2008.10.15
学校ってどうなってるの?80~【聴写の効用その1】
写真1・2:豊玉南小1年生の授業風景。子ども同士で「聴き合う」、
横の関係づくりを大切にしている
学校でどうなっているの?69: 「学力低下をどうする?!」第3弾にあるように思考とは本来“自分”の頭の中で完結するものではなく、皆の表情を見、話し、声を聞く・・・「やりとり」の中で成されるものであり、「やりとり」を通じて思考回路が形成されたと言うことができる。(「学び合い」 「音読」 「聴写」などが有効なのは、そのためであると思われる。)ここでは特に聴写に焦点を当ててみる。
まずはここから
聴覚とは【同期すると充足する機能】ではないか
・サルやヒトの共認機能は、このような緻密な周波数の識別能力を土台にして、相互の発する周波数が「同期」する時に充足回路が強く刺激される、という機能を塗り重ねたものかも知れません。とりわけ心音のビートやリズムが安心感やトランス状態を生み出しやすいのは、胎児期の記憶に繋がっていると同時に、自らの体にも心臓の鼓動として常にそのリズムを持っているからではないでしょうか。
ここでいう共認機能の基礎となっているのは共鳴(共振)機能であり、どうやら人類は聴覚⇒視覚の順で統合しているらしい。出産後、視力の発達とともに既に記憶されている聴覚記憶と視覚情報(母親の顔や表情)を一致させていくことで充足統合されてゆく。そして社会に適応するためには【(視覚=観念回路)よりも耳(聴覚=共認回路)を重視】する必要があります。
では社会に適応するためにどうするのか?どう勉強するのか?具体的に事例を紹介したいと思います。
そのまえにクリック願います
続く
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posted by tennsi21 at : 2008.10.15 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2008.10.14
子どもはどこで育つ?
家庭が市場に取り込まれてきたことや、家庭は寝床でもなくなってきているといった状況が明らかになってきましたが、一言で言えば「家庭」は現代社会に適応できなくなっているのではないでしょうか。
現代家庭の典型は言うまでもなく核家族家庭。かつて、父親が外で働き、妻は家事を担い、子どもも家事や仕事の一部を担いながら勉強するというように、家族みんなで支え合いながら生存するための場を築いていた時期もありましたが、いまや全ての機能を無くしてしまったようです。
ネットカフェ難民という話題がマスメディアでとりあげられていますが、これは家庭に残されていた寝床という機能まで失いつつあることを示唆しているようにも見えます。
一方、家庭は子どもの養育という重要な役割を担ってきましたが、それはどうしたらよいのでしょう?
これまでに報告された事例などを振り返りつつ、改めて課題を明らかにしてみたいと思います。
続きはポチットしてからお願いします。
posted by wyama at : 2008.10.14 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2008.10.13
家庭は今やネットカフェ難民?
いきなりベットの写真ですが・・・・・・これが家庭の最期の役割かもです(写真はコチラから)
家庭の役割や機能は、時代と共にアウトソーシングされて来た。
家事は、家電製品、冷凍食品、惣菜、ケータリングなどの宅配サービス(終いには毎日の献立レシピと人数分の食材が送られてくるらしい)、等に取って代わられ、クリーニングや、テレビショッピングなどの通販まで使うと、家事と呼べる作業は残らない。
子育ても、保育園や幼稚園、学校に塾、習い事と、その殆どを外注化してしまえる。
というか、実際にそうしている。
老人介護も言うまでもなく、アウトソーシングされてるケースが少なくない。
残る役割は「家族の団欒」?
いつものヤツお願いします。元気になりますんで
posted by gokuu at : 2008.10.13 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2008.10.12
家庭と市場の蜜月関係
さて、ここ日本における家庭の変遷について、当ブログでみっちりと扱ってきましたが、そろそろその核心部分に迫って行きたいと思います。
核家族化⇒密室化⇒聖域化
という流れを作り出してきた社会背景がある。
それが、タイトルに挙げた『市場』というシステムだ。
市場と家庭とは、どのような関連性にあるか?
