2007.11.21
不登校になるのはなんで?
画像はこのサイトからお借りしました→http://www.manabinoba.com/(学びの場.com)
「不登校」の問題は誰もが一度は聴いたことがあると思います。最近はクラスに1人は不登校の子供がいるといわれています。ふと自分の子供時代を振り返ると(もう10年以上たっていますが)、そんなにいたかなと。
なんでこんなに不登校の子供が増えているのでしょう?今日はそのことについて少し、話してみたいと思います。
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posted by daichi at : 2007.11.21 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2007.11.20
学校ってどうなってるの?32~江戸の教育制度の背景に市場拡大あり
江戸時代の主な教育制度といえば、武士階級の「藩校」や、庶民の「寺小屋」です。
その教育内容を調べてみると、後期「藩校」においては、財政難に対応すべく政治や経済に関する教育が行われ、「寺小屋」においても主に生産や商取引に必要な「読み書き・算盤」が教えられていたようですが、その背景には、江戸幕府主導の“統治システムとしての市場”の発展~拡大があったと思われます。
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posted by kota at : 2007.11.20 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2007.11.19
学校ってどうなってるの?31(往来物の続き)
●往来物の挿絵で上図の説明:大工の子は大工となり、畳刺しの子は畳刺しとなる。古着や煙草屋の手代も多く、その縁あってその商売をするものであることを示した。
*図本文でも、「人は馴れ習うものに自然と移っていくものである。それゆえ、大工の子は大工、畳刺しの子は畳刺しとなる。どの職業に限らず、大方は見慣れ聞き慣れた事をするものであり、古着屋の手代は古着屋となり、煙草屋の手代は煙草屋となるように、大抵その縁を引くものである。これらは馴れ習った事をするため、大いに結構なことである。誰でももともと同じ人であるが、学び習うことによってその道の妙を得るため、たかく良い事を学ぶべきである。猿に芸を教えればよく覚え、人の歌に合わせて上手に踊るようになるものである。これは特別な理由があるわけではないし、分別があるわけでもない。習い馴れた結果、芸をするのである。人間も良いことを学び習ったならば、出来ないということはないはずである。万が一、出来ないとしたら、それは禽獣にも劣るのではないだろうか。
出典:往来物倶楽部
《学校ってどうなってるの?30》で何故往来物は手紙の形をとったのだろうか。不思議に思った。
まず考えてみると遠い昔にできた文学や、船來の典籍などがむやみにありがたがるより、現実の生活、階級、職業、地域を含めた生活形態上の「郷土」を学び取ること。現実の生活の中で働いている通俗な言葉と文字が大切な学習用具として何よりも先に学ばれたのではないだろうか。
次に江戸時代は武士も町人も,先ず往来物で基本型を学んだ後に実用的な個々の書状を書いた。
そして手習いは文字通り実用本位の【行書先習】であった。生徒たちは行書(つづけ字)くずし字(草書)を書くことを通して読むことを学んでいた。
行書は書く人のそのときの心情が現れます。ちょっと読みずらいぐらいなので読み手はこれはなんと書いているか理解しようとして自分で書き写してみます。その意味では文章を読むということはまず書く(写す)ということだったのです。御先祖様の残した書き物を直に読み、彼等の心に直接触れることで字を学んでいた。これってまさに書き手の気持ちになって学ぶということでしょうか。
さらに実は,手紙を楷書にしろといった人たちがいます。
それは、何と戦後のGHQによる書簡検閲です。
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posted by tennsi21 at : 2007.11.19 | コメント (3件) | トラックバック (0) TweetList
2007.11.18
学校ってどうなってるの?30<寺子屋の教科書・・・往来物>
江戸時代の教育機関である寺子屋はどんなだったのでしょうか?
「剣客商売」道場さんによる 「江戸時代の民間の教育と学問」をみると・・・
○寺子屋の数
享保六年(1721年)には江戸市中に寺子屋の師匠は約800人、幕末には全国で一万五千から二万ほどの寺子屋があったと推計され、寺子屋のない町や村はないとまで言われた。現代のように教員免許制度はなく教える場所も自由で誰でも自由に開くことができた。師匠の裁量が大きな部分を占め幕府や藩は援助も介入もしなかった。○入学時期と卒業時期 早い場合は五歳から普通は七か八歳で入学し男子が十二、三歳、女子は十三、四歳で卒業するのが一般的。初午(二月最初の牛の日)を吉日として入学するのが通例。入門する年齢と卒業時期は個人の自由。卒業後は職人の親方に弟子入りや商家の奉公するなど就職した。女子の場合は教育の仕上げとして武家や大店に女中奉公し礼儀作法など厳しく躾けてもらった。
○授業時間と休日
授業時間は決まりがないがだいたい午前八時から午後二時まで。昼食は十二時。給食はなく家に帰って食べるか持参した弁当を食べた。現代の小学校のように全ての授業時間にいる必要はなく通ってくる個人個人が来られるときに来て家の用事や御稽古事に通う時間になると帰った。休日は毎月の1、15、25日の定休日と五節句、年末年始12月17日から1月16日)と臨時の休日など年間五十日あるが師匠の裁量次第で自由に決められた。○入門料と授業料
定額制ではなく社会的地位や経済状況に応じて支払える額を支払った。師匠は学は金銭で売るものと考えず師匠という地位を誇りに思い金銭についてはほとんど言わなかった。入門料は師匠にふさわしい額を近所から話しを聞いて入門者の親が判断した。二百文から三百文、余裕があれば二朱、大店なら一分を包んだそうだ。先輩に煎餅を配る習慣があり一枚五文ぐらいを人数分用意した。道具類は机は貸してもらえたが筆や半紙など他の道具は生徒が用意した。教科書は寺子屋の備品を使う。六月の畳替えや冬の炭代を負担し盆暮れや五節句には百文から千文程度(一ヶ月辺り二十文から三百文。)を親の経済的地位に応じて礼金として持参した。
○教育内容と方法
現代の学習指導要領に相当するものはなく教育内容は師匠の裁量と父兄の要望に任されていた。まず最初にいろは四十八文字の読み書きと文字の意味や数字を教えた。短文の読書きを教え「名頭(人の姓の最初を漢字で書く)」や「名字尽くし」や手紙文や商用の送り状、請取状など実用的なものから江戸の町名を読書きしながら江戸の地理を学ぶ「江戸方角尽」や江戸の生活や行事について習う「江戸往来」や「東海道往来」や「国尽く」と言った地理を学んだ。その後、庭訓往来や漢文の基礎である千字文などを教えた。最後に百姓なら「百姓往来」、商人なら「商人往来」や相場について、職人なら「番匠往来」など子供の親の職業に合わせた教科書を使い職業に必要な用語を覚えた。また、礼儀作法を身につけさせるのも寺子屋に期待されていた事柄である。
通ってくる子供の年齢や職業がバラバラで一律に教えるのではなく個別指導をしていた。庶民が武士の師匠に習うことはできたが算盤の代わりに唐詩選や千字文など漢文を教える。商家や職人の子供には漢文の知識は直接役立たない内容ではないのでわざわざ通うことは少なかっただろう。往来物は七千種類ありそのうち女性用は千種類あり寺子屋の備品で使いまわしされていた。
地域のみんなで協力しあって子供の教育に必要な教育を受けさせていたという感じですね~
カリキュラムも必要に応じて多様だったようですね。中でも 往来物 といわれる形式は面白いですね!
・・・・・往来物ってどんなもの????ぽちっと押して次いってみましょう~
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posted by bunchan at : 2007.11.18 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2007.11.17
学校ってどうなってるの?29 儒教の普及(武士への浸透)
儒教の話「学校ってどうなってるの28」がありますが、江戸の藩校での教育内容は、基本的には儒教を基礎にしていたそうです。ただし、庶民の寺子屋の教育内容は、習字と読み書き算盤という記述が多いですね。
調べてみると、武士に広がった儒学について、面白い記述がありましたので紹介します。
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posted by hoop200 at : 2007.11.17 | コメント (5件) | トラックバック (0) TweetList
2007.11.15
学校ってどうなってるの?28 日本の学門のむかし 僧侶と儒教
「この寺請制度が、寺に村の住人を収束させ、寺中心に村落がまとまり、かつての寺の教育制度と社会的、経済的な要請や藩・村全体の社会適応のための教育の要請や奉公のための教育要請があいまって、寺という地域コミュニティーから、僧侶などの知識階級が、読み・書き・算盤を教え始めたというのが、寺子屋の発祥の理由ではないか?と思われます。」
http://blog.katei-x.net/blog/2007/10/000367.html#comments
前回、寺子屋について記事にしましたが、そもそも僧侶といえば仏教の人ですが、仏教の人が寺子屋で何を教えていたのでしょうか?江戸時代の国学としての儒教(儒学)と仏教、当時の日本人の学門や教育はどうであったのかを押えるために、儒教、仏教とは何ぞやというところを調べてみました。
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posted by saito at : 2007.11.15 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2007.11.12
【図解】家庭が密室化したのはなんで?
今回は、家庭問題:幹になる認識の固定化(図解化)
に倣い、『家庭が密室化したのはなんで?』についてネットサロンにて議論をし、図解化を試みました。
根元を辿ればまだまだ遡れるのですが、大きくは近代市場拡大以降の家族形態の大きな変遷をたどってみました。
図解の前に、応援 お願いします。
posted by kawait at : 2007.11.12 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2007.11.11
家庭が密室化したのはなんで?~専業主婦⇒消費特権階級が出来るまで・・・(2)
社会状況からは、大量生産⇔大量消費までは読み取れるが、
なぜ、専業主婦⇒消費特権階級化していったのか?この辺りが、イマイチ見えてこない。
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posted by sodan at : 2007.11.11 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2007.11.10
家庭が密室化したのはなんで?~専業主婦⇒消費特権階級が出来るまで・・・(1)
戦後高度成長期、近代市場の開放によって、私権(お金、肩書き、女)獲得の可能性が開かれたのは、何も男だけに限った話ではない。
女にとっては、私権を自ら獲得すると言うよりは、結婚し家庭を通じて私権(主にはお金→物的豊かさ)を獲得していった。
評論家の斎藤美奈子はこう分析する。
“戦前の良妻賢母教育なんてものは、たかだか絵に描いた餅であり、大多数の女性はその恩恵に浴してなどいなかった。……高度成長は、こんな庶民の娘が成り上がる(階級を上げる)機会をつくったのだ。……右肩上がりの経済成長を背景に、下町や農村に住む庶民の娘たちまでが、女学生→職業婦人→主婦の出世コースにわれもわれもと押し寄せたのである。この動きをだれが止められただろう。望んでも手のとどかなかった夢の暮らしが、やっと手に入るのですぜ。”
ここで言う、階級とは、正しく専業主婦⇒“消費特権階級”ではないでしょうか?
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posted by sodan at : 2007.11.10 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2007.11.09
またか!Σ( ̄ロ ̄lll)10代 No.7~昭和55~平成2年の事件~
またか!Σ( ̄ロ ̄lll)10代 No.7~昭和55~平成2年の事件~
ついにシリーズ7弾目突入です
昭和55年~平成2年の親殺しの特徴は
酒を飲んで暴力を振るう父親続出
そんな父親に嫌悪感を抱き父親を殺す子供が続出・・・
事例 昭和59年3月、ウエイターの19歳が、酒癖の悪い父親が母親に乱暴しているのを見て、
「こんな父親はいないほうがいい」と母親と共同して殺害。
(親殺しではなく子殺しですが)55年~58年家庭内暴力を振るう子供も続出
それに耐え切れず親が子供を殺害する。
事例 昭和58年1月、無職少年17歳は、高校3年に進学したころから登校拒否を続け、家族が
注意すると反発し暴力を振るうようになった。その後高校を退学しトラック助手として
アルバイトをはじめたが家族への暴力はエスカレート。見かねて祖父が注意したが
反発され、将来を悲観した祖父が少年を殴打して死亡させる。
勉強や就職のことで口論になり・・・祖父母殺害が増える。
両親以外にも被害者が及んできています。
事例 唱和58年3月、「働きなさい」と祖母に叱られ、15歳少女が絞殺。
無職(ニート)の子供が増えてきた
比較的おとなしめの子が登校拒否になり、ひきこもり、ニートになり家庭内暴力に向かうことが多い・・・?
このころから、殺害の対象は父親が増えています。
貧困だったころは、父親は外で一生懸命働いて家族を支えていたけど、
貧困が消滅したことによって、働く意味を見失い、家族からも必要とされなくなり、
酒におぼれ働かなくなり・・・あげくの果てに暴力
なんとなく想像してしまえます。
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posted by kado at : 2007.11.09 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList