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2007年10月22日

学校ってどうなってるの?26

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何故江戸時代は教育制度が充実していたのでしょうか。考えてみました。
江戸時代は幕藩体制により、各藩はいやおうのない「農業振興」と「財政再建」という2大圧力に常に晒されて続けていたのでは・・・。
それによって教育制度(藩校から寺子屋)というの充実を見たのではないでしょうか。
検証してみます。

江戸初期の生産の増大と経済発展http://note.masm.jp/%B9%BE%B8%CD%B4%FC/

元禄(1688~1703年)の頃になると,新田開発による耕地面積の増加とともに,農業技術も一段と進歩して,農業生産が拡大した。干歯扱(せんばこき)や備中鍬などの農具や,油かす,干鰯(ほしか)などの肥料もこの頃になると使用され始め、また作物としては油菜,茶,紅花等の商品作物の生産が盛んになった。これらの農業生産の拡大の背景には,鎖国の完成による国内市場圏の確立と交通手段の整備(五街道・脇往還,宿場町など)があり,特にそれらによってもたらされた商業の発展か大きな要因となっていた。

幕藩体制とは政治的には,将軍及び大名,たちによる強力な統治・支配,経済的には武士階級による農業生産への収奪を基礎とする制度です。
それは江戸幕府300年間の制度として揺るぎなかったのです。
ところが平和になって生産力が上がり、経済が活発化しているのに武士の給料は上がらない。
戦国時代のように手柄を立てて加増ということもない。
参勤交代の費用や家臣に払い費用を差し引くと自由に使えるお金は残らない。

これは幕藩体制発足当初から藩財政破綻が、約束されていたようなものです。

さらに天災による飢饉は各藩の財政基盤を直撃する。
それでも農業生産を基盤とする制度は変えられない中で藩毎に自給するして行くしかない。
一時薩摩藩は1石1両で換算すると73万石の年間収入に対し500万両までの借金があったそうです。

江戸幕府だけは商人から冥加金や貨幣改鋳や貿易という手段がありましたが、諸藩は、自力で生き延びるためには、否応なく農業振興と財政再建という藩政改革をせざるを得なくなっていた。
そういう外圧に晒されていたのではないでしょうか。

「農政学」という農業振興技術の進歩と「藩政改革」による能力のある人材の登用という2つの外圧要因が当時の《教育圧力》をつくりだしたのではないでしょうか。

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投稿者 tennsi21 : 2007年10月22日 List   

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