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2021年10月06日

【集団再生のカギを探る】江戸時代の子育てに学ぶ②~社会に適応できる人を育む~

それでは引き続き、江戸時代の子育てに学ぶシリーズ②をお届けします。

「子供たちの幸福度が高かった」と言われる江戸時代ですが、子供たちがわがままを言ったり、好き放題だったわけではありませんでした。むしろ幼いうちから「悪」を戒めていたと言います。
今日は、江戸時代の子育てのバイブルと言われていた『養育往来』より学びます。

現代人は子供への愛情をはき違えている?

江戸時代の追求をされているhttps://ure.pia.co.jp/articles/-/47348?page=2(著:hapimamaさん)の記事を引用させて頂きます。

『養育往来』より
「一切の所作・挙働・衣食・言語に至るまで、一言の善き言を聞かず、一毛の佳き事を観ず、気随・気侭を佳しと為て(して)、正しき行いを知らしめざるが故に、其の風俗、常の癖と成り、しかも生涯を愆(あやま)つ者なり。
嗚呼、是をなんぞ子を愛すと云うべけんや。
悉皆(しっかい)我が子に害を加うる而己(のみ)。是を名づけて曲愛と曰うなり。」

【訳】
愛情のあまり、自分の子を賢いと錯覚し、悪あがきすればしっかり者と思い、人に勝つことが好きなら「強い」と誉め、嘘をついて人をだませば「知恵がある」「賢い」などと誉める。

また、“子どものためを思って”いつも子どもが喜ぶような美服を与え、三度の食事に親の食事よりも美味しい物を与え、小銭をやって好き放題に買い食いさせる…。そういったことは「曲愛」にあたり、後々の子どものためにならないといいます。
子どもを養いながら人の道を教えない、また教えてはいても厳しくしないのは、愛情をはき違えており、子どもを愛していることにはならない。“本当の愛”とは、ときに厳しさを持って、人としての正しい道を教えることなのだ、と説いています。

モノがあふれる現代、常に物質的な充足を与えて子どもを喜ばせることが、子どものためになるとは限らないのかも…と深く考えさせられます。

引用終わり

つい最近、るいネットでも投稿がありましたが、まさに「褒める教育」は本当に根拠があるのか?

耳の痛い話ですが、日常的に子どもの反応を伺って、目の前のご機嫌取りばかりしてしまうのでは、一時の充足は与えられても、子育てにおいて目指していきたい方向性には沿いません。子育てで重要なことは、「生きる道」を示すこと。社会に適応できる人を育むことです。

子守をしながらおはじき遊び(写真はhttp://kosyasin.web.fc2.com/omokage5.htmlからお借りしました。)

そのためには、本当に社会で求められる力は何なのか?ということを、お父さんやお母さんご自身が掴み体現していく中でしか、子どもたちを育んでいけないのかもしれません。私たちも、背筋が伸びる思いで、江戸に学ぶ機会となりました。

さて、江戸に学ぶシリーズは次回も続きます。どうぞご期待ください♪

投稿者 oguma : 2021年10月06日 List   

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