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家庭は今やネットカフェ難民?

いきなりベットの写真ですが・・・・・・これが家庭の最期の役割かもです(写真はコチラ [1]から)
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家庭の役割や機能は、時代と共にアウトソーシングされて来た。

家事は、家電製品、冷凍食品、惣菜、ケータリングなどの宅配サービス(終いには毎日の献立レシピと人数分の食材が送られてくるらしい)、等に取って代わられ、クリーニングや、テレビショッピングなどの通販まで使うと、家事と呼べる作業は残らない。

子育ても、保育園や幼稚園、学校に塾、習い事と、その殆どを外注化してしまえる。
というか、実際にそうしている。

老人介護も言うまでもなく、アウトソーシングされてるケースが少なくない。

残る役割は「家族の団欒」?

いつものヤツお願いします。元気になりますんで

これも微妙で、そもそもかなりの部分をアウトソーシングした家庭においては、家族みんながかなり忙しいわけで、そうそう家族全員が集まる時間が取れない。
しかも、一人一部屋の家庭で、パソコンやテレビを1人1台を持たせようものなら、かなり無理をして、気合を入れて、号令掛けないと、その集会が開けない。
この気合を持ち合わせているパパ、どれくらいいらっしゃいますか?

これが、現代家庭の実態像?

ここまで来ると、家庭はまるでネットカフェ。
個室で夫々の時間を過ごし、たまに、偶然の様にリビングで家族と会話。
って事は、「一億総中流」改め「一億総ネットカフェ難民」!!!状態。

勿論、「全て当てはまる」って事ではないかもしれませんが、かなりの部分当てはまってる方は少なくないと思います。

このように家庭を俯瞰してみると、少し寂しくなる気もしますが・・・・・改めて

「家庭に残された役割は?」と考え直すと「寝床」ってところでしょうか?

家庭の話題と言えば、旧くは、教育ママゴン、マイホームパパ。最近では子育てパパなども登場してきていますが、「どれも無理があるなー」という気がしてならない。

子育てパパに至っては、子供を通り越して、マイブログへの我が子レポート作成に作りに日夜夢中! なんてケースも少なくない。
家庭内でのパパの役割欠乏状態かもしれませんね。

子供側から見ても、土日の度に、パパ、ママに連れ回されるよりも、友達と遊んだ方が楽しいし、パパ、ママだけでなく、色んな大人たちと関わりあって、影響を受けた方が楽しい。
小生、1960年代生まれですが、子供のこんな気持ちは、ベーシックな部分で今も変わっていないのではないでしょうか?

子供の目から見ても、家庭に期待するものは、極めて少ないのではないか?

この間、このブログでも核家族家庭など、家庭の歴史を追求してきましたが、現代の家庭には、かなり無理があって形骸化していると思えてならない。

最近、コーポラティブハウス、ルームシェア等のこれまでの家庭という枠を逸脱した形態が話題となっている。
この様な潮流は、流行や、単なる試みではなく、潜在的に現代の家庭像に違和感を持ち始めていることを示唆している行動と考えられる。

その反面、「家族は大切か?」等のアンケートに「YES」と回答する人も少なくは無い。
これは新しい家族形態が提示されることもなく、漫然とした不安や閉塞感が漂う社会において、何がしかの安心対象がほしくて<無理矢理>思い込んでいる可能性が高い。

「家庭は今や寝床でしかない」と仮に(少し乱暴ですが)提起してしまいましたが、これまでの家庭像では上手く行かないのは明らかであり、新しい家庭像を追求する時代に入っているのでしょう。
実はこの現象、1970年代、3種の神器が行き渡った時代から始まっている。
そして、「家庭」という観念を払拭して、「どう生きていくか?」「どう暮らしていくか?」本質追求に入っていく時代なのだと思います。

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