気になりますね~ 🙄
ぜひ、ボタン を押して続きへ進んで下さい。
posted by kawait at : 2008.10.12 | コメント (4件) | トラックバック (0) TweetList
2008.10.11
家庭が聖域化されていった背景
こんにちは~
現在、家族内での事件が頻繁に報道されていますが、これは核家族だからというだけでは説明できないと思います。
これまでの歴史・圧力状況から今日ある家庭を生み出されたことを把握する必要があると思います。
今回は、おさらいということも踏まえ、現在の家庭の形にたどり着く過程を押えていきたいと思います。
応援よろしくお願いします!!!! 😉
posted by kaneking at : 2008.10.11 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2008.10.10
学校ってどうなってるの?79反復と発信と記憶~脳への入力と出力~
学校ってどうなってるの?69~「学力低下をどうする?!」第三弾!
で、展開された「学力低下をどうする?!」を元に、反復と発信と記憶~入力と出力~はどのようになっているのか?を探って見たいと思います。
るいネットにはこんな事例がありました。
>ある中学生の女の子は、成績が抜群な割には塾に通ったり、夜遅くまで勉強したりという風には見えなかったそうです。で、どうして成績が良いのか聞いてみたところ、「毎日、お母さんに教えているだけ」だとのこと。その子のお母さんは小学校しか出られず、中学校の勉強への憧れがあった。そして、それを知ったその子が学校で学んだことをお母さんに教えることをはじめたというわけです。それが、学校での勉強を身につける集中力やそれを整理して発信するという過程での理解力につながっていた。学んだことをすぐに発信する、あるいは何のために発信するのかを明確になった場合の理解力は飛躍的に上がるのだと思います。
「まず「やってみる」ということ(入力より出力) 」(田中素さん)
> 声を出す(音読する)という行為そのものが、共認・共感を得る為の重要な機能であって、同化する力をはたらかせる要因となる。
人間の脳は「出力依存型」である、という説があります。出力からのフィードバックによって神経回路のつながりが強化され、記憶や論理の獲得がされていくそうです。
> 脳は学習によって情報を処理するプログラムを獲得し神経回路に構築するのですが、新しい入力情報は、すでに獲得した神経回路を活性化するための検索情報として使われ、出力が行われると学習効果が生じプログラムの書き換えが起こります。この様に学習は、入力と出力を関係づけたもので出力依存であり、出力がなければ学習しません。
> 脳が出力を出すかどうかの判断は、入力情報の粗い意味とそれに基づく価値評価によって、即座に行われます。すなわち、入力情報は視床でその粗い意味・概念が調べられ、それが扁桃体に送られ、脳にとって良いかどうかの評価がなされ、良いという評価を得られると脳活性が高まりこの結果この情報の認知情報処理中の大脳新皮質での学習効果が上がるので出力することになるのです。
読む、聞く、見る、というのは主に入力系の活動だと言えます。例えばテレビを見るだけでも一応は物を覚えられますが、その力は非常に弱く、むしろ思考を停止するためにテレビを見たりすることもあります。書かれた物を目で追うだけ、という行為もそれに近いということだと思います。
これに対して、話す、書く、行動するという出力系の行為が、学習効果が圧倒的に高いということになります。子どもが言葉を覚える時も、「誰かに何かを伝える」ことの必要性と可能性をまず潜在思念で判断(上記の価値評価)し、まず真似(出力)を始めて、それから次第に学習を進めていくのだと考えられます。
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私たち人類の人類たる由縁は、心と知能をもつと一般的に言われています。この心とは、具体的に言えば、現実や対象へ同化する能力(共認機能といっています。)であり、知能とは、対象と同化し、把握するために、必要な状況把握と外圧に適応するための仮説と答えを導く為の能力です。(観念機能といっています。)
もっとも私たちがもっとも生きてゆく上で重要な【同化能力】・・・
何かに『同化する』ということは、出力して初めて同化できたかどうかが分かるという構造があります。
例えば、何かのまねをする場合、身振り、手振り、言葉、表情などを繰り返し発信・出力して【同一・同様】と判断されることで、同化が完了します。
