たちの先人たちがなぜ活力のある家族集団を築き、子育て環境を行うことが出来ていたのか学んでいきましょう!
前回までの追求はこちら
- 【集団再生のカギを探る】江戸時代の子育てに学ぶ①~子育ての目的は?~
- 【集団再生のカギを探る】江戸時代の子育てに学ぶ②~社会に適応できる人を育む~
- 【集団再生のカギを探る】江戸時代の子育てに学ぶ③~江戸時代は、生産単位(職場)が家族~
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2021.10.14
縄文時代の「共同養育」に学ぶ。人類は共同で保育するようにできている
今回は、縄文時代の子育てから。
実は縄文は、1万3,000年以上も穏やかな時代が続いた超安定期です。そんな時代の子育てに現代の可能性を発掘します。
縄文人たちの暮らしを描いた想像図
そもそも結婚の形から今とは全く異なります。縄文時代の婚姻様式は、総遇婚(複数の兄弟姉妹集団間の集団婚)。
その後、弥生時代以降も男が女集団に入る妻問い婚にはなりましたが、その後江戸時代まで女は母集団の中に残り、集団の充足に包まれた中で集団と女たちは一生暮らすことができた。だからこそ、女が家庭(集団)で「孤立化」することはなかったのです。
実はこれは、人類の祖先の哺乳類の集団形態とも近い、生物進化の原理に則った形と言えるのです。
(詳しくは:哺乳類の集団形態③~哺乳類はなぜ母系集団なのか?~ )
参考)
〇日本人が最も幸せであった縄文時代―妻問い婚による母系集団同士が密接につながっていた平和な連帯社会
〇日本史を学ぶなら「縄文」からがおススメ~第6回「性は秘めるものではない、開くもの、皆で共有するものだった」
■親以外のたくさんの人が子育てに関わる「共同養育」
農耕が始まる前、世界の多くの狩猟社会では、自分の子供だけに目をかけるのではなく、部落の大人たち全てが、全ての子供を「自分の子」のように育てるのです。
これは、①複数の養い手がいることで、子供が大人になるまで生き残れる確率をあげるという利点があり、
また②女性が複数の男性と交わることで優秀な精子が選ばれるので、生物学的にも理にかなっています。
では具体的に縄文時代の子育てがどんなものだったのか。それについては、明確な文献はあまり見つけられませんでした。(あれば教えて下さい。)
そこで、縄文時代の生活ぶりに近いと思われる現生狩猟採集民(先住民族)を見てみます。その多くが「共同養育(アロペアレンティング)」という形で、親だけが子育てに関わるということはほとんどないようです。
例えば、生後3ヶ月の赤ちゃんを残して森に仕事をしに行く。別の女性が育児や授乳を行う。子を他人に任せるのは動物の中でも人間だけ。共同で養育するという独自の子育て術を編み出したのが人類。人間は、「共同養育」の仕組みを進化の過程で作り上げてきたということです。
いくつか事例をご紹介します。
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2021.10.13
【集団再生のカギを探る】江戸時代の子育てに学ぶ③~江戸時代は、生産単位(職場)が家族~
江戸時代の子育てに学ぶシリーズ③をお届けします。
今回は、「家族」という単位の在り方についてです。本ブログでも追求してきた通り、現代の家族と言えば、核家族がその多くを占めています。これまでの記事では、その核家族における問題事象を明らかにしてきました。
監視カメラ、GPS、SNSチェック…こんなにも子供への監視圧力が強まってきている~
家庭(集団)崩壊の危機⇒既存の家庭像にしがみつくのか?新たな集団の可能性探索に向かうのか?~
家族という単位に可能性はないのか。今回は、【江戸時代の家族の在り方】に学び、可能性を見出していきます。
江戸時代では、何が大切にされたのか。そして、どうやって子育てをしていたのでしょうか。
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2021.10.06
【集団再生のカギを探る】江戸時代の子育てに学ぶ②~社会に適応できる人を育む~
それでは引き続き、江戸時代の子育てに学ぶシリーズ②をお届けします。
「子供たちの幸福度が高かった」と言われる江戸時代ですが、子供たちがわがままを言ったり、好き放題だったわけではありませんでした。むしろ幼いうちから「悪」を戒めていたと言います。
今日は、江戸時代の子育てのバイブルと言われていた『養育往来』より学びます。
現代人は子供への愛情をはき違えている?
