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家庭が聖域化されていった背景

こんにちは~

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現在、家族内での事件が頻繁に報道されていますが、これは核家族だからというだけでは説明できないと思います。

これまでの歴史・圧力状況から今日ある家庭を生み出されたことを把握する必要があると思います。

今回は、おさらいということも踏まえ、現在の家庭の形にたどり着く過程を押えていきたいと思います。

応援よろしくお願いします!!!! 😉

まず、家族制度と生まれた明治の状況を押えたいと思います。 🙂

○明治初期、教育制度改革と庶民生活の実態 [2]

○明治~昭和初期にかけて、庶民の家庭は成立していたのか? [3]

他国と対等に戦うために兵力が必要→国が徴兵制・戸籍制度を導入
⇒税金を払うためにお金が必要

他国と対等に戦うために闘うためには武器が必要
⇒武器を買うお金が必要

工業化に伴って労働力▲→義務教育・大学制度
⇒教育するのにお金が必要

明治時代は、他国と対等に闘うためには、このような制度だったりお金が必要だと感じられますが、これだけでは、人は進んで闘いたいとは思わないですね。

戦いたいと思わせるのではなく、義務教育がいいんだよとか、お金が必要と思わせることを人の意識に働かせることがポイントだったのだと思います。また、義務教育によって、お国のためにという教育がなされたことによって兵力を作り出していったのだと考えられます。

次に、明治以降の家庭(婚姻制度)はどのようなものだったのでしょうか? 🙂

○明治期庶民がどのようにして新しい家族制度を受け入れたのか [4]

○明治時代の結婚観・家族観ってどんなん? [5]

明治時代以降には婚姻制度も生まれしたが、当初は婚姻制度を守る人はほとんどおらず、村の規範である夜這い婚を行っている人がほとんどでした。しかし、時代が変化するとともに市場が開放し、圧力状況や人々の意識が変化し、核家族が徐々に増えていきました。

核家族が増えた背景としては、両家の見合い婚などもあげられますが、男が私権獲得を目指し、女は私権獲得した男と結婚するため性的な価値を磨いていたことも大きな要因だと考えられます。
しかし、この当時結婚し、家族(核家族)となったとしても、夫婦そろって働かないと生きていけない状況がありました。

夫婦そろって働いているので、役割を見つけて家族のために働く子供も多かったと思います。だから、この当時は家庭内でも各々に役割があったため、機能はしていたと思います。 😛

しかし、戦後になって高度経済成長し、便利な道具も増え、一億総中流と呼ばれるくらいみんなが豊かになった1970年以降は、私権が衰弱していきます。

そうなると家庭内での親(母親)の役割はどんどんなくなっていき、子育てのみになっていきますね。 😯

最近では、子育てパパという言葉が生まれるぐらい家庭の中での役割が、子育てオンリーになってしまっている気がします。(確実に私権が消滅したことを意味している)

こうなってしまうと、現在いろんな人を悩ませるモンスターペアレントやモンスターペアレントに育てられたモンスターチルドレンが生まれてしまうのも必然的な構造なのかもしれません。

○なんでモンペになっちゃうの? [6]

しかし、このままでいいのか!? 🙄 (全然良くないですよね!!)

どうしていったらいいのかみんなで考えて答えを出していく必要があると思います。 😆

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