家庭問題:幹になる認識の固定化(図解化) |
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2007年10月26日
学校が無圧力になるから「考える力」が無くなる
「教育とは?」を考えさせられる番組を見たので今日はその報告から。
体育の授業のドキュメント番組。
小学校5年生の体育の授業でハードルを飛ぶ。
先生いわく「いきなり飛ばせると、出来る子と出来ない子に2分化してしまう」
「全員に出来るようになるステップを踏ませる」と言う。
・・・・みんなに成功体験を積んでもらいたいとの方針らしい。
続きに行く前にいつものヤツお願いっ 😀
なるほど「上手い」授業メニューでしょう
そのメニューは
1.地面に打ち付けた輪に歩幅を併せてリズムを覚える。
2.ペットボトルを並べて飛ぶ(リズム+高さを体感)
3.ペットボトルをダンボールに替えて飛ぶ歩幅を体感)
4.低めのスポンジのバー(先生の手作り)に替えてハードルの模擬体験
5.やっと本番
なるほど、殆どの生徒が飛べるようになっていました。
確かに「上手い!」
と感じたのと同時に
「甘い!」
とも感じました。
あなたはどっちですか?
私は、やっぱり「甘い!」と思う派です。
最初に、ホンちゃんのハードルを飛ばして、出来ないやつは出来ない現実を知る。
当然、痛い思いもする。
それから、どうしたら飛べるか?試行錯誤して飛べるようになる。
コッチの方がよっぽど実現思考ではないのか?
飛べた時は結構嬉しいぞ!
当然、最期まで飛べない生徒も居るでしょうが、それも現実。
ハードルが飛べなくたって、日常生活や将来に何の弊害も無い。
私の子供の頃、どうしたって逆上がりが出来なかったヤツとか、とうとう最期までプールで顔を水につけられなかったヤツがいる。が、ヤツは今元気良く第一線で働いている。・・・・これが現実。
話を戻して、「じゃあ、始めに飛べた生徒は?」と言う質問も出てきそうですが、「もっと早く飛ぶには?」を課題にしたら言い訳で、実際は、生徒達が勝手にそうするでしょうね。
このドキュメントの授業メニューで、一番引っかかるのは、「先生が用意したメニューで進んでいくと自動的に出来るようになる」と言う部分です。
子供達の「考える力」の低下が、最近話題になることが多いですが、こんなメニューが「考える力」を低下させているような気がしてならない。
しかし、この番組を見ていて、率直に「言い先生だな」と感じた。
確かに、子供達のことを想ってやっている。手作りのスポンジハードルなんかは感激モノです。
邪魔なのは「平等」観念なのでしょう。これがあるからずれてしまう。
代表的なのが、ドキュメントの中で、男の子にも女の子にも「○○さん」と呼ぶんです。
どうですか?これ?
ジェンダーフリー教育(今でもやっているのか?)の一つなのでしょうが、小学校5年生にもなると、オッパイが大きくなってきてる子もいるわけで、当然、生徒達は男女も意識している。見ていても違和感あるんですから、生徒達は、違和感バリバリ有りまくりアルマジロでしょう。
(そういやあ、私の愚息も「そう呼ばないと先生に叱られるんだよ」と言っていた)
学校と言う空間が、「平等」観念によって、無圧力空間となっている好例なのでしょうね。
「平等」観念が「考える力」を弱体化させている原因。
と考えるのですが、いかがでしょうか?
特に、世の先生方の御意見、お待ちしています。
投稿者 gokuu : 2007年10月26日 TweetList
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コメント
投稿者 匿名
↑↑↑コメントありがとうございます
ご意見ありがとうございます。
これから必要になるのは固定観念に替わる「どうしたらいいか?」と言う答えなのでしょう。
このブログでも追求していきます。
今後ともよろしくお願いします。
投稿者 gokuu
私も賛成します。
是非日本の学校が戸塚ヨットスクールみたいな感じになったらいいですね。
戸塚先生も平等という固定観念にむしばまれた日本の戦後教育を批判されています。