2008.01.25
リタイヤ組が取り組む社会活動~子育て支援の事例~
お父さんの定年リタイヤは、お母さんの家庭リタイヤ。仕事も子供もなくなった家庭で過ごす男と女は一体どこへ向かうのでしょうか
今までできなかったことを頭の中から拾い出して、ひとつひとつこなしてゆくのでしょうか。
残された時間を惜しむかのように、友人との食事会へ向かうのでしょうか。
いずれくる死のために「人生一度きりだから…」と旅行に勤しむのでしょうか。
妻を引き連れて、憧れの農業や田舎暮らしを2人で始めるのでしょうか。
娯楽や思い出に浸るだけではいつ何時も傍観者で、心底にある「みんなの役に立ちたい」という気持ちとは乖離していくばかりと気付いてか、早々に市場が作り出す幻想から抜け出し、「社会」へと向かう人たちも多くいるようです
定年を供給者へのチャンスにしたリタイヤ組が取り組む「子育て支援の事例」を見つけました
応援宜しくお願いします
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posted by nakamenta at : 2008.01.25 | コメント (1件) | トラックバック (1) TweetList
2008.01.24
定年後どうする?!~活力の湧く定年制度考~
最近、定年後の年金や退職金をターゲットにした市場商品が目立ちます。定年後どうする?というのは多くの家庭に突きつけられた問題でもあります。
今日は定年、年金制度を少しまじめに考えてみたいと思います。
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posted by daichi at : 2008.01.24 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2008.01.22
熟年離婚どーする?⇒父系一夫一婦婚から母系妻問い婚へ逆行?
熟年離婚は、この数十年でかなり増えているとは聞きますが、その実態はどうなんでしょうか。
『続・緑の日々』のとある結婚相談所の所長の話より
>「最近の高齢者の方々は、事実婚や週末婚など、若い人たちよりはるかに自由な結婚生活を営んでいます」
>「30代ぐらいの男性の方がよっぽど古い結婚観に縛られていて、身動きがとれなくなっています」
え!?高齢者の方が、若者以上に、観念的に自由になれている!?(旧観念に縛られていない。)確かに、若者も20代の間は、比較的自由に男女関係を模索していても、(新たな答えがないものだから)30代には旧体制に取り込まれてしまい、身動きが取れなくなってしまいますね。(かくいう私も昔は・・・)
しかし、まったく自由かというとそうではありません。様々な障壁を乗り越えつつも、実現されつつある新たな男女関係(子育て基盤)とは?
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posted by toya at : 2008.01.22 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2008.01.21
学校ってどうなってるの?44 明治時代の家族制度・・・背後に土地私有制
こんばんは~ bunchanです☆
http://blog.katei-x.net/blog/2007/12/000418.html で、江戸時代においては武士に対しては男子相続(ゆえに父系制度)を制度化しましたが、一般庶民の婚姻形態は野放し状態(母系制のまま)と紹介しました。
このことから考えると、制度の世界の男女関係は財産の相続制度と連動して変るようです。
今回は明治時代は江戸時代からどのように変わっていったのかを追っかけてみたいと思います
まず、ウィキペディア より、相続制の変遷について
日本では長期にわたって長子相続制が続いた。現在の民法では均分相続が規定されているにもかかわらず、長男が親の土地の全てを相続するというような慣習は最近でも続いている。
●明治以前
明治以前の相続はさまざまであった。統一された相続法というものはなく、たびたびお家騒動が起こった。
●明治時代
華族や士族には長男相続制が規定され、その地位も長子によって世襲された。[1]さらに、平民にも長子相続制が規定された。[2]旧法では長子相続制が徹底されていた。嫡出子の長男が優先されて相続したのである。
●現在
昭和22年に民法が改正されて、家督相続が廃止された。さらに、長子相続制も廃止されて、子に平等に相続を行うことが規定された。
明治以前のお家騒動というのは、主に武家のことだと思われます。じゃあ、一般庶民は?? 土地の私有の概念について、衝撃の事実が・・・・・・
ぽちっと押してから次、行きましょう
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posted by bunchan at : 2008.01.21 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2008.01.19
学校ってどうなってるの?43 何故明治維新?