江戸時代の追求をされているhttps://ure.pia.co.jp/articles/-/47348?page=2(著:hapimamaさん)の記事を引用させて頂きます。
『養育往来』より
「一切の所作・挙働・衣食・言語に至るまで、一言の善き言を聞かず、一毛の佳き事を観ず、気随・気侭を佳しと為て(して)、正しき行いを知らしめざるが故に、其の風俗、常の癖と成り、しかも生涯を愆(あやま)つ者なり。
嗚呼、是をなんぞ子を愛すと云うべけんや。
悉皆(しっかい)我が子に害を加うる而己(のみ)。是を名づけて曲愛と曰うなり。」【訳】
愛情のあまり、自分の子を賢いと錯覚し、悪あがきすればしっかり者と思い、人に勝つことが好きなら「強い」と誉め、嘘をついて人をだませば「知恵がある」「賢い」などと誉める。また、“子どものためを思って”いつも子どもが喜ぶような美服を与え、三度の食事に親の食事よりも美味しい物を与え、小銭をやって好き放題に買い食いさせる…。そういったことは「曲愛」にあたり、後々の子どものためにならないといいます。
子どもを養いながら人の道を教えない、また教えてはいても厳しくしないのは、愛情をはき違えており、子どもを愛していることにはならない。“本当の愛”とは、ときに厳しさを持って、人としての正しい道を教えることなのだ、と説いています。モノがあふれる現代、常に物質的な充足を与えて子どもを喜ばせることが、子どものためになるとは限らないのかも…と深く考えさせられます。
引用終わり
つい最近、るいネットでも投稿がありましたが、まさに「褒める教育」は本当に根拠があるのか?
耳の痛い話ですが、日常的に子どもの反応を伺って、目の前のご機嫌取りばかりしてしまうのでは、一時の充足は与えられても、子育てにおいて目指していきたい方向性には沿いません。子育てで重要なことは、「生きる道」を示すこと。社会に適応できる人を育むことです。
そのためには、本当に社会で求められる力は何なのか?ということを、お父さんやお母さんご自身が掴み体現していく中でしか、子どもたちを育んでいけないのかもしれません。私たちも、背筋が伸びる思いで、江戸に学ぶ機会となりました。
さて、江戸に学ぶシリーズは次回も続きます。どうぞご期待ください♪
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2021.10.06
【集団再生のカギを探る】江戸時代の子育てに学ぶ①~子育ての目的は?~
核家族という枠組み。そして、親の監視圧力が、子どもの意欲・活力を衰弱させている現代。前回までの記事で、その問題事象が浮きぼりとなり、また、それぞれの家族だけの課題ではない、みんなに共通の普遍的な課題であることが明らかとなりました。
よって、「家庭と子育てどうする?」を追求する際のスタンスとして重要なのは、個別性を重視して全体を見失わないこと、個別の現象に囚われ普遍構造を否定しないことです。
例えば、子どもに対する親のつきまとい・強制・支配など、それぞれの家庭で監視圧力の程度の差はあれど、現在の家庭からは生産課題が抜け落ち、消費の場のみで成立していることは、ほとんどの家庭の共通構造です。
また、「ウチの家庭は子どもも元気だし大丈夫」、「明るく・褒める。を重視して子どもに接しているから大丈夫」という個別の問題でもなく、核家族=子育て機能を失っている家庭環境・親による管理・支配という構造そのものが、子どもたちの意欲・活力を衰弱させていることを直視することが重要です。
そのような状況であっても、「家庭と子育て」の場・体制・仕組みを、現代の家族構成や法制度の現実をふまえてどうする?どうしていけば可能性が開かれるか?を追求することが私たちの使命であり、活力を再生する実現基盤を発掘するまで追求を深めていきたいと思っています。
普遍的な構造を扱うため、時代状況に応じて人々の意識がどのように変容してきたのか、家庭環境や子育てに対する親の意識・行動はどのように変化してきたのか。再生のヒントを探るためにも歴史に遡って実現基盤を探っていきましょう。
■「歴史に学ぶシリーズ」!
まずは豊かで活力のある時代を築いてきた「江戸時代」に学んでいきます!
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2021.10.01
家庭(集団)崩壊の危機⇒既存の家庭像にしがみつくのか?新たな集団の可能性探索に向かうのか?
