2009.07.06
「婚活」第5弾!求めているのは・・・??
「婚活」・・・もうこの言葉自体、目新しさを感じなくなりましたね。なんかNHKでTVドラマとかも、出来ましたし・・・。
↑NHKドラマ「コンカツ・リカツより」(リンク)
★知らない人のために「婚活=結婚活動」
結婚活動(けっこんかつどう)とは、結婚するために必要な行動。略称は婚活(こんかつ)。就職活動(就活)に見立てて社会学者、山田昌弘が考案、提唱した造語。
言葉が初めて世に出たのは、『AERA』2007年11月5日号。ちなみに、山田は後に白河桃子と『「婚活」時代』を執筆。動機として「日本の結婚の実態を明らかにし、「結婚できないけれどしたい」という人をサポートすることが必要だと思った」とインタビューで答えている。
(ウィキペディア5より)
実は、このブログでも4回ほどこの「婚活」を扱っております。興味ある片是非どうぞ。
●なぜ、今、婚活なのか?~いろいろと探索~
●なぜ、今、婚活なのか?~何を求めて・・・~
●婚姻史シリーズ(番外編)~婚活マニュアル~
●婚姻史シリーズ(25)~規範がないから目先=婚活活動へ~
もう4回も扱っているにもかかわらず、何でまた扱うの??というブーイングめいた声も聞こえてきますが、やります婚活第5弾!
なぜなら新しい切り口が見えたから!
ということで、続きを読む前に応援クリックよろしく!
posted by daichi at : 2009.07.06 | コメント (5件) | トラックバック (1) TweetList
2009.07.05
闘争と生殖を包摂した全的なる本源集団を実現するほど、密室家庭は淘汰される。
※上記は、99年に出版され、ベストセラーになった『なぜ,会社は変われないのか』の第2弾。当時学生で、部活の風土改革のために何度も読みました 😉
当ブログ『家庭を聖域にしてはいけない』は、聖域化した家庭における「教育機能の喪失」を問題の中心に据えています。(学力だけでなく規範の喪失→人類の敵である自己中の急増)
その根本的な突破口は、『闘争と生殖を包摂した全的なる本源集団の再生』です!なんと、それは家庭の改革を通じて、実現してゆくものではありません。むしろ、闘争圧力を受ける生産集団である企業(職場)に、分断された各種機能を統合してゆくことで、密室家庭は不要になり、消滅してゆく過程を経てゆくのです!
つまり、家庭をどうする?とその変革を考えても、目先の答えにしかならないということです。今必要なのは、企業(職場)をどう統合する?と考え、変革(意識改革⇔体制改革)を実現してゆくことだったのです!
いつも応援ありがとうございます
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posted by toya at : 2009.07.05 | コメント (7件) | トラックバック (0) TweetList
2009.07.04
全人教育って、なに?-7@「類塾」の具体的なカリキュラムの紹介
シリーズ最終回は、全人教育の最先端事例としての類塾の具体的なカリキュラムをご紹介します
いたるところに、これからの教育のヒントがあふれています お楽しみください :love:
1、 類塾ネット
2、 本格コース
3、 自然体験学習
類塾の本格コースと類塾ネットは、従来の教育のあり方を根底から変革し、教育を通じて子どもたちの、ひいては社会の活力再生を図っていこうとするものです。
1.類塾ネット
⇒http://juku.rui.jp/
2.本格コース
⇒「生物と人類の進化のあゆみ」を主テーマに、「魚類から両生類に進化したのは何で?」「サルから人類に進化したのは何で?」という風に、とことん「何故そうなったのか」を(子供たちとみんなで)考えていく対話型の授業スタイルです。
次々と「何で?」を深めていくことで個々のバラバラな知識が初めて深く繋がり、生物史や歴史を単なる知識としてではなく、イキイキした流れ(認識体系) として学ぶことができます。そして、ご先祖たちの生き様を現在に繋がる生きた教訓(=自然や人類社会の摂理)として把むことができるのです。
それだけではありません。実は、この「何で?」思考は、本格的な思考力を培っていく最も有効な手法でもあります。だから、授業では身の回りや社会現象に関する「何で?」(ex.国の借金が800兆もできたのは何で?)も織り交ぜていきます。この 授業は、子供たちに考えることの面白さを教え、「何で?」思考を体得させていく場でもあるのです。
3.自然体験⇒★自然体験学習教室の広場★(シリーズ第4回も、もう一度ご覧下さい)
ご父兄からこんなお手紙まで頂きました
ブログ「新しい農のかたち」より
これらは、まさに類塾独自のオリジナル商品です。次代の教育の在り方を30年間追求し、進学実績においても絶大な成果をあげてきた類塾指導経験のいわば集大成。自信を持って、世に問う内容なのです。
なんか、すごそうだけど、まだピンとこない皆様に、注目点をピックアップしながら、実際の子供達の投稿の様子をお伝えします 😀 😯 :blush: 🙄 :love:
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posted by staff at : 2009.07.04 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2009.07.03
全人教育って、なに?-6@全人教育に真っ向から取り組んでいる「類塾」の紹介
写真はこちらからお借りしました
みなさん、こんにちは 😀
『全人教育って、なに?@ ○◎△□』シリーズとして、ここまで
第1回@全人教育の本質
第2回@昔に見る事例(口承文化)
第3回@村落共同体の教育
第4回@農業教育in学校
第5回@@全寮制から学ぶ全人教育事例
をお送りしてきました
そもそも、「全人教育ってなに?」シリーズに取り組んできたのは、
前回お送りした「これからの教育ってどうなん?」シリーズ(リンク)から見えてきた、
「これからの教育のあり様とは?」という問題意識に端を発しています
そして、これまでのスパルタ教育路線、あるいはゆとり教育路線に変わるものとしての、「全人教育」についての具体イメージの提示、
①生産課題に繋がるみんなで共有できる目的意識の形成
②仲間同士の規範確立
③社会を対象化できる統合理論の習得
④これらを実践していける場の創出(第1回より)
その萌芽と思われる事例
「口承」とは、現代で言う「教育」の場、様式であったようですね。そこでは、生きていく上で必要な認識が伝えられるのですが、現代のように知識だけを伝えようとするのでなく、濃密な共認充足の場とセットになっている所が非常に重要なようです。本物の教育の場は共認充足の場であるということですね。(第2回より)
ひとりでは到底生きていくことができない厳しい外圧の下では、村の一員として=よき村人として、集団を維持継続させていくことが最重要課題だったのですね。この教育の場は、公生活(社会生活)の場であり、それが「若者組」でした。(第3回より)
当然のことながら、社会での活動は全て、「生産活動」。農業生産(林・漁業等も)・工業生産・意識生産。学校は、真っ当な社会人を育て上げる機関だとすれば、生産活動→生産課題が包摂されていないと、本来おかしいですよね。(第4回より)
以上のように、全寮制教育による全人教育の可能性とは、やはり勉強だけにとどまらない社会人としての基礎(集団力)を学ぶ場だと感じました。(第5回より)
を紹介してきました
さて、最終回では、2部作として、
第6回@全人教育に真っ向から取り組んでいる「類塾」の紹介
第7回@「類塾」の具体的なカリキュラムの紹介
をお送りしていきます これからの教育のあり方、
教育に留まらない新たな集団のあり様の提起として読んでいただければと思います 😀
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posted by staff at : 2009.07.03 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2009.07.02
全人教育って、なに?-5 @全寮制から学ぶ全人教育事例
こんにちは 😀 、今日も元気なよしたつで~す !
写真はここからお借りしました!
『全人教育って、なに?』も今回でとうとう5回目を迎えました。あと残り2回のラストスパートへ向けて、今回はその前哨戦というわけで気合が入ります。そこで、今回の5回目は、4回目の『農業教育in学校』に引き続いて、全人教育の最新事例紹介をしていきたいと思います。テーマは題名から、もう既にお分かりですよね。そう、『全寮制から学ぶ全人教育事例』です!ではでは、はりきってスタートしましょう。
「全寮制」と聞いて、皆さんはどう感じられますか?
「なんか面白そう」と目をキラキラさせる方 😀 も、「絶対無理」と頑なに首を振り続ける方 🙁 もいるかと思います。もしかしたら、現在お子さんがいらっしゃる方で、全寮制の学校を薦めた方もいるかもしれませんね。特に最近のお子さんの場合、人付き合いや集団生活を苦手としている子が多いので、ほとんどが初めは気が進まないと嫌がるようですが、面白いことに全寮制の教育を受けた後は、そんな乗り気でなかったほとんどの子供が大変満足して、活き活きした表情を見せるようになるというのだから不思議ですよね。つまり、全寮制教育には、普段のような無機質な学校空間とは違って、そこでしか得にくいものが確かに存在していることを示唆しています。
ではでは、まず初めに、全寮制教育がもたらす効果について分析してみることにしましょう 。ここで、紹介するのは、特色のある学校づくりで定評のある東京理科大学長万部キャンパスの基礎工学部(1年次)における全寮制教育です。
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posted by YOSI at : 2009.07.02 | コメント (6件) | トラックバック (0) TweetList
2009.07.01
全人教育って、なに?-4 @農業教育in学校
(この写真は、秦野市観光協会からお借りしました)
こんばんわ。hajimeです。
【全人教育@…】も、4話めに突入。なんか大上段 なテーマですね。でも…。
「知・徳・体」バランスのとれた教育って、よく耳にしますよね。学習指導要領でも、「生きる力」を育むことを、教育の大目標として掲げています。
もうちょっと具体的すると、勉強ばっかりしていてもダメよ。親離れして社会に出ても、ちゃんとやっていける。そのために必要なことを、学んでいく必要がある。きっと、そんなイメージなのではないでしょうか。⇒真っ当な社会人に育つよう教育する。
当然のことながら、社会での活動は全て、「生産活動」。農業生産(林・漁業等も)・工業生産・意識生産。学校は、真っ当な社会人を育て上げる機関だとすれば、生産活動→生産課題が包摂されていないと、本来おかしいですよね。
応援よろしくネ!
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posted by hajime at : 2009.07.01 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2009.06.30
全人教育って、なに?-3 @村落共同体の教育
『全人教育って、なに?』の第3弾、昔の事例としてかつての村落共同