明治時代の学校制度を理解するために、明治の時代状況を押えておこうと思います。そこで、幕末~明治維新に焦点を当て「何故明治維新?」を考えてみようと思います。
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posted by saito at : 2008.01.19 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2008.01.18
学校ってどうなってるの?42~なぜ学校制度を海外に求めたのか~
いったいどんな制度だったのでしょうか
<欧米に学んだ教育制度の内容>
明治時代の初期は、江戸時代から西洋型の近代国家への移行期間で、とにかく欧米のあらゆる仕組みや制度の導入が行われた。文明開化を合い言葉に、海外調査がスタートしたのは明治4年(1871)。まず、岩倉具視を特命全権大使とした使節団が、欧米の様々な制度を調査研究する目的で、明治4年11月から約2年、米欧12ヶ国を歴訪した。
<文部省の誕生と教育制度の導入>
文部省は教育制度づくりの要となる機関として、使節団の歴訪に先立って明治4年に設立された。「文部省」の名前の由来は奈良時代後期まで存在した式部省にある。式部省は律令制における八省の一つで、役人の人事や養成機関である大学寮なども統括していた機関だが、後に、当時の中国、唐の名称を真似て文部省(ぶんぶしょう)と改称された。
明治政府は、都道府県に対し小学校教育を奨励したが、実際には、徳川時代末期の制度がそのまま続いており、武士の子弟は藩校や私塾で学び、庶民の子弟は寺子屋で学んでいた。
学制が発布されたのは(明治5年)1872年。それは、フランスの教育制度をそのままとり入れたものだった。学制の最初の計画では、大学校8、中学校256、小学校5万3760校を設立するとのことだったが、日本の国情に合わず、授業料も高いなど、計画はうまく進まなかった。
そのため、岩倉使節団の一員だった田中不二麻呂は、欧米の教育制度を調査研究し、明治6年にアメリカから招かれたデビット・モルレー (David Murray)とともに、教育制度の基礎を作った。日本の教育制度は、欧米を手本に導入が検討されることとなった。
教育理念はむしろアメリカ的だが、学制としてはフランス式。当時の日本は総人口でもフランスと似ていて約3,000万人でした。そこで人口600人を1単位にして、日本全土に54,000の小学区を作った。また、210の小学区ごとに1中学区として32中学区ごとに1大学を置いて大学区と呼んだ。
また、学問は自分のためであっても、もし精を出して勉強しないと社会の中で生きていけないという、大変実利的な趣旨の『仰せ出され書』がその根本にあって、授業料は自分で払えとか、子供を学校にやるのは親の義務だといったことが説明してあったらしい。
🙄 ちなみに 岩倉使節団とは岩倉具視以下留学生43名(若き女性5名含む)をあわせると107名の集団。1年10ヵ月あまり欧米を視察した。目的の1つは、不平等条約の改正に向けた予備交渉です。もう一つは欧米各国の国家制度、産業技術、伝統文化などを視察すること。まさに「智識を世界に求め」たのです。
🙄 この留学生たちはケンブリッジ大学やハーバート大学に留学し、そこで得た繋がりは後の日本の外交の重要な人脈のひとつとなった。後のアメリカ大統領ルーズベルトにまで繋がるような人脈もここから生まれた:tikara:
ではなんで今までのように中国大陸ではなく欧米だったのでしょうか
ここで教育制度の範をどこに求めるかは、当時日本がどう生き残っていくかという外圧を分析する必要があると思います。当時、福沢諭吉の学問への志が明治日本の国家方針に与えた影響は大きいと思われます。以下はその影響を中心に考えてみたい。
福沢諭吉の学問への志が明治日本の国家方針に与えた影響は大きい。
彼が著した『西洋事情』の内容は欧米諸国の文化・社会・政治・軍制・経済・倫理など広範囲に及ぶものである。 従って、 本書は当時における欧米の入門書として普及した。この本は諭吉が渡米している間に、日本国中にすさまじい反響を呼んだ。正式な版だけで15万部を下らず、偽版も入れれば20万から25万部は売れたという。
『西洋事情』は岩倉具視、西郷隆盛、大久保利通、高杉晋作、伊藤博文など朝廷や薩長の指導者層にも、よまれた。坂本龍馬は『西洋事情』を読んで「船中八策」をつくり、土佐の後藤象二郎に示した。これをもとに後藤は大政奉還の建白書を書き、将軍・徳川慶喜に提出した。後藤が慶喜に謁見して、大政奉還を説いた所が、慶喜は後藤などより西洋の事情に詳しく、後藤を驚かせたが、これは慶喜自身が『西洋事情』を丁寧に読んでいたからだという。
《学問のすすめ》は、明治5年から13年間に70万部普及した。 これは当時の日本の人口3千5百万人からすれば現代のミリオンセラーである。内容を要約すると「まずは学問をすることによって心身および一国の独立を果たし、さらに学問をして世の中に貢献しなさい」ということ。
さらに彼は、明治18年(1885年)3月16日、「時事新報」紙上に掲載された社説で「脱亜論」を説いている。それは、阿片戦争で敗北し次々と欧米列強に植民地化されていく清国の有様を眼前にして危機感を覚え、それまでのように清国を先進国の代表として崇め奉っているのではなく、欧米文化を取り入れて「脱亜入欧」を果たし「近代化しなければ、日本も清国のように植民地にされてしまう、と説いた。
これは福澤だけでなく当時の有識者の共通見解だったようです。
以下「諭吉は香港の船上で何を考えたのか」に続きます。よかったらクリックして進んでください。
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posted by tennsi21 at : 2008.01.18 | コメント (4件) | トラックバック (0) TweetList
2008.01.17
普通の家庭の不安
普通の家族が既に崩壊過程に入っています。一見普通の家庭こそが恐ろしいという現実。あるいは、家庭にまつわる悲惨な事件などなど、それらの限界から見えてくる家庭の問題と、そこからの脱出先を探索していきましょう。
という切り口で、現代の家庭像を探索していく事も必要だと考えています。
・・・・・マスコミの報道するサプライズ家庭像ばかりを意識していると勘違いしてしまいそうなので・・・
「普通の家庭」とはそもそもどんなことを悩んでいるのか?
