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定年後どうする?!~活力の湧く定年制度考~

 最近、定年後の年金や退職金をターゲットにした市場商品が目立ちます。定年後どうする?というのは多くの家庭に突きつけられた問題でもあります。
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 今日は定年、年金制度を少しまじめに考えてみたいと思います。

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■そもそも定年・年金制度って何?
 実はこの歴史をさかのぼると、ドイツビスマルクの時代に行き着きます。るいネットの投稿を以下に引用します。

ドイツビスマルクの時代には、年金制度の実施とあわせて労働者の定年制度も同時に制定されていました。当時の社会主義運動弾圧を背景に考えると、労働者は働けるだけ働いたら後は死ぬまで静かにしていなさい、という金による懐柔であり、立場を変えれば金を餌に奴隷の身に甘んじることを労働者自身が受け容れてきたということです。

いまでこそ社会保障は国家の義務・国民の権利であるかのように錯覚し、年金の受給・定年の延長を“求める”声が主流です。しかし「定年制度・年金制度」は生産者の主体性を一切無視した奴隷制度である、という基本構造はビスマルクの時代から不変なのではないでしょうか。http://www.kyoudoutai.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=98928 [1]

 これ結構衝撃ではないですか?定年制度や年金制度は労働者(=奴隷)に対してその主体性(働けるかどうか)というのは完全に無視して、ある年齢に達したら役割を奪い、あとは金だけ渡すからおとなしくしとけということ他ならないのです。

 うーん、これは非常に問題ですね。しかしこの突破口のヒントとなりそうな事例が日本にありました。実は日本にはビスマルクの時代(19世紀)よりも早い江戸時代(17~18世紀)に既に定年制度や退職金制度がありました。しかしそれは現在の定年制度とはまったく様相が異なります。

■日本にもあった!定年制度
 その制度は「のれんわけ」と呼ばれるものでどのような点が優れているかというと、以下るいネットの投稿を引用します。

この定年「のれんわけ」制度は、もともとは奉公人の年季明け(奉公契約期間の終了)に、奉公人の独立手助けに「のれん」を現物支給したのが始まりで、やがて「のれん代」という独立援助資金に変わり、さらには長年の奉公への報奨や慰労のお金へと変わっていったようだ。

この制度が優れていた点は、概ね以下の3点にあると考えられる。
1.奉公人が奉公を終了しても職を失わない。
  (根無し草にならない)
2.のれんわけされた分家の評判は、直接主家への評判に繋がる。
  売り上げの一部は主家に上納される。
  (地域や時代によって差がある)
  のれんわけすることで、主家・分家がともに栄えていく。
3.優れた技術継承システム=供給者育成システムとなっている。
  奉公人は「独立」を目指して頑張る。
  つまり「のれんわけ」は活力源でもある。

また、この定年「のれんわけ」制度は、江戸幕府も支援していた。
現代風に言えば、政府・企業・個人が一丸となって支えあい、技術を継承し、活力を生み出していたと言える。http://www.kyoudoutai.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=100422 [2]

 どうですか?まさに退職者につぎの「役割」「活力」を与える制度になっているじゃありませんか!このまさに「供給者育成システム」ともいえる、江戸時代の「のれんわけ」制度を次代の定年制度として検討してみるのは非常に有効なのではないでしょうか!

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