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2023年02月18日

今どきの中学受験事情にみる意識潮流

今回は「中学受験」について。
制度自体は昔からあったものですが、その中身:中でも子供に受けさせようとする親の意識は、少なくとも一昔前(’80年代)のイメージにあった「エリート(になりたい)意識」からは大きく様変わりしてきているような。
今回は、そうした思いから気になり手に取った書籍の内容を通じて、考察を深めてみたいと思います。

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参考書籍(「なぜ中学受験するのか?」光文社新書)によれば、中学受験の意義は「非認知能力の獲得」にあり、それは以下2段階で得られると説いています。

➀中学受験勉強の日々での様々な葛藤は”親子の大冒険”
➁多感な時期を高校受験で犠牲にせず、豊かな思春期を大いに葛藤しながら過ごすことで人間的成長が図られる

ちなみに非認知能力とは認知能力(≒知識)の対義語で、日本では’18年頃から盛んに取り上げられるようになった言葉です。言い換えるならば「思考力・判断力・表現力」「学びに向かう力」「人間性」など。*日本生涯学習総合研究所:「非認知能力について」

書籍では、’03年SSH(スーパーサイエンスハイスクール)推進/’11年新学習指導要綱/’13年国際バカロレア導入/’21年指導要綱刷新…と、政府(文科省)の施策に呼応するかのように中学受験層が増えている年表が示されています。
加えて注目されるのは、それら施策が打ち出される手前の時期には、エリート層の代表格である官僚職の限界が露わとなった事象が起きているということ。
旧来型教育へのアンチテーゼをもって、「本物の教育(とは何か?)」という追求心が、中学受験層の意識の底流に働いているのは確かだろうと思います。

・官僚の腐敗構造~その本質は受検脳による思考停止と内閣による人事制度
・偏差値教育で加速、学歴エリートの傲慢さと驕り

科挙に準じたごときキャリア試験制度は、貧困の圧力が社会を覆っていた時代の残債でしかない。貧困の圧力が消滅した今や、全く人々のためにならない選抜制度である。だから人の心や時代の意識潮流が読めない

*ちなみに書籍では、既存の公立中学校に対して、その大多数がサラリーマン化しているのではないか≒探究心を育む教育環境・教育理念、それら土壌が培われにくい構造にあるのではないか、と疑問を投げかけています。

 

一方で、➀に挙げた”親子の大冒険”という強調の仕方には、少し引っ掛かるところもありました。なぜ”大冒険”などというような表現の仕方をするのだろうと。

ただ、高度成長期以降、家庭の在りようの変遷をみていくと、腑に落ちるところもあります。
農村から都市へ。戦後から現在に至るまで、急速に進んできた核家族化によって家族は生産課題を失っていきました。にも関わらず”家族第一”に収束しようとする矛盾を、「中学受験」という課題をもって穴埋めしようとする意識が働いているのではないか。

・誰もが直面している「家庭と子育てどうする?」

生産課題が切りはなされ、子育てのみが残った現代の家庭においては、真っ当な子育てはできず、家庭への求心力も弱まっています。これは、現代の全ての家庭が直面している課題です。

 

…以上、このテーマは中々奥深く、追求の切り口も様々浮かんできます。
・こうした意識潮流は、中学・高校側にどのような変化を与えているか
・高校受験という制度は世界的に見て珍しいらしい。なぜ日本で根付いたのか
・なぜ、”家族第一”の意識が強まるのか
・思春期と非認知能力の育成はどうつながっているのか

などなど、引き続き追求を楽しみたいと思います。

投稿者 negi : 2023年02月18日 List   

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