2007.10.27

またか!Σ( ̄ロ ̄lll)10代 No.5~昭和20~35年の事件~

sashowさんの『昭和初期(戦前)の事件~』に続いて、今回は昭和20~35年代におこった“親殺し事件”について事例検証をしてみます。

前回に引き続き『少年犯罪データベース 肉親に対する犯行』をベースに見ていきます。詳しくは同サイトを見てください。

昭和20~35年の親殺し(『少年犯罪データベース』での収録数:95件)の特徴は、

1.最も多いのが父親殺し(約3割)。その多くは、酒乱・母親や家族への暴力を振るう父親から家族を守るため、止むに止まれず殺人にいたるケース。

その他、目に付いたのが

2.躾が厳し両親(特に元軍人の父)への反発。
2.真面目な弟が働かない兄を殺害。
3.金目当て、もしくは金をくれないことへの恨み。

4.カッとなっての殺人が多く、計画的なものもそこそこ。
7.ネコイラズ(殺鼠剤)などの毒殺も数件。
8.犯行後の自殺や自首も多く、逃亡も同程度多い。罪の意識があることがほとんど。
9.知能障害・精神症の場合も数例。

数例を以下に添付しておきます。

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posted by sachiare at : 2007.10.27 | コメント (2件) | トラックバック (0) List   

2007.10.26

学校が無圧力になるから「考える力」が無くなる

「教育とは?」を考えさせられる番組を見たので今日はその報告から。

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体育の授業のドキュメント番組。
小学校5年生の体育の授業でハードルを飛ぶ。
先生いわく「いきなり飛ばせると、出来る子と出来ない子に2分化してしまう」
「全員に出来るようになるステップを踏ませる」と言う。
・・・・みんなに成功体験を積んでもらいたいとの方針らしい。

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posted by gokuu at : 2007.10.26 | コメント (2件) | トラックバック (0) List   

2007.10.25

家庭問題:幹になる認識の固定化(図解化)

たまには、当ブログの課題(テーマ)の前提になっている基本認識を図解化し、課題を整序(整除)することに取り組みたいと思います。それは、課題(テーマ)の優先順位や要不要の判断の基になります。 😮

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posted by toya at : 2007.10.25 | コメント (3件) | トラックバック (0) List   

2007.10.24

母親の意識

子供の出生に関して親が願う事は唯一つ、 :tikara: 健康に生まれてきて欲しい。五体満足であればそれだけで充分!!という話を出産前のお母さんからは聞きます。実際それは、偽らざる親の期待。
しかし、健康に生まれて以降、お母さんの期待や評価意識は健康だけに留まらない、それは、今と昔でどう変わって来たのか。

 60年代の母親の流行(=意識)潮流を考えてみると、農村から都会へ都市労働者が増え、(母親に)育児の事を聞けないことから『育児書ブーム』が起こります。さらに
この頃、サラリーマンの夫が外でフルに働き、妻が家事に専従するという仕組み=専業主婦の仕組みが完成へと向かった時代。また、高度成長期においては、まだまだ学歴意識が働いていた時代で、お母さんの評価=子供の評価という、評価軸が強かったからこそ、子供に意識が向っていたよう 😯 です。

現代においても、お受験等が低年齢化し、子供の教育にたいする意識は、低くないといえますが、自分をさておき子供のためにを考えてきたお母さんの意識とはだいぶ違うようです。 🙄

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posted by shijimi at : 2007.10.24 | コメント (0件) | トラックバック (0) List   

2007.10.23

学校ってどうなってるの?27~お寺と寺子屋・8割を占める江戸時代の農民の教育~

江戸時代の教育機関は、大きく分けて藩校・私塾・寺子屋の3つといわれています。藩校・私塾は、幕府・藩の体制・統制下に置かれた教育機関で、民間運営の寺子屋とは、一線を画しています。
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さて、その寺子屋を運営していた方々はいったい誰だったのでしょうか?

『寺子屋教育に果たした僧侶の役割』というHPの中では、こう論じられています。

1】「日本教育史資料」8,9巻によると、身分欄は多彩で、僧、神官、修験者、浪人、武士、農業、工業、商業、医師、平民などがある。
2】寺子屋の多い愛知県では、寺子屋の経営者をみると尾張は、僧侶27%、平民25%、農業25%、神官9%、医者7%など。三河は僧侶34%、平民32%、農業19%、医者6%など。どこでも当初僧侶が多かったが、町中では経済が発展し新興商工業者が増えると僧侶に代わる経営者が出てきた。しかし農村部では僧侶が多い、浄土真宗では村単位にお寺を建てたということもあるだろう。
3】中世から始まった「講」とか寺子屋が今様に言えば地域のコミュニティーセンター、公民館のような役割を果たしていた。

と分析されています。結構、僧侶の割合が多いところがあります。

では、なんで、僧侶が布教活動以外に、読み・書き・算盤などを教え始めたのでしょうか?

