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「子育て=集団の担い手育成」と捉え直してみると、いろんな可能性が見えてくる

前回までの記事で、縄文・江戸時代の「子育て」を探る中で、「子育て」とは
①常に集団の中に存在していたこと。
②常に生産活動(仕事の場)の中に存在していたこと。
の二つの可能性が見えてきました。

そして、本来「子育て」とは、生産集団の中で全ての課題(仕事)と繋がった、集団みんなで取り組んでいた課題であり、みんなの期待が詰まった「集団の担い手育成」だったということが分かってきました。
~「共同養育」をもっと知りたい!~ [1]

私たちが「子育て」と聞いて頭の中に描くイメージとはまさに真逆ですよね。
「仕事の場」と「子育ての場」が一体!?集団みんなで取り組むってどういうこと??ってなりませんか。
でも実は、私たちが直面している子育ての環境(仕事とは切り離された核家族単位)の方こそ、歴史的にも自然の摂理からしても不自然な状態なのです。そもそも私達人類は単独で子育てする動物ではないのです。
人類はそもそもみんなで子育てをするようにできている。 [2]

過去~現在まで、集団や仕事の場面でこそ活力溢れる子供たちが育まれている事例は沢山あります。

◆集団みんなの期待があるからこそ、
子供達に「みんなと一体化したい欠乏」が育まれる。

村共同体を守れる男を皆で育てる「若者組」に学ぶ [3]
寺子屋の教育力(現実から学ぶ・人間力を培う・共同体で育つ) [4]
異年齢の集団の中で揉まれることで、自ら集団を担っていく人材になりたいという欠乏が育まれるのです。
親の期待だけしか存在しない現代の家庭環境と比べるとどうでしょうか?

◆現実の圧力に向き合った生産(仕事)課題の中でこそ、
「未知を掴みたいという追求心」が育まれる

富山県の「14歳の挑戦」が示す可能性~仕事収束は加速していく [5]
~本気でこどもに期待する職場体験~ [6]
強制されて嫌々勉強するより社会の現実課題に答えを出す仕事(未知追求)の方が断然ヤル気もUP。
答えが用意された問題ばかりで現実の圧力に背を向けた現代の学校環境と比べるとどうでしょうか?

◆生産を共にする集団・仲間との関係性の中でこそ
「役に立ちたいという主体性」が育まれる。

3か月、実際に働いて分かったこと [7]
江戸時代の子どもは「子供同士で本気で遊び」「大人と本気で遊び」それが教育だった [8]
大人も子供も一緒に課題に取組む環境でこそ、受身ではなく自ら役に立ちたいという主体性が育まれる。
20歳前後まで子供扱いされる現代の家庭や学校環境の状況とは大きく異なります。

これら「一体になりたい」「もっと追求したい」「仲間の役に立ちたい」といった社会で生きていくために必要な力(=集団の担い手になる力)は、親なら誰もが子供に期待していることではないでしょうか?
そして本当にこれらの力を育成していこうとすれば、核家族や学校という生産と切り離された集団ではなく、生産を担う集団(例えば企業)の中にこそ実現基盤や可能性があるのではないでしょうか?

「子育て=集団の担い手育成」と捉え直してみると、子供達にとっても親達にとっても、一人で抱えることはない、みんなが見守ってくれているんだ。という大きな可能性も見えてきます。家庭や学校を超えて、大人から子供まで一体で生産課題(仕事)に向き合える環境へと子育ての場を広げていきたいですね。

次回からは、生産集団の中で活力を再生していく子供達や、安心基盤を生み出そうとしていく親達の事例をさらに紹介しながら、「子育て=集団の担い手育成」の可能性を掘り下げていきたいと思います。

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