誰もが直面している「家庭と子育てどうする?」をテーマに、問題事象を整理していくと、現代の家庭は、親も子も悩みやストレスを抱え、集団として充足や活力を生み出せていない=機能不全を起こしていることが見えてきました。
◆【データで見る現代の家庭①】結婚しても3組に1組は離婚する時代
◆【データで見る現代の家庭②】激増する家庭内問題(DV・児童虐待・自殺やうつ)
◆監視カメラ、GPS、SNSチェック…こんなにも子供への監視圧力が強まってきている
改めて、時代状況と家庭の存在理由、活力の変化などを整理してみると、
【家庭崩壊(結集軸の喪失)】
◆戦後~60年代:社会全体が貧困の圧力からの克服を課題として、国も企業も家庭も私権統合されており、親も子も私権獲得の目的が一致していた。またその逃避先として性も娯楽も盛んだった。
◆70年代から80年代:豊かさを実現(私権圧力が衰弱)すると家庭から生産課題が消えていき、娯楽収束。バブル景気も重なり家庭はますます消費の場へと化していく。(核家族化の進行、マイホーム主義)
◆90年代から00年代:バブルがはじけ、世の中では私権エリートとされた企業の破綻が続き(私権の終焉)、今までの浮かれた状況から一気に先が見えない時代に突入。豊かさ追求も娯楽追求も無くなり家族の収束軸が喪失。(離婚率や未婚晩婚化の増大、セックスレス、家庭内トラブル多発。)
◆10年以降:私権の終焉で収束軸を失った家庭に残る唯一の課題となった子育てに異常なエネルギーが注がれ、子供たちは大きなストレスを抱え、家庭から充足や活力がますます消えて崩壊寸前。
戦後~現代までの間にも「家庭と子育て」の状況はずいぶんと変化していますが、重要なポイントは私権で統合できなくなったとたん、生産課題、解脱課題、生殖課題と次々に収束軸が喪失し、集団崩壊の危機を迎えてしまったという点。しかも根底の社会構造の変化に起因している以上、これは個別の事象ではなく誰もが直面している問題であるとの認識が必要です。(だから私の家庭だけなのでは?と閉じこもる必要はないのです)
では、家庭(集団)崩壊の危機を前に私たちはどうしていけば良いのか?
- 集団と距離を置き引き籠る?(ひきこもり、ニートなど・・)
- 何とか既存の集団を維持するために無理やり結集軸にしがみつく?(現代の異常な子育て課題)
- 充足や活力のある新しい集団の形=可能性を柔軟に探索していく?
集団の中での充足こそが活力源となる我々人類は、やはり新たな集団の在り方の可能性探索が必要!!
家庭の収束軸が構造的に失われてしまった以上、現代の価値観の枠に囚われず、歴史に学ぶことが重要。私達の先人達は、数千年も反映した縄文時代や、数百年続いた江戸時代など、豊かで活力のある時代を築いてきた歴史があります。当時彼らは、どのような家庭を築き、どのような環境で子育てをおこなっていたのか?次回からは、そこに学び、家庭を「充足・活力を生み出す場」として再生するヒントを探っていきたいと思います。
そして、その新たな可能性の探索自体を、聖域化した家庭や世代ギャップを超えて、一緒に考える場をつくっていくだけでも、「家庭と子育て」の新たな可能性が広がっていくのではないでしょうか。
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2021.09.28
【コラム】世代別に見る社会情勢と社会の捉え方の違い②~1990年、1995年生まれの場合は?~
前回に引き続き、【コラム】世代別に見る社会情勢と社会の捉え方の違いの後半です!
今の子育ての問題は、家庭ごとの個別課題ではなく、社会情勢や親からの育てられ方に影響しているということを前回の記事でご紹介しましたが、今回はこれから子育てをしていく30代前半~20代後半のメンバーの意識についてご紹介したいと思います!
①で取り上げた世代とは異なり、社会に対して不整合を感じている世代のように思います!
③ 1989年(平成元年)生まれYさん
「1989年に生まれて、物心ついたころにはバブル経済も崩壊し、社会全体に閉塞感を感じていたな。」
「社会が暗い空気の中で、元気がないサラリーマンみたいな大人になりたくないと思っていたよ。」
「中学生の頃の2001年の小泉フィーバーでは何か変わるんじゃないかと期待もしたけど、その閉塞感は何も変わらず。大学卒業の頃の2011年東日本大震災で、高学歴の官僚ですら答えを出せない現実や足の引張り合いを当時目の当たりにしたんだ」。
「学歴無意味・政治では社会は変わらないという感覚になったな。自分たちで答えを創らなきゃと燃えてくるものがあったね!」
→どうやって生き抜くかを探索し、社会が変わっていくのではないかという変革期待を持っていた世代。しかし、一向によくならない社会を目の当たりにして、学歴は全く通用しないことを確信した世代です。
この世代の親は私権圧力、学歴社会を経験した時代であったために、親からの勉強圧力は強かったと思われます!(当人は、放任の親だったみたいですが 笑)
④1994年(平成6年)生まれM(この記事の書き手)
「私は、生まれてから高校までずっと九州の地方に住んでいて、正直あまり社会に対して関心がなく、親からも勉強を強制されることはなかった。」
「高校生のころ、2011年東日本大震災が起こったとき、なかなか復興しないことに対して違和感を覚えたが、それでも自分事としては捉えられていなかったと思います。」
「ただ、大学生のころに2016年熊本地震で自ら地震を経験し、現地調査にも行ったことで、社会に目を向けるようになり、このままではやばいと思い始めました。」
→私は、地方出身ですが大学や社会人で様々な出身の人と話すと親からの勉強圧力がまだ強い家庭が多く、女性も社会に出て活躍したいと思っているため、子どもは欲しいけど、結婚しても働き続けたいと思っている人が多いと感じます!
