| メイン |

2007年11月18日

学校ってどうなってるの?30<寺子屋の教科書・・・往来物>

江戸時代の教育機関である寺子屋はどんなだったのでしょうか?

 「剣客商売」道場さんによる 「江戸時代の民間の教育と学問」をみると・・・ 

○寺子屋の数
 享保六年(1721年)には江戸市中に寺子屋の師匠は約800人、幕末には全国で一万五千から二万ほどの寺子屋があったと推計され、寺子屋のない町や村はないとまで言われた。現代のように教員免許制度はなく教える場所も自由で誰でも自由に開くことができた。師匠の裁量が大きな部分を占め幕府や藩は援助も介入もしなかった。

○入学時期と卒業時期 早い場合は五歳から普通は七か八歳で入学し男子が十二、三歳、女子は十三、四歳で卒業するのが一般的。初午(二月最初の牛の日)を吉日として入学するのが通例。入門する年齢と卒業時期は個人の自由。卒業後は職人の親方に弟子入りや商家の奉公するなど就職した。女子の場合は教育の仕上げとして武家や大店に女中奉公し礼儀作法など厳しく躾けてもらった。

○授業時間と休日
 授業時間は決まりがないがだいたい午前八時から午後二時まで。昼食は十二時。給食はなく家に帰って食べるか持参した弁当を食べた。現代の小学校のように全ての授業時間にいる必要はなく通ってくる個人個人が来られるときに来て家の用事や御稽古事に通う時間になると帰った。休日は毎月の1、15、25日の定休日と五節句、年末年始12月17日から1月16日)と臨時の休日など年間五十日あるが師匠の裁量次第で自由に決められた。

○入門料と授業料 
 定額制ではなく社会的地位や経済状況に応じて支払える額を支払った。師匠は学は金銭で売るものと考えず師匠という地位を誇りに思い金銭についてはほとんど言わなかった。入門料は師匠にふさわしい額を近所から話しを聞いて入門者の親が判断した。二百文から三百文、余裕があれば二朱、大店なら一分を包んだそうだ。先輩に煎餅を配る習慣があり一枚五文ぐらいを人数分用意した。

 道具類は机は貸してもらえたが筆や半紙など他の道具は生徒が用意した。教科書は寺子屋の備品を使う。六月の畳替えや冬の炭代を負担し盆暮れや五節句には百文から千文程度(一ヶ月辺り二十文から三百文。)を親の経済的地位に応じて礼金として持参した。

○教育内容と方法
 現代の学習指導要領に相当するものはなく教育内容は師匠の裁量と父兄の要望に任されていた。まず最初にいろは四十八文字の読み書きと文字の意味や数字を教えた。短文の読書きを教え「名頭(人の姓の最初を漢字で書く)」や「名字尽くし」や手紙文や商用の送り状、請取状など実用的なものから江戸の町名を読書きしながら江戸の地理を学ぶ「江戸方角尽」や江戸の生活や行事について習う「江戸往来」や「東海道往来」や「国尽く」と言った地理を学んだ。

 その後、庭訓往来や漢文の基礎である千字文などを教えた。最後に百姓なら「百姓往来」、商人なら「商人往来」や相場について、職人なら「番匠往来」など子供の親の職業に合わせた教科書を使い職業に必要な用語を覚えた。また、礼儀作法を身につけさせるのも寺子屋に期待されていた事柄である。

 通ってくる子供の年齢や職業がバラバラで一律に教えるのではなく個別指導をしていた。庶民が武士の師匠に習うことはできたが算盤の代わりに唐詩選や千字文など漢文を教える。商家や職人の子供には漢文の知識は直接役立たない内容ではないのでわざわざ通うことは少なかっただろう。往来物は七千種類ありそのうち女性用は千種類あり寺子屋の備品で使いまわしされていた。  

           

地域のみんなで協力しあって子供の教育に必要な教育を受けさせていたという感じですね~
カリキュラムも必要に応じて多様だったようですね。中でも 往来物 といわれる形式は面白いですね!
・・・・・往来物ってどんなもの????ぽちっと押して次いってみましょう~

 

 にほんブログ村 子育てブログへ

%E5%BA%AD%E8%A8%93%E5%BE%80%E6%9D%A5.jpg

↑庭訓往来  画像は印刷博物館よりお借りしています。

 

「庭訓往来」の字義から見てみると、「庭訓」とは、孔子が、自分の子が庭を走り抜けるのを呼びとめて詩や礼を学ばなければいけないと諭したという「論語(季氏)」の故事から、家庭で子に親が教えることで、一方「往来」とは、「往来物」のことで、最初、往復一対の手紙文をいくつも集めて編まれた形式に由来する名称でしたが、近世では初等教科書として用いられるものすべてが往来物と呼ばれたそうです。

 「国語辞典」によると「庭訓往来」は、室町時代の往来物で、応永年間(1394~1428)に玄恵が著わしたと伝えられていますが、まだ成立時期・著者とも確定されていません。1年各月の消息文を集めた書簡集で、擬漢文体で書かれ、武士・庶民の生活上必要な用語が網羅され、江戸時代には寺子屋の教科書として広く用いられたものです。

 「往来物」は、平安時代の藤原明衡による「明衡往来」を最初として、一条兼良の「尺素往来」など7,000種が出版されており、「庭訓往来」は江戸時代に約170版が刊行され、往来物の代表(石川松太郎『往来物の成立と展開』1988年)とされています。

 「庭訓往来」の正月の往返状は新年の会、2月は詩歌の会宴、3月は大名の館造営、4月は領国の繁栄、5月は大名等の饗応、6月は盗賊討伐、7月は遊技競技会、8月は司法訴訟関連、9月は寺院大法会、10月は大斎行事、11月は病気治療、12月は地方行政の模様で、往状だけの8月の書状は将軍家の威容を伝えるものです。

函館市のHPより

教科書のタイトルは、故事に因んで名づけていますが、中身は、儒教とはあんまり関係なさそうです
どちらかというと、基本的な生活に必要な内容になっていることがらを取り上げていると言うかんじですね。   
しかしなぜ手紙?? 推測ですが、昔の庶民が何かを書き表すといえば、「手紙」だったのでは?
本を執筆・・・とか、考えにくいですよね。
当時の学校はとことん必要なことを教えていたようです :roll:
受験が終わったら、中身は忘れました~ ってことはなかったのではないでしょうか。

投稿者 bunchan : 2007年11月18日 List   

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.kansya.jp.net/blog/2007/11/394.html/trackback

コメントしてください

*