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2008年10月14日

子どもはどこで育つ?

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家庭が市場に取り込まれてきたことや、家庭は寝床でもなくなってきているといった状況が明らかになってきましたが、一言で言えば「家庭」は現代社会に適応できなくなっているのではないでしょうか。

現代家庭の典型は言うまでもなく核家族家庭。かつて、父親が外で働き、妻は家事を担い、子どもも家事や仕事の一部を担いながら勉強するというように、家族みんなで支え合いながら生存するための場を築いていた時期もありましたが、いまや全ての機能を無くしてしまったようです。

ネットカフェ難民という話題がマスメディアでとりあげられていますが、これは家庭に残されていた寝床という機能まで失いつつあることを示唆しているようにも見えます。

一方、家庭は子どもの養育という重要な役割を担ってきましたが、それはどうしたらよいのでしょう?
これまでに報告された事例などを振り返りつつ、改めて課題を明らかにしてみたいと思います。

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●庶民の家族の姿が大きく変化してきた明治以降の時代を振り返ってみると、最も大きな転換は「共同体の解体」と「市場化」という点にあると言えます。

・明治初期まで、大半の庶民は農業に従事し、村落共同体の中で生活していました。生産も家事も、消費も、子育ても、生活の全てが共同体の中で営まれていました。

・しかし、明治政府による近代中央集権国家を目指した、富国強兵、殖産興業などの政策の下、戸籍制度と徴兵制、民法、明治憲法の制定などにより村落共同体の解体が進められました。
近代中央集権国家を形成するため、共同体を解体し、バラバラになった国民を天皇を中心とする国家の序列体制の下に組み込むことが進められました。平行して、大正、昭和へと時代が移る過程で市場化が進行し、家庭は市場に取り込まれてゆき、その流れは現代まで一貫して続いてきました。

●このような中で家族の姿はどのように変わってきたのでしょう?
・明治初期、財産権の所在が戸主にあることが法律で明文化され、家父長権が確立してゆくにつれ、共同体のつながりに亀裂が入ってゆきました。
・次いで、工業生産の発展の過程で雇用関係が発生し、工場や会社などへ勤めに行くという形で生産の場が家族から引き剥がされてゆきました。この流れは昭和の戦争期をはさんでずっと続いてきました。
・さらに、第二次大戦後、高度成長期にアメリカ流の大衆消費社会が出現しはじめると、家電製品が各家庭に普及しはじめ家事が大きく軽減化してゆきました。
・その後、モノが家庭の中にあふれだすと、食事などの様々な家事サービスが外部化されるようになり、いまや寝床までもが外部化されかねない状況とも見えます。

以上の経過は、家庭の中にあった機能がどんどん外に出てゆく、家庭の空虚化の流れとも言えます。
社会全体が豊かになってしまった現代、家族が互いに力をあわせてゆく必然性が無くなったとたんに家庭そのものの存在意義が見えなくなってしまいました。

●このような状況の下で、「子どもの養育」という重要な役割が家庭に委ねられたままになっており、今のままでは宙に浮いてしまいかねない状況になっています。

・歴史を振り返ると、実は、子どもの養育を家庭単独で担うようになったのはごく最近のことでした。
明治期以降、核家族が形成され始めても、貧しい家庭では一定の年齢になれば奉公に出して、それ以降の養育は奉公先に委ねていました。また、奉公に出ない場合でも、両親共に仕事で忙しく今のように子育てに時間など割けません。子どもは近隣の子ども集団の中で様々なことを教わりながら育っていました。時には、親以外の大人たちや学校の教師からしつけをされていました。

・そして、戦後の高度成長期を経て庶民が豊かさを享受し始めると、役割を失った母親たちが子育てに収束するようになり、家庭の中に子どもを囲い込みはじめた結果、様々な問題が生じてきています。
子どもの養育を家庭単独で担い始めたとたん、現代の様々な子育て問題が生じてきたと言えます。

●さて、このような状況の中から、子育てを見直すという観点からいくつかの方向が出てきています。

・地域で学校を支えるという動き…地域と家庭、学校の協働体制による子育てへ
・民間教育機関(塾他)の発展…受験だけではなく、子どもの健全育成といった期待も
・共同保育あるいは全寮制学校といった試み…集団生活の中で子どもを育てるという視点
・共同生活の試み…コレクティブハウジングなど(その中で子育ても見直そうという視点も)

これらの実践の中から、今後も様々な取り組みが出てくると思われますが、学校をどうする?といった観点だけでは限界があると思います。

歴史を振り返ってみて明らかなように、いまや存在意義を失いつつある家庭そのものをどうする?そして、子どもの養育をどうする?といった観点から考えてゆくことが必要とされているのではないでしょうか。

by わっと  

投稿者 wyama : 2008年10月14日 List   

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