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2023年02月14日
映画の早送りに見られる『コスパ意識』と能力の関係
映画を倍速で見る人が、若者にかかわらず増えている・・・。
ついつい、私たちも部下や若者に長々・クドクドと一方的に話をしてしまうことがありますが、反応や表情を見ていると、逆効果と感じますね。
かといって、「これはしっかり聞いておいてほしい!」と思うことも・・・。
若者や子どもたちの指導や育成、意欲を高める上でヒントがあると感じて、調べて考えてみました。
>「AERA」2021年1月18日号には、ある種の人々にとって“我慢ならない”記事が載っていた。タイトルは「『鬼滅』ブームの裏で進む倍速・ながら見・短尺化 長編ヒットの条件とは」。そこには、映画を通常の速度では見られなくなったという男性(37歳)の、「倍速にして、会話がないシーンや風景描写は飛ばしています。自分にとって映画はその瞬間の娯楽にすぎないんです」という声が紹介されていた。<
・・・(中略)・・・
>2つめの背景は、コスパ(コストパフォーマンス)を求める人が増えたこと。
倍速視聴・10秒飛ばしする人が追求しているのは、「時間的コスパ」だ。
フォロワー数十万人を誇る、あるビジネス系インフルエンサーが、Twitterで映画の倍速視聴を公言したときも、そこについたリプは「コスパが良くなっていい」といった好意的な意見が多くを占めた。
彼らは映画やドラマの視聴を、速読のようなものと捉えているのかもしれない。彼らは速読と同じく、訓練によって映像作品を「速く」「効率的に」体験できると考えている(速読が書物の堪能度・理解度を阻害するか、しないかの議論は、ここではしないでおく)。
しかし、ビジネス書ならともかく、なぜ映像作品にまで「コスパ」を求めるのか。なぜそこまでして、効率を求めるのか。「話題作についていきたい」だけでは、動機としてはやや不足に思える。
仕事で大学生たちと交流の機会があるという、あるマーケターの方の言葉に、そのヒントがあった。<(引用https://gendai.media/articles/-/81647?page=1&imp=0)
■『コスパ重視』の正体は!?
「時間的コスパ」とありますが、本来「時間的コスパ」というのは、他にやりたいことがあって、時間を効率化するものでしょう。たとえば私たち40~50代の若い頃は「遊ぶ時間を確保するために、勉強を効率よく進めよう」が主流です。しかし、現代の若者たちは、明確に遊びたいわけでも、強くやりたいことがあるという人は少ないように見えます。
そこで、次の仮説を挙げてみました。
〇強力な探索回路が働いている
やりたいことがないからこそ、「人々が何に興味を持っているのか」「どのような場や中身に惹きつけられ、集まっているのか」にかなり敏感にアンテナを立てて、社会の動きや人々の意識をキャッチしようとしているのではないでしょうか。映画や娯楽の倍速視聴についても、作成側やファンからすると、確かに「作品を吟味する」という点では褒められない手段かもしれません。しかし、「周囲が興味を持つのは、どのようなものか」という探索回路発で鑑賞しているからこそ、短い時間で多くの作品に当たるという見方をすると、合点もいきます。
「自分の興味・関心」が空っぽだからこそ、「相手や周囲の興味・関心発」の意識は進行しているし、その意識を持つことは、仕事の場や社会でも必要なことだとも言えます。
〇交信・発信できる意味のあるものが、最大のコスパ
上記との関連ですが、若者がよく言う「相手と共通話題を持ちたい」という言葉に対して、ついつい年長者は、「そこまでしてみんなの輪に入りたいのか」「そんなに周りに置いていかれるのがイヤなのか」と見てしまいがちですが、若者の感覚は少し違うのではないかと考えました。
彼らは、日々の会話や関わりのなかで、「相手がどう感じているのか」や「共感できることは何か」に、良くも悪くも常にアンテナを貼っていると思われます。それは、頭の先っぽではなく、もっと深いところで常に自然と感じていて、会話の「内容」だけでなく、「間」や「タイミング」、「話し方」や「反応」など細かいところまで、相手のことをよく感じているのではないでしょうか。むしろ、相手と「分かり合いたい」「通じ合いたい」「一体になりたい」という気持ちがどんどん湧いているのかもしれません。
〇課題に収束=「サボりたくない」「最低限のことはクリアしたい」「マジメでいたい」気持ちとの関係
学生が、学校や大学の授業をサボらなくなって、もう20年以上経ちますが、「体裁だけでも人並みにはしておきたい」「変に目立ちたくない」という人は年々増えているようですね。
また、学校がどんどん「成績面」だけで互いを見てしまう、あるいは評価される空間になってしまったという声も聞きます。その結果、学ぶことに対しても「中身を深く知りたい」や「自分のものにしたい」という気持ちが湧く前に、「サッと終わらせるコツだけ知りたい」とか「一定評価されるラインまででいい」という意識が、小さい頃から習慣付いてしまったのかもしれません。
「学び」や「力をつける」ことは、実体験の中で五感を作動させ、失敗や試行錯誤の過程も楽しむことで達成されてゆきます。しかし、「自分の感覚が頼りにならない」「自信がない」という不安定な気持ちが常にあるため、「結果・結論」(=正解)が早く欲しいという性質になってしまった可能性もあると考えます。その点、文字や字幕を頼りに結論だけを先急ぎするという、映画や作品鑑賞の仕方に繋がっている気もします。
今から20~30年前から、生活の豊かさを手にした人々は、「お金持ちになりたい」「いい生活をしたい」、そんな目標だけでは活力が十分に湧かなくなりました。その時、若者たちは「自分探しの旅」など、広い世界への探索を始めました。そして、その後「やりたいことが見つからない」から「目先のことだけでもしっかりやる」という課題収束への流れが生まれたと考えます。
その後、「自分のことより、もっと周りの役に立ちたい」まではよかったけれど、では「どうやって役に立つのか?」「役に立ちたくても力がない」、そんな中で葛藤している若者中心に見られる現象なのではないかと、感じました。
投稿者 sai-hito : 2023年02月14日 TweetList
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