_______________________________
コラム①②を通して、メンバーとの会話の中から、当時の社会状況の動きを受けた人々の意識が、家庭や子育てに対する考え方にもダイレクトに反映されることが分かりました!
また、現在問題になっていることは、各家庭の個別の問題というよりも社会の動きの方が影響が大きいからこそ、1970年前後から現代までの子育てに対する意識の変化を社会の動きと併せて分析していくことで、現代の家庭は何が問題なのか、この問題を解決するためには何が必要なのか、その可能性を探っていきます!
前回までの追求はこちら
【データで見る現代の家庭①】結婚しても3組に1組は離婚する時代
【データで見る現代の家庭②】激増する家庭内問題(DV・児童虐待・自殺やうつ)
監視カメラ、GPS、SNSチェック…こんなにも子供への監視圧力が強まってきている(>_<)
家庭(集団)崩壊の危機⇒既存の家庭像にしがみつくのか?新たな集団の可能性探索に向かうのか?
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2021.09.25
【コラム】世代別に見る社会情勢と社会の捉え方の違い①~1970年と1980年代~
本ブログでは、「家庭と子育てどうする?」を日々追求しています。
ブログメンバーは、1970年前半〜1990年前半生まれで、上は50代から下は20代まで幅広い世代のメンバーで編成されています(この記事を書いたのは1994年生まれです)。そのメンバーで会話していくと、世代ごとにある社会情勢や意識潮流の違いが現代家庭の問題(育児放棄、虐待、執拗な監視)のヒントになりそうだなと思ったので、今回はコラムとして、メンバーの発言を取り上げながら、追求の空気感を2回にわたってご紹介します!
■世代別社会情勢と社会に対する捉え方
① 1970年生まれTさん
「私は、貧困が消滅し私権圧力の衰弱から家庭に収束してきたいわゆる「マイホーム主義」と呼ばれた時代の家庭で育った。」
「高校を卒業した1989年頃には年号が「平成」となり、バブル真っただ中で大学はレジャーランド化、授業の出席率は低く、サークル、バイト、海外旅行と“娯楽”に収束した学生時代を過ごしたよ。」
「就職でも1つ2つ上の先輩たちが企業から接待されている売り手市場を見てきたけど、1992~1994年にはバブル崩壊を受けて一気に就職氷河期になってしまい、さらに後輩たちはロスジェネ世代と言われる超氷河期に突入、先の見えない不安が大きかったんだ。」
→バブル経済が崩壊し先が見えないなかで不安を抱え、「手に職をつける」「学歴が必要」という意識が強くなってきて子どもに対しても安定した仕事に就くように子育てをするようになったのかもしれない。
ただし、この時代の子どもが今20代で私の親もこの世代にあたるが、バブル世代の頃の娯楽を知っているので、いい大学に行くことが全てではなく、遊びも必要だと思っているように感じる。
② 1980年生まれMさん
「6歳から10歳くらいまではバブル期で絶好調だった社会が、中学生になる頃にバブル崩壊、1994年には地下鉄サリン事件も起こるなど、社会全体に不穏な空気が流れていると感じていたよ。」
「高校時代になると山一証券が倒産(1997)し、友人のお父さんがサラリーマンからコンビニ経営になるなどこれまでの「一流」「いい大学」「いい会社」に対する疑問が湧いてきた。」
「大学時代も、9.11アメリカ同時多発テロ(2001)で第3次世界大戦がはじまるのではないかというマスコミの深層不安への煽りや2002年の年金破綻をきっかけに国も信じられないと感じていたかな。」
→これまでの当たり前が通用しない時代が来たことは感じていたが、どうしていいか分からずにいた世代であり、若者の意識は次第に課題収束、仕事収束となっていった。(就職時に老後の心配をする人も多かったみたいです!)
この世代の子どもが今は小学生くらいで、大学の授業にも出席するようになった真面目な親が多く、子育てに対しても自分でやらなきゃという意識が強いのではないでしょうか。
ここまでの話から、人々の意識潮流は、生まれた当時の社会的な出来事だけではなく、どの世代の親に育てられたが大きく影響していることが分かるのではないでしょうか!
1990年代以降に生まれた世代の意識は後半に続きます!
前回までの追求はこちら
【データで見る現代の家庭①】結婚しても3組に1組は離婚する時代
【データで見る現代の家庭②】激増する家庭内問題(DV・児童虐待・自殺やうつ)
監視カメラ、GPS、SNSチェック…こんなにも子供への監視圧力が強まってきている(>_<)
家庭(集団)崩壊の危機⇒既存の家庭像にしがみつくのか?新たな集団の可能性探索に向かうのか?
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