「躾」「育児」のキーワードで検索してみました。
蛇足ですが、「躾」というキーワードで検索エンジンにかけるとなんと、ペット関連が8割以上ヒットしてしまいます。
「いったい、この国はどうなってるんだろう?」
と萎えてしまったのは私だけでしょうか?
続きの前に応援お願いします
posted by gokuu at : 2008.01.17 | コメント (1件) | トラックバック (0) TweetList
2008.01.16
スクールカーストって何?
2007年当たりからマスコミ(アエラ)に取り上げられ始めた言葉のようですが、ネット世界ではそれより以前から流通していたようです。
アメリカでは、1999年にスクールカーストが原因で学校内の射殺事件まで起こっていた(?)とも言われているもよう。
最近の子供たちの意識潮流の実態を探るために、少し解明してみたいと思います。
続きはポチットしてからお願いします。
posted by wyama at : 2008.01.16 | コメント (4件) | トラックバック (0) TweetList
2008.01.15
ニート問題の本質は何?
「ニート」という言葉が話題になったのは2004年くらいからだったでしょうか。若者の就労意欲の衰退は大きな社会問題につながるとして問題視されました。最近はあまり話題になっていないようですが、ついこの前にあった佐世保の銃乱射事件の犯人はニートでしたね。
「ニート」といえば、引き篭もりと同義に捉えられることも多く、どちらかというと社会に不適応な層という見方が主流で、意識調査などによる分析でも「人間関係が苦手」・・・という感じで括られたりします。これはこれで事実なのかもしれませんが、上記の事件などが起きたりすると、いっせいに否定的な意識に固まってしまいます。
政府や各地方自治体なども、「ニート対策」を掲げていろいろやっている?ようなのですが、何か変わったという気はあまりしないのは、そもそも本質的な問題がどこにあるのかがはっきりしていないからではないでしょうか?
そこで、あらためてニートや引き篭もりが増えた原因を探ってみたいと思います。
続きの前に、ポチをお願いします。
posted by hiroaki at : 2008.01.15 | コメント (2件) | トラックバック (0) TweetList
2008.01.14
児童養護施設の実態
以前、当ブログでも取り上げられた児童養護施設。
子育てに必要な力ってなに?
密室家庭からの離脱、次代の子育ての可能性を感じられた投稿でしたが、問題を抱えている施設もあるようです。
一般の人々に知られることが少ない児童養護施設では、福祉の名のもとに、信じられないことがたくさん行われています。
施設職員が子どもに無断で手紙や日記を読む、食べ方が悪いと食事中に背中をヒザ蹴りする、罰として食事を与えなかったり、おこづかいを取り上げたり、外出を禁止したりしています。
そして、こうした施設に反発する子どもには、倉庫に連れ込み殴る・蹴るの暴力を振るったり、個室に閉じ込め「鑑別所・教護院に送るぞ」と脅したりする事件まで起きています。
僕は、11年間養護施設で生活しました。
まず、職員は子どもの話しを聞いてくれません。職員室に入り浸って、お茶を飲んだりマンガや競馬新聞を読んで1日を過ごし、帰ってしまいます。職員によっては1度も会わずに帰ってしまうので、出勤していたのかどうか分かりません。子どもの生活を見ていないのです。だから、子どもの実態がわかりません。
こんなおかしいことだらけの中で、おかしいと言えなかったのが現実です。正しいことが何なのかさえ解らなくなります。しかも、そのおかしさに気づいた子どもには、「教護院」「措置変更」だと言って脅すのです。その中で生活している僕ら子どもは、不安な気持ちで生活するか、何も考えず、感じず、生活するしかないのです。
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posted by sodan at : 2008.01.14 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList