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2008年02月20日
学校ってどうなってるの?50~教育ニ関スル勅語(教育勅語)ってなに?~
学校ってどうなってるの?45では、明治時代の教育ニ関スル勅語(教育勅語)とは?を書きたいと思います。
【教育勅語(東京大学)】画像をクリックすると拡大します。
まずは、一般論から・・・・ネットでは、否定的な捉え方、肯定的な捉え方など多くの記事がありますので、概要を紹介します。良いか、悪いかの価値判断は、一旦、棚上げにして、ここでは、当時の情勢の同化して、考えてみたいと思います。
【教育ニ関スル勅語】: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【教育勅語】フリー教科書『ウィキブックス(Wikibooks)』
【教育ニ関スル勅語】『ウィキソース(Wikisource)』
【教育勅語】『明治神宮HP』
原文と口語訳については、続きに記載してあります。草案⇒成立⇒絶対視化⇒神格化⇒イデオロギー化⇒戦後否定の経緯の歴史概要は、下記HPより引用します。
◆侍講(じこう=明治時代に天皇・東宮に書を講じた官職)であった儒教(仁を根本とする政治・道徳を説いた孔子を祖とする中国の教説)主義者永田永孚(ながざね)や伊藤博文の下で大日本帝国憲法・皇室典範の起草にあたった井上 毅(こわし)らが起草した。
◆その内容は、軍人勅諭にならって国民の「愛国心」「親孝行」や「義勇奉公」など、戦前の教育全般における基本理念を示したもので、皇国史観に立ち、天皇の名において教育理念と実践道徳を規定しており、同勅語は、第2世界大戦敗戦まで「軍人勅諭」とともに天皇制国家イデオロギーの2大支柱となった。
◆紀元節(建国記念日)や天長節(昭和天皇の誕生日)になると、生徒は講堂で頭を垂れて、校長先生が勅語を持って来るのを待っていた。勅語奉読(つつしんで読む)のためである。元日、紀元節、天長節、明治節(明治天皇の誕生日)の4大節では必ず読まれ、校長は、フロックコート(frock coat=男性の昼間用礼服。上着はダブルで丈はひざまであり、縞のズボンと組み合わせて着る)などで正装、真新しい白手袋をつけ、箱へ大事に納めた謄本を取り出し、勅語節といわれる独特の抑揚を付けて朗読した。もとより来賓の前で読みまちがえればたちまち進退問題になった。
◆勅語の絶対視化は歴史とともに進み、一種の聖典と化すが、権威付けのために勅語の保管場所にも政治的は配慮が加えられ、1910(明治43)年ごろから、校庭に石造、土蔵造り、あるいは鉄筋コンクリートの神社風の「奉安殿」(ほうあんでん=学校で御真影や教育勅語などを保管するために校舎とは別に設けた、小さい特別な建物)を建てて納めるようになった。当然生徒たちは、登下校時にはその前で最敬礼することが義務とされた。結局、教育勅語が納められた奉安殿は、ご神体のようにあがめられて国家神道の一部を担う役割を果たすのであった。
◆このため1947(昭和22)年3月31日の教育基本法の制定によってその内容が否定され、また1948(昭和23)年6月19日には国会(衆参両議院)が、「根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基づいている事実は、基本的人権を損ない、国際信義に対して疑点を残すものとなる」として、「軍人勅諭」、「戊申詔書」、「青年学徒に賜わりたる勅語」とともに、教育勅語の「失効確認・排除の決議案」を可決した。当然謄本は回収、処分され、「奉安殿」も取り壊された⇒天皇の人間宣言。
とのこと。江戸幕府の大政奉還、王政復古、明治維新など体験して、若くして即位した明治天皇が、臣民に語りかける形式をとりますが、当時の日本の西洋化や自由民権運動、洋学の重用などによる日本古来の規範、制度、共同性や文化などの軽視を教育の場面で食い止める歯止めとして、発布されたもののように思います。特に教育に関しては儒学を基本にすべしとする天皇の思いもあり、西洋よりも日本の伝統の倫理道徳に重きを置いていた天皇の「日本らしさ」を提示したものとも思います。
しかし、この【教育勅語】が、もう一つの【軍人勅諭】と並んで、絶対化、神格化、イデオロギー化していきます。ようは、『自己正当化』に使われていきます。
当時の外圧は、外国からの圧力。遅れをとった日本がとった政策は、大政奉還からの統合不在の状況をすぐに切替、天皇制へと統合し、富国強兵、殖産興業を推し進めてきた。その中で、若い新しい人材を育成する教育が重要と位置づけられていました。この不全に対する解決策を短時間に成立させるための政策の一環であったともいえます。しかし、この自己正当化が、本来の目的を見失って、日本を孤立へ戦争へと導いていきます。
教育勅語の内容をいま見返すと、当然と言えば当然で、日本人の特色(集団性、共同性、勤勉・勤労性、男女和合、規範性など)を示しているように見えますがどうでしょうか?(続きをどうぞ)
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朕(チン)惟(オモ)フニ我(ワ)カ皇祖(クワウウソ)皇宗(クワウソウ)國(クニ)ヲ肇(ハジ)ムルコト宏遠(クワウエン)ニ徳(トク)ヲ樹(タ)ツルコト深厚(シンコウ)ナリ我(ワ)カ臣民(シンミン)克(ヨ)ク忠(チュウ)ニ克(ヨ)ク孝(コウ)ニ億兆(オクテウ)心(ココロ)ヲ一(イツ)ニシテ世世(ヨヨ)厥(ソ)ノ美(ビ)ヲ濟(ナ)セルハ此(コ)レ我(ワ)カ國體(コクタイ)ノ精華(セイクワ)ニシテ教育(キョウイク)ノ淵源(エンゲン)亦(マタ)實(ジツ)ニ此(ココ)ニ存(ソン)ス爾(ナンジ)臣民(シンミン)父母(フボ)ニ孝(コウ)ニ兄弟(ケイテイ)ニ友(イウ)ニ夫婦(フウフ)相和(アヒワ)シ朋友(ホウイウ)相信(アイシン)シ恭儉(キョウケン)己(オノ)レヲ持(ジ)シ博愛(ハクアイ)衆(シュウ)ニ及(オヨ)ホシ學(ガク)ヲ修(オサ)メ業(ギョウ)ヲ習(ナラ)ヒ以(モッ)テ智能(チノウ)ヲ啓發(ケイハツ)シ徳器(トクキ)ヲ成就(ジョウジュ)シ進(ススン)テ公益(コウエキ)ヲ廣(ヒロ)メ世務(セイム)ヲ開(ヒラ)キ常(ツネ)ニ國憲(コクケン)ヲ重(オモン)シ國法(コクハウ)ニ遵(シタガイ)ヒ一旦(イッタン)緩急(クワンキフ)アレハ義勇(ギユウ)公(コウ)ニ奉(ホウ)シ以(モッ)テ天壤(テンジヤウ)無窮(ムキウ)ノ皇運(クワウウン)ヲ扶翼(フヨク)スヘシ是(カク)ノ如キハ獨(ヒト)リ朕(チン)カ忠良(チュウリャウ)ノ臣民(シンミン)タルノミナラス又(マタ)以(モッ)テ爾(ナンジ)祖先(ソセン)ノ遺風(イフウ)ヲ顯彰(ケンシャウ)スルニ足(タ)ラン
斯(コノ)ノ道(ミチ)ハ實(ジツ)ニ我(ワ)カ皇祖(クワウウソ)皇宗(クワウソウ)ノ遺訓(イクン)ニシテ子孫(シソン)臣民(シンミン)ノ倶(トモ)ニ遵守(ジュンシュ)スヘキ所(トコロ)之(コレ)ヲ古今(ココン)ニ通(ツウ)シテ謬(アヤマ)ラス之(コレ)ヲ中外(チュウグワイ)ニ施(ホドコ)シテ悖(モト)ラス朕(チン)爾(ナンジ)臣民(シンミン)ト倶(トモ)ニ拳々(ケンケン)服膺(フクヨウ)シテ咸(ミナ)其(ソノ)徳(トク)ヲ一(イツ)ニセンコトヲ庶(コト)幾(ネガ)フ
明治23年10月30日 御名御璽 (ギョメイギョッジ)
朕(明治天皇)がおもうに、我が御先祖の方々が国をお肇(はじ)めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。
汝(なんじ)臣民は、父母に孝をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦(むつ)び合い、朋友互に信義を以て交り、ヘりくだって気随(きずい-自分の思うまま)気侭(きまま-他人に気がねなく自分の思い通り)の振舞をせず、人々に対して慈愛を及ぼすようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧(ささ)けて皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまにまに天地と共に窮(かぎ)りなき宝祚(あつまひつぎ)の御栄(天皇陛下の御運勢)をたすけ奉(たてまつ)れ。
かようにすることは、ただに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなおさず、汝らの祖先ののこした美風をはっきりあらわすことになる。
ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがい守るべきところである。
この道は古今を貫ぬいて永久に間違いがなく、又我が国はもとより外国でとり用いても正しい道である。
朕は汝臣民と一緒にこの道を太切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。
私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。
~国民道徳協会訳文による~
さて、上記の内容をみてどうおもいますか?要約すると・・・
代々、心を一つにしてみなで作り上げてきた日本の伝統が現に存在する。教育もそれに通じるものがあり、その内容は、孝行・友愛・夫婦の和・朋友の信・謙遜・博愛・修学習業・智能啓発・徳器成就・公益世務・遵法・義勇の12徳目でそれは、古今東西、変わらぬ正道であり、日本を越えた諸外国でも間違えのない道である
と説いています。
日本人に古来からの特色としての集団性、共同性、勤勉・勤労性、男女和合、規範性などが謳われていると思いますがどうでしょうか?
投稿者 2310 : 2008年02月20日 TweetList
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