それは、平安時代からの僧侶育成の為の教育・学習が発展したもの【参考:寺子屋は、いつできたの】と言われてるようですが、直接的には、寛永12年(1635)に江戸幕府が制定した寺請制度(=檀家制度)が影響しているようです。本来はキリシタンを防ぐ目的の制度であったこの制度は、寺の檀家がキリスト教徒ではないと寺が保証させる制度であった。もっと言えば、寺は今の市町村役場の住民課にあたり、戸籍・住民票・諸証明書を管理・発行する幕府の出先機関を作る制度であり、村の住人を、寺に収束させ、管理・支配するものでありました。お寺側としては、檀家を獲得でき、お布施を収奪できることから、確固たる制度として定着し、寺と村と藩その住人を結びつける役割をになっていたようですが、次第に、掠奪・行為が横行して、幕府が乗り出し、寛文5年(1665)、江戸幕府は『寺院法度』を決め、寺院僧侶の生活規範を改善しようと努めた。

この寺請制度が、寺に村の住人を収束させ、寺中心に村落がまとまり、かつての寺の教育制度と社会的、経済的な要請や藩・村全体の社会適応のための教育の要請や奉公のための教育要請があいまって、寺という地域コミュニティーから、僧侶などの知識階級が、読み・書き・算盤を教え始めたというのが、寺子屋の発祥の理由ではないか?と思われます。

そんな藩や村の期待に応える活動が、8割を超える教育を受けられない農民の能力アップと識字率アップに寄与してきたのだろうなぁと感じています。

もともと、読み書きなどは、お寺のお経を読み書くという歴史的要素と僧侶を目指す若者への学習機能的要素が存在していたのかも知れませんね。

しかし、良く考えてみると、村単位での規範・躾の学習以上に、観念教育が必要になったということのように思えますね。この頃は、まだ、寺子屋で教えていた内容と村単位で生活密着に密着して教えていた内容とでは明確に線は引けないようにも思えますが・・・

社会的外圧を受け、藩や村の集団単位の同類圧力から生まれた寺子屋に、本来の学校の原型を見るように思います。

【寺子屋の言語由来】
寺子屋なる言葉はいつから使われたか明確ではない。中世から子供が手習するときに、お寺に預けてお坊さんに躾教育をしてもらうのを「寺子」と言う。それがお寺でなく神社、庄屋、武士、医者などで手習するときも慣習上「寺子」と呼んだ。屋は経営・指導の母体の総称で、民間で手習するときの施設を寺子屋と言うようになった。

ということでした。

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posted by 2310 at : 2007.10.23 | コメント (1件) | トラックバック (2) List   

2007.10.22

学校ってどうなってるの?26

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何故江戸時代は教育制度が充実していたのでしょうか。考えてみました。
江戸時代は幕藩体制により、各藩はいやおうのない「農業振興」と「財政再建」という2大圧力に常に晒されて続けていたのでは・・・。
それによって教育制度(藩校から寺子屋)というの充実を見たのではないでしょうか。
検証してみます。

江戸初期の生産の増大と経済発展http://note.masm.jp/%B9%BE%B8%CD%B4%FC/

元禄(1688~1703年)の頃になると,新田開発による耕地面積の増加とともに,農業技術も一段と進歩して,農業生産が拡大した。干歯扱(せんばこき)や備中鍬などの農具や,油かす,干鰯(ほしか)などの肥料もこの頃になると使用され始め、また作物としては油菜,茶,紅花等の商品作物の生産が盛んになった。これらの農業生産の拡大の背景には,鎖国の完成による国内市場圏の確立と交通手段の整備(五街道・脇往還,宿場町など)があり,特にそれらによってもたらされた商業の発展か大きな要因となっていた。

幕藩体制とは政治的には,将軍及び大名,たちによる強力な統治・支配,経済的には武士階級による農業生産への収奪を基礎とする制度です。
それは江戸幕府300年間の制度として揺るぎなかったのです。
ところが平和になって生産力が上がり、経済が活発化しているのに武士の給料は上がらない。
戦国時代のように手柄を立てて加増ということもない。
参勤交代の費用や家臣に払い費用を差し引くと自由に使えるお金は残らない。

これは幕藩体制発足当初から藩財政破綻が、約束されていたようなものです。

さらに天災による飢饉は各藩の財政基盤を直撃する。
それでも農業生産を基盤とする制度は変えられない中で藩毎に自給するして行くしかない。
一時薩摩藩は1石1両で換算すると73万石の年間収入に対し500万両までの借金があったそうです。

江戸幕府だけは商人から冥加金や貨幣改鋳や貿易という手段がありましたが、諸藩は、自力で生き延びるためには、否応なく農業振興と財政再建という藩政改革をせざるを得なくなっていた。
そういう外圧に晒されていたのではないでしょうか。

「農政学」という農業振興技術の進歩と「藩政改革」による能力のある人材の登用という2つの外圧要因が当時の《教育圧力》をつくりだしたのではないでしょうか。

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posted by tennsi21 at : 2007.10.22 | コメント (0件) | トラックバック (0) List   

2007.10.21

学校ってどうなってるの25~寺子屋のしくみ~

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 学校ってどうなってるの23~江戸の外圧と教育 に書かれている、~庶民教育において「学問」(実学)は寺小屋が担っていたとして、主な「規範」教育は日々の生産の場(村落共同体、丁稚奉公等)あるいは、「若者組」か?

 について調べてみました。
このブログの‘07/9/1にhiroakiさんが書かれていた、「江戸時代の教育事情~戦前まで残っていた若者組」 が参考になりました。 😀
 そのなかで出てきた、「若者組」と「寺子屋」。若者組が詳しく書かれていましたので、ここでは主に、「寺子屋」関連について調べて見ました。

 まず、江戸時代の学校は、武士階級の子弟のための藩校と、一般庶民のための寺子屋があるそうです。藩校、寺小屋の概要を「国民の歴史(西尾幹二氏:著)」にて調べてみました。以下概要を抜粋します。 😀

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posted by hoop200 at : 2007.10.21 | コメント (0件) | トラックバック (0) List   

2007.10.20

学校ってどうなってるの24 江戸時代の朱子学って何?時代の圧力構造と学門

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これからの教育を考えるために近現代の社会の圧力構造と集団課題、教育を探るシリーズの、今回は江戸時代編でテーマは朱子学です。これに着目した理由は、徳川幕府が国学に指定していた、朱子学とは儒教の一派で日本の規範教育にも近いものがありそう、といった所です。さて実際は・・・

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posted by saito at : 2007.10.20 | コメント (1件) | トラックバック (0) List   

2007.10.19

学校ってどうなってるの23~江戸の外圧と教育

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「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」by徳川家康

「学校ってどうなってるの?」シリーズ久々の再開です ご無沙汰しておりました

今回からしばらくは、前回・・・と言っても9月頭だったのですが・・・「学校ってどうなってるの22」で中間まとめを行ったように、歴史を振り返る中から、これからの教育のあるべき姿を考える上で必要な認識を抽出していこうと思います。

現在の教育の問題を考える上でも不可欠の視点として・・・何らかの社会的圧力なしには教育は上手く機能しないのではないかと思います。
家庭においても学校においてもガタガタの教育を立て直すためには、正確に現在我々に作用している外圧を掴むことが不可欠ではないかと。

従って、各時代の外圧⇒社会や集団の在り様⇒教育の目的や制度・・・と言った軸で分析を進めていくことで、突破口が見えてくるのではないかと考えています。
多少“教育”から外れてしまうこともあるかもしれませんが・・・ :nihi: よろしくです :tikara:

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posted by kota at : 2007.10.19 | コメント (0件) | トラックバック (0) List   

2007.10.18

またか!Σ( ̄ロ ̄lll)10代 No.4~昭和初期(戦前)の事件~

前回昭和30年代の事例検証に続いて、今回はもう少し遡って、戦前の昭和元年から昭和20年代におこった“親殺し事件”について事例検証をしていきたいと思います。

前回匿名さんから有用なサイトをご紹介いただいたので、その『少年犯罪データベース 肉親に対する犯行』をベースに見ていきます :tikara:

詳しくは同サイトを見てください。 😯

戦前の親殺しの特徴は、

1.父親殺しが母親の3~4倍と圧倒的に多い。
2.その動機が酒乱、働かないことに対する困窮、妾・継母優遇・母親軽視、金銭(財産)奪取など。
3.一家のため、或いは家族の協力での父親殺害などもある。
4.カッとなっての殺人が多く、計画的なものもそこそこある。
5.ネコイラズ(殺鼠剤)などの毒殺も6~7件ある。
6.犯行後の自殺や自首も多く、逃亡も同程度多い。罪の意識があることがほとんど。
7.知能障害・精神症の場合も数例。

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posted by sashow at : 2007.10.18 | コメント (4件) | トラックバック (0) List