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学校ってどうなってるの?31(往来物の続き)

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●往来物の挿絵で上図の説明:大工の子は大工となり、畳刺しの子は畳刺しとなる。古着や煙草屋の手代も多く、その縁あってその商売をするものであることを示した。
*図本文でも、「人は馴れ習うものに自然と移っていくものである。それゆえ、大工の子は大工、畳刺しの子は畳刺しとなる。どの職業に限らず、大方は見慣れ聞き慣れた事をするものであり、古着屋の手代は古着屋となり、煙草屋の手代は煙草屋となるように、大抵その縁を引くものである。これらは馴れ習った事をするため、大いに結構なことである。誰でももともと同じ人であるが、学び習うことによってその道の妙を得るため、たかく良い事を学ぶべきである。猿に芸を教えればよく覚え、人の歌に合わせて上手に踊るようになるものである。これは特別な理由があるわけではないし、分別があるわけでもない。習い馴れた結果、芸をするのである。人間も良いことを学び習ったならば、出来ないということはないはずである。万が一、出来ないとしたら、それは禽獣にも劣るのではないだろうか。

出典:往来物倶楽部 [2]

《学校ってどうなってるの?30》で何故往来物は手紙の形をとったのだろうか。不思議に思った。
まず考えてみると遠い昔にできた文学や、船來の典籍などがむやみにありがたがるより、現実の生活、階級、職業、地域を含めた生活形態上の「郷土」を学び取ること。現実の生活の中で働いている通俗な言葉と文字が大切な学習用具として何よりも先に学ばれたのではないだろうか。

次に江戸時代は武士も町人も,先ず往来物で基本型を学んだ後に実用的な個々の書状を書いた。
そして手習いは文字通り実用本位の【行書先習】であった。生徒たちは行書(つづけ字)くずし字(草書)を書くことを通して読むことを学んでいた。
行書は書く人のそのときの心情が現れます。ちょっと読みずらいぐらいなので読み手はこれはなんと書いているか理解しようとして自分で書き写してみます。その意味では文章を読むということはまず書く(写す)ということだったのです。御先祖様の残した書き物を直に読み、彼等の心に直接触れることで字を学んでいた。これってまさに書き手の気持ちになって学ぶということでしょうか。

さらに実は,手紙を楷書にしろといった人たちがいます。
それは、何と戦後のGHQによる書簡検閲です。

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なぜならば,当時の大人の日本人は手紙を主に行書・草書で書いていたため,検閲官は判読に苦労し,その結果,文教政策に介入して「楷書体以外の学習は望ましくない」としたのである。
あの藤原行成(書の大家)は紀貫之から土佐日記の原本を借りて写本したのち、その原本を捨ててしまったそうです。いくら写して学ぶことが重要な時代とはいえこれはあんまりでしょう。

その後《学ぶ》とは書きもせずに文字を読む事が当たり前になってしまった。こうして江戸時代まで直結していた読む作業と書く作業が現在では分離していった・・。
現在の教育政策もGHQの介入を未だ引きずったものがほかにもあるのではないだろうか・・。

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