私たちの進化の過程で、この同化能力を特化して、人類は生き延びて来ました。脳の回路も記憶の回路も記憶の方法も記憶の定着場所や方法も、この同化が完了したことをもって、完成するという仮説を提起します。
よって、同化が完了するには、入力だけでは、脳の記憶回路(海馬や前頭連合野など)に定着するに足りず、出力を行うことで、完結し充足した結果、脳回路に長期に定着するという構造になっているのではないか?と思われます。
また、別に、PTSDのような短期ショックが強く記憶に残る症状があるようです。海馬の萎縮が原因のようですが、出力を伴わないでも、強力な外圧が入力した場合、強く記憶に定着する場合があるようです。これは動物的本能(機器逃避本能)への作用のように思われます。共認機能・観念機能より、より根源的な本能機能の変質によるものと思われます。
一般的に、学習という面では、同化能力が重要で、共認・観念の位相では、入力と出力が同じであったということをもって、同化した=充足したことが、記憶の定着の鍵を握っているように思います。
現在の学校教育や家庭での育児は、この同化という過程をすっ飛ばし、観念ばかり教えるから、「覚えても意味ないじゃない?」「使えないなぁ・・・」という感触を誰もが持つこととなるのです。
学習とか、勉強の先には、相手や対象があって、それらに同化して適応する=その期待に応望することを教えないとその目的を見失っていきます。そのためには、期待に応えられた=出力して発信してみたら、同化できたことの大切さと充足感を与えることが、大人の役目かも知れません。
クリックしてね。 😀 😀 😀
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posted by 2310 at : 2008.10.10 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2008.10.09
学校ってどうなってるの?78~「反復」はなぜ有効か?連関と反復について~
学校ってどうなってるの?69~「学力低下をどうする?!」第三弾!
で、展開された「学力低下をどうする?!」 で気になっているのは反復。学力を上昇させるには、最近、百ます計算や反復音読などの基礎を何度も繰り返すことで能力アップが図れるとよく聞きます。
さて、反復は、連関記憶を作る核となり、脳内神経細胞のネットワークと神経細胞のつながりの強化を促すと仮説してみよう。
例えば、何かの漢字を覚えようと反復してみた。こんな感じで・・・
・この漢字は、難しいなぁ。とりあえず、書かけるかなぁ?
・もう一度書いてみよう。
・やっぱり書けない。どうやったらかけるんだろう。
・口に出していってみよう。
・今度は、手本を見ずに書いてみよう。
・やっぱりかけない。くやし・・・
・他の漢字も覚えてみよう。
・あれ、この漢字、どこかで見た。
・そういえば、さっきの漢字は、どこかにあった。
・もう一度書いてみよう。
・やった!かけた!
・一日経つとわすれてしまった。
・もう一度書いてみよう。半分かけたなぁ!あんちょこみてみよう。
・もう一回書けば忘れないな?
・これってどんな意味なんだろう?
などなど。反復は、思考の連携を想起させるもの。単に、何回も無意識に書くだけでも、嫌気が差すとかなんとなく覚えたという感覚を持つものだ。
現代の認知心理学・脳科学的にいえば、反復が長期記憶回路に定着するメカニズムの解明?という問いであろうと思われます。記憶とは、脳の何らかの記憶回路の回線を太くして、伝達物質を通りやすくするということ。過去の記憶と成功体験と状況などへの結びつきを強くして、記憶回路に定着してゆくということ。それに反復がなぜ有効なのかどうか?という問いだと思っています。
生物は、外圧を常に受け続けている。どんな生物であれ、外圧を受け、それに適応しようとして可能性を探索して実現し外圧を突破してゆく。その際、内部の活力(活性化)を伴い、活性化しなければ、死滅してしまう。
生物には、外圧状況を認識する外部認識機能と内部欠乏を認識する内部認識機能を持つ。これが、イコールで結ばれたときに、初めて実現するという構造がある。本能の場合は、それが瞬時に行われ、外圧を察知して行動に移るという極めて短期で、瞬時に、反応できる。これも記憶と言えるだろうと私は思う。
しかし、それらは、本能の範囲内であり、それ以上の外圧の変化には対応できないという欠陥があり、やもすれば、外圧の変化のスピードに適応が追いつかず滅亡・絶滅を招くこともある。
真猿は、集団をつくり、共認機能を生み出した。それは、同類闘争圧力(同類同士が戦うという圧力)の外圧には、本能的に対応できない為、生み出した機能である。
さらに、人類は、極限時代に全的不全に陥り、唯一可能性のある猿からの共認機能を武器に自然と対峙し観念機能を生み出し、極限の生活を乗り切った。
この過程で、記憶機能という外圧=内圧の実現態記録(充足機能)が、塗り重ねられてきている。るいネットでは原核生物でも記憶が存在するとする説■過去を“記憶”するのは生命原理のひとつ(土山さん)もあり、納得がいく。細胞膜の選択透過機能も記憶とも呼べる可能性はある。
■さて、記憶の定着に、反復がなぜ重要なのか?使えば使うほど脳の回路が使われ太くなり、思い出しやすくなるということはあると思われるが、それだけでは、機械的で、細胞膜の透過性も本能で生きる動物と同じレベルであり、猿・人としては、もういくつか?の反復による記憶固定度強化のメカニズムがあるように思われます。それを解く鍵は、猿・人類特有の共認機能にあると思われます。
■共認機能とは、簡単に言えば「心」。相手と自分とを同化して、相手と自分を重ね合わせて、理解する機能である。相手とは、人だけではなく、他の生物でも自然でもなんでも対象となりえます。最も対象となるのは、先ほどの外圧=現実の課題。また、共認機能とは、ネットワーク機能。多くの対象とネットワーク=連関を構築して、外圧=現実の課題を突破してゆくこと。反復することで、この対象への同化を高め、ネットワーク=連関を構築してゆくことができるのが猿と人類である。
■猿と人類の違いは、観念機能を持つかどうか?であります。観念機能とは簡単にいうと「言葉」。「言葉」により頭の中で、多くの対象の状況を把握することが可能です。人類が言葉を反復することは、記憶に定着するということ。入力と出力を反復して、対象と何回も同化を試み状況を言葉で把握するということ。特に入力ではなく出力することが、反復することの意味を深く探ってくれるようだ。
このように、人が反復して記憶に定着するということは、この共認と観念機能をのネットワークの訓練することであり、対象への同化度を高め、脳内のネットワーク=連関度を高めていく、最初のステップが反復なのだろうと思います。
さて、みなさん。最近、反復していますか?
【まなぶ(学ぶ)はまねぶ(真似ぶ)。ならう(習う)はなれる(慣れる・馴れる・倣う)。】
などと言われています。実感を伴い、いろんなことを学んで習って繰り返して真似してみよう。それが、社会でも学校でも会社でも家庭でも役に立つかも知れません。
記憶回路のことをもっと知りたい方は、続きをどうぞ。
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posted by 2310 at : 2008.10.09 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2008.10.07
学校ってどうなってるの?77~【やりとり】こそ人類本来の思考法
葉公語孔子曰。吾黨有直躬者。其父攘羊。而子證之。
孔子曰。吾黨之直者異於是。父爲子隱。子爲父隱。直在其中矣。「論語 子路第十三 十八」
やりとりと聞いて教科書に【やりとり】が多いのは何故?だろうかと思いました。
江戸時代の教科書は庶民は往来ものという手紙の【やりとり】をまとめたもの、武士は論語という孔子と弟子の【やりとり】を集めたもの。そういえば枕草子も中宮定子と作者との【やりとり】。蜻蛉日記とか日記というのも作者が毎日の【やりとり】を記したものです。現代のマンガや映画も登場人物の【やりとり】がおもしろさの命ですね。ブログはコメントやトラックバックがあるからこそいろいろ調べたくなる。結構【やりとり】は人が何かをまなぶ(まねぶ)うえで基本的な思考基盤に成っているのではないでしょうか
そもそも・・・なんと生物史に遡って考えてみようと思い、るいネットの中を探してみました。
・原始生命と群れ【仮説】
・よくよく考えると、地球誕生時は無機物の塊であり、太陽エネルギー・電磁波、引力と地軸のズレより→地殻活性・海・大気生成及び宇宙波防御というふうに環境(外圧)は変化したものである。ここで、生命(有機タンパク)の誕生は、分子レベルの化学変化による賜物でしかなく、その原初形態は当然のごとく不完全な状態からのスタートは理に適う。
・当然不完全であった原初から群れて助け合い・生きてきた事は疑いようが無く、逆にそうしないと崩壊(全滅)するという状況下であったのが事実なのでしょう。
・ここでその分子構造をなるべく安定化するよう適応した結果が細胞という一定期の完成物であると考えると良いと思われ、その適応手法=群れる行為は、遺伝子レベル・歴史レベルから見ても最も根幹にある適応手段なのだと考えられます。
・そして、本来のタンパク質構成を劣化させたが故に、低温化に進化適応していったと言える。
にあるように、生命を形作るタンパクそのものも「完全では無い(=高温での適応と低温での適応で構成が変わってしまう)」所からスタートしているからこそ、その可能性の低温化での適応に向かう構造にある事も伺え、そこでもまた不完全である故に群れる必然性が発生しているとも言える。
『生命は誕生時点から不完全(完結したものでは無い)なものであり、ゆえに共に生きてきた=群れる結果になった』
※このように認識を仮説とは言えベースにして生命を考えると、生物が逆境に進化するのも、外圧に適応するよう生きているのも、圧力を生み出してでも活力を出しているのも全て納得が行く。そもそも不完全であるが故に適応し続けなければ淘汰され、完全を求めても幻想に終わる=あるのは適応し続けるだけである。といった現代の人間社会(仕事であれなんであれ)に共通した根概念である事に改めて気付かされます。
この投稿によると生物とは不完全であること、だからこそ相互のやりとり=群れることが必要であることが、わかります。そしてこれが、生物史をつらぬく重要な認識であるということ。人類はむしろもっとも不完全な動物であったからこそ『相互のやりとり=群れること』がより以上に必要であったのだと。原核生物では群れることで外圧に適応してゆく。人類においては外圧に適応するため、相手との共認のやりとりから始めるのである
>共認とは期待と応望の交信(やりとり)であり、そこにこそ共認の生命がある。<素人の社会活動33 投稿様式の模索人類の本性は共同性にあり、とりわけ共認充足こそ最大のエネルギー源であり生きる目的となるのである。
>みんな期待とは、共認回路を開いていくことで多くの人と様々なことを【やり とり】する行為を重ねることを言う。
<人類はその不完全さ故に、相互の【やりとり】=群れることにより共認機能を生み出した。そのことにより考える基盤が出来たのだと思う。
>因みに、これは、人類の本来の思考様式を表わしていると言える・・・思考とは本来“自分”の頭の中で完結するものではなく、皆の表情を見、話し、声を聞く・・・「やりとり」の中で成されるものであり、「やりとり」を通じて思考回路が形成されたと言うことができる。(「学び合い」 「音読」 「聴写」などが有効なのは、そのためであると思われる。)学校ってどうなってるの?69~「学力低下をどうする?!」第三弾!
つまり『思考する』こととは本来開かれた存在なのであり、自分だけで完結するものではない。
まさに『やりとり』こそ人類の思考の原点であるということである。
次にいく前にクリック願います
続く
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posted by tennsi21 at : 2008.10.07 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2008.10.05
学校ってどうなってるの?76 個人主義の拡大に伴う同化対象の喪失
学校ってどうなってるの?69 学力低下どうする?では、「個人主義が同化対象を喪失させた」と展開していますが、これはどういうことなのでしょうか?
日本の「個人主義」は明治時代にまでさかのぼります。かの夏目漱石が英国留学で得た個人主義を紹介する「私の個人主義」という講演があります。
今回は個人主義とは何か?について探ってみたいと思います。
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posted by saito at : 2008.10.05 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2008.10.04
核家族における家庭内での役割
カネキチくんに続いて、ネットサロンから
前回のサロンは、多岐に亘って議論が広がった。
その中でも役割、期待⇔応合=共認充足(参照:共認機能)は、一貫して触れられていたテーマであり、心が充たされている状態=共認充足が得られる状態(条件)とは?
そこには役割があり、そして、互いに期待(期待とは一方通行ではない。ここポイント)が込められている。
では、現代の普通と思われている家庭=核家族の中には、役割そして、期待はあるのだろうか?
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posted by sodan at : 2008.10.04 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList