2008.02.24
ニートデーターあれこれ~ニート減少傾向?~
知っていました?
画像はここからお借りしました。
ニートひきこもりJournal より
ニートの人口推移は、
年 フリーター人口 ニート人口 15-34歳人口 フリーター割合 ニート割合
00 - 44 3488 - 1.26%
01 - 49 3480 - 1.41%
02 209 64 3425 6.10% 1.87%
03 217 64 3376 6.43% 1.90%
04 213 64 3319 6.42% 1.93%
05 201 64 3240 6.20% 1.98%
06 187 62
(2006年は、下記リンク先を参照)
2002年に1.3倍に跳ね上がり、その後、変わらず推移、2006年より若干減少傾向を見せだしている。
社会実情データー図録
年齢別フリーター数・ニート数の推移によると
ニート 1997年→2002年→2006年
25~34歳 21万人→35万人→36万人
15~24歳 21万人→29万人→27万人
・2002年→2006年比較で見ると、若干ではあるが、年齢が高い層が増加傾向にあるのに対して低い年齢層の方が減少傾向にある。
・1997年→2006年比較で見ると、1:1であったものが4:3になっていて年齢が高い層の割合が高いことを示している。
フリーターで見るともっと顕著で
フリーター 1997年→2002年→2006年
25~34歳 49万人→ 91万人→92万人
15~24歳 102万人→117万人→95万人
若い年齢層ほど、ニート・フリーターから脱却しつつある傾向にある(逆に、年齢が上がれば抜け出せない)と言えるのではないでしょうか。
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posted by sodan at : 2008.02.24 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2008.02.23
母親の不全が“ニート”を生み出す
結婚して、主婦になりきっていたのが、子どもが小学生や中学生になって手が離れたとき、ふと気がつく。もう若くはないワタシ。いったいワタシは何をしているのかしら、こんなことをしていていいのかしらと、漠然とした不安感にとらわれる。これが、「思秋期」なのです。・・・
(斎藤茂男の『妻たちの思秋期』より)
(‘70年以前の日本においては、)多くの女性は厳しい農作業に追われながら、家事・育児を行っていた。母親のそんな姿を見て育ったこの時期の若い女性にとって、サラリーマンと結婚して専業主婦になることは、憧れの生活であった。煩わしい近所付き合いもなく、仕えるべき舅・姑もいない、郊外のこぎれいな住宅団地での、テレビに見るアメリカのホームドラマのような暮らしを夢見て、多くの若い女性が農村を離れ、結婚していった。
以上は、厚生白書(平成10年版)からの抜粋ですが、憧れの“専業主婦”とは、決してバラ色などではなく、そればかりか大きな不全を抱えた存在だったようです。。
今回は、専業主婦生活にはどんな問題があったのか?またそれがニートを生むことにどうつながるのか?を追求してみたいと思います。
続きの前に、ポチッとお願いします。
posted by hiroaki at : 2008.02.23 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2008.02.22
専業主婦はニートの生産者?
キテるでしょ?「ニートカンガルー」
写真はここから拝借いたしました。
オリの中の無圧力環境だからこその絵ですかね?
今日はニートについて考えてみました。
ニートになる意識を大きく分けると二つ。
1:「働く自分に対する自信の欠如」
2:特別な自分(ミーイズム)
では、何故こんな意識が備わってしまったのかを追求して見たところ、専業主婦に行き着いた。
専業主婦に囲い込まれた層がニートへの道を歩んでいるのではないか?
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posted by gokuu at : 2008.02.22 | コメント (2件) | トラックバック (0) TweetList
2008.02.21
子育ては遊びではない。生産活動(意識生産)である。
女性の社会進出(就職)→育児(家庭に入る)→活力低下(社会閉塞)⇒育児でまっとうな評価を得る。そのためには?
続きを読む "子育ては遊びではない。生産活動(意識生産)である。"
posted by toya at : 2008.02.21 | コメント (4件) | トラックバック (0) TweetList
2008.02.20
「学び合い」part2~授業外でも学び合う~
「学び合い」勉強会開催!~授業風景をトレース~読んでいただけましたか?
一斉授業しかしらなかった私は「授業は一方的に教えてもらうもの」だと思っていたので
子ども同士で教えあう(学び合う)授業という発想におどろきでした
今日はその続き で、授業そのものではないですが、学び合いの発想に通ずるおもしろい話を
聞けたので、お伝えします 😀
続きを読む "「学び合い」part2~授業外でも学び合う~"
posted by kado at : 2008.02.20 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2008.02.20
学校ってどうなってるの?50~教育ニ関スル勅語(教育勅語)ってなに?~
学校ってどうなってるの?45では、明治時代の教育ニ関スル勅語(教育勅語)とは?を書きたいと思います。
【教育勅語(東京大学)】画像をクリックすると拡大します。
まずは、一般論から・・・・ネットでは、否定的な捉え方、肯定的な捉え方など多くの記事がありますので、概要を紹介します。良いか、悪いかの価値判断は、一旦、棚上げにして、ここでは、当時の情勢の同化して、考えてみたいと思います。
【教育ニ関スル勅語】: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【教育勅語】フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』
【教育ニ関スル勅語】『ウィキソース(Wikisource)』
【教育勅語】『明治神宮HP』
原文と口語訳については、続きに記載してあります。草案⇒成立⇒絶対視化⇒神格化⇒イデオロギー化⇒戦後否定の経緯の歴史概要は、下記HPより引用します。
◆侍講(じこう=明治時代に天皇・東宮に書を講じた官職)であった儒教(仁を根本とする政治・道徳を説いた孔子を祖とする中国の教説)主義者永田永孚(ながざね)や伊藤博文の下で大日本帝国憲法・皇室典範の起草にあたった井上 毅(こわし)らが起草した。
◆その内容は、軍人勅諭にならって国民の「愛国心」「親孝行」や「義勇奉公」など、戦前の教育全般における基本理念を示したもので、皇国史観に立ち、天皇の名において教育理念と実践道徳を規定しており、同勅語は、第2世界大戦敗戦まで「軍人勅諭」とともに天皇制国家イデオロギーの2大支柱となった。
◆紀元節(建国記念日)や天長節(昭和天皇の誕生日)になると、生徒は講堂で頭を垂れて、校長先生が勅語を持って来るのを待っていた。勅語奉読(つつしんで読む)のためである。元日、紀元節、天長節、明治節(明治天皇の誕生日)の4大節では必ず読まれ、校長は、フロックコート(frock coat=男性の昼間用礼服。上着はダブルで丈はひざまであり、縞のズボンと組み合わせて着る)などで正装、真新しい白手袋をつけ、箱へ大事に納めた謄本を取り出し、勅語節といわれる独特の抑揚を付けて朗読した。もとより来賓の前で読みまちがえればたちまち進退問題になった。
◆勅語の絶対視化は歴史とともに進み、一種の聖典と化すが、権威付けのために勅語の保管場所にも政治的は配慮が加えられ、1910(明治43)年ごろから、校庭に石造、土蔵造り、あるいは鉄筋コンクリートの神社風の「奉安殿」(ほうあんでん=学校で御真影や教育勅語などを保管するために校舎とは別に設けた、小さい特別な建物)を建てて納めるようになった。当然生徒たちは、登下校時にはその前で最敬礼することが義務とされた。結局、教育勅語が納められた奉安殿は、ご神体のようにあがめられて国家神道の一部を担う役割を果たすのであった。
◆このため1947(昭和22)年3月31日の教育基本法の制定によってその内容が否定され、また1948(昭和23)年6月19日には国会(衆参両議院)が、「根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基づいている事実は、基本的人権を損ない、国際信義に対して疑点を残すものとなる」として、「軍人勅諭」、「戊申詔書」、「青年学徒に賜わりたる勅語」とともに、教育勅語の「失効確認・排除の決議案」を可決した。当然謄本は回収、処分され、「奉安殿」も取り壊された⇒天皇の人間宣言。
とのこと。江戸幕府の大政奉還、王政復古、明治維新など体験して、若くして即位した明治天皇が、臣民に語りかける形式をとりますが、当時の日本の西洋化や自由民権運動、洋学の重用などによる日本古来の規範、制度、共同性や文化などの軽視を教育の場面で食い止める歯止めとして、発布されたもののように思います。特に教育に関しては儒学を基本にすべしとする天皇の思いもあり、西洋よりも日本の伝統の倫理道徳に重きを置いていた天皇の「日本らしさ」を提示したものとも思います。
しかし、この【教育勅語】が、もう一つの【軍人勅諭】と並んで、絶対化、神格化、イデオロギー化していきます。ようは、『自己正当化』に使われていきます。
当時の外圧は、外国からの圧力。遅れをとった日本がとった政策は、大政奉還からの統合不在の状況をすぐに切替、天皇制へと統合し、富国強兵、殖産興業を推し進めてきた。その中で、若い新しい人材を育成する教育が重要と位置づけられていました。この不全に対する解決策を短時間に成立させるための政策の一環であったともいえます。しかし、この自己正当化が、本来の目的を見失って、日本を孤立へ戦争へと導いていきます。
教育勅語の内容をいま見返すと、当然と言えば当然で、日本人の特色(集団性、共同性、勤勉・勤労性、男女和合、規範性など)を示しているように見えますがどうでしょうか?(続きをどうぞ)
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posted by 2310 at : 2008.02.20 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2008.02.19
甘え下手で、勉強が進まない小学生?!
「甘える」について調べていたところぴっかりさんの子育て相談室というHPを見つけました
るいネットでも「厳選○サイト」として紹介されています
抱いてやっても体に力が入ったまま、絶えずモゾモゾと落ち着かず、母親から目をそらすように体を反り返らせる赤ちゃん。
泣かない赤ちゃんや泣くことを止めようとギャーッという異様な泣き声で泣く赤ちゃん。
些細な理由で、異常なまでの激しいかんしゃくを起こす子ども。
こんな赤ちゃん・子供が増えているそうです。(自閉ぎみの赤ちゃん・子供が増えている??)
寂しい。かまって欲しい。本当はお母さんに可愛がってもらいたい。甘えたい。
けれども素直に甘えられず、感情を抑圧してしまう。
切なくなるのは、お母さんの不安定さを感じ取って、感情を抑え込んでいるということ。
カウンセリングで、お母さんへ今まで良く頑張ってきたことを認めてあげたり、お母さんが赤ちゃんや子供のサインの理由を理解した時、赤ちゃんや子供の様子が変わるそうです
「ぴっかりさんの子育て相談室」のあるコーナーの中の記事には、
「育てにくい子どもは、赤ちゃんの頃、「妙におとなしい」か、「ギャーギャー泣いてばかり」だったというケースが案外多い。だとすれば、感情抑圧的な傾向の端緒は、実は赤ちゃんの時期から始まっていたと考えられるのではないだろうか。」
と記されていました。
様々な記事の中でも、「甘え」と「勉強」の関係について記されている記事がありましたので紹介します
応援宜しくお願い致します
posted by nakamenta at : 2008.02.19 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2008.02.18
学校ってどうなってるの?49 明治になってできた道徳教育、「修身」の教科書って?
http://kan-chan.stbbs.net/docs/shusin.html「新編 修身教典 尋常小学校児童用 巻二」
「修身」って知ってますか?
明治時代からはじまった道徳教育なのです。
文部科学省HP より、「修身」についての引用を紹介します。
明治初年に欧米から取り入れた教育内容が一般に行なわれていた時には,伝統的思想はそのかげにかくれていだが,その主知主義の行き過ぎや道徳軽視の風潮に対する批判と反省が起るとともに,伝統的儒教倫理が重視されるようになった。明治11年(1878)に明治天皇が示された「数学大旨」は仁義忠孝の道を明らかにして,実学とともに道徳教育が教育の根木になることを示した。これ以後,教科のなかで修身が重視され,それ以前の西洋道徳に,儒教的倫理が新たに注入されてきた。ついで従来の翻訳教科書の使用が禁止されたり(明治13年-1880),道徳教育の基本を示した「幼学綱要」(明治15年-1882)が出されると,論語・孝経等儒教的倫理がさらに強調された。明治維新以来,国民全体の思想を統一する規範的なものが必要であり,それが徳川時代から素地のある儒教道徳となって現われたものである。明治23年(1890)に教育勅語が発布され,修身教育は,この勅語の趣旨に基づくべきことが決定された。検定教科書として発行された修身教科書は,教育勅語の趣旨である忠義・孝悌・友愛・仁慈等を徳目としており込むとともに,日清戦争の影響もあって忠の面が強調された。日清戦争後明治33年(1900)ごろからは,歴史上の人物も多く扱われろようになり,勤勉・恭倹・節倹・養生・謙遜等の徳目が教えられている。これらの徳目は近代資本主義発展期における重要な倫理であって,国の発展にとって必要な勤勉・倹約・健康の精神を国民に植え付けるのに役立った。
主知主義とは・・・
人間の心は知・情・意からなるなどといわれるが、このうち知の面を、つまり知性とか理性とか悟性とかよばれる知の機能を、ほかの感情や意志の機能よりも上位に据える見方が一般に主知主義とよばれ、感情を上位に置く主情主義(情緒主義)や、意志を上位に置く主意主義に対するものとして用いられる。
急激な西洋化に対して日本人的価値観が失われていく危機意識をもったということが発端でしょうか。
明治37年(1904)から修身は国定教科書になったが,扱われている内容を,個人・家庭・学校・社会・国家・国際社会に分類してみると,各時代を通じて個人・社会・国家に関することが多い。時代別にみると,個人に関することは,明治37年のものがもっとも多く,昭和16年(1941)からの戦時下がもっとも少なくなっている。国家に関することはその逆で,古い時代ほど少なく,昭和になるにつれて増加している。近代社会の発展過程において,初めまず個人の完成に力が注がれ,やがて国家のなかの個人という点を強調するようになったことを示している。大正末期から昭和初期にかけては,第1次世界大戦後の世界的なデモクラシーの風潮や社会思想運動を反映して,社会に関することが一時増加している。
江戸時代までの日本と近代国家としての日本、その精神性をどう統合するか?という軸を必要としていたということのようです。
修身で教えたのはどんな事柄?? クリックしてから次いきましょう
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posted by bunchan at : 2008.02.18 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2008.02.17
読解力向上への試み
お久しぶりです。hajimeです。
世間では、『子供達の読解力の向上』が話題ですが…。なかなか、その成果が上がっていない、というのが実情のようです。そんな中、頑張っている先生が…
『経済協力開発機構(OECD)の’06年学習到達度調査(PISA)で日本の読解力はさらに後退して15位になった。』文部科学省は、『読解力向上プログラム』なるものを作成し、向上を図ろうとしたようだが、なかなか効果は上がっていないようだ。(確かに、プログラム?の内容は抽象的で、現場では何をやったらいいか?きっと、よくわからないと思う。)
(http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku/siryo/05122201/014/005.pdf#search=’読解力向上プログラム’)
そんな中、成果が見え始めている、なかなか面白そうな試みが…。
続きが気になる方は
posted by hajime at : 2008.02.17 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2008.02.16
保育園を作れば作るほど、財政難・・・
大阪市は、日本でも有数の待機児童が多い市町村で、「保育園を作ってほしい」という声が、ママさんたちの間でも頻繁に聞こえてきます。
市長も知事も「保育所待機児童の解消」を中心的な政策として掲げているにもかかわらず、なかなか進展しないのはなんでなのでしょう
ポチポチっとしてから、続きを読んで
posted by watami at : 2008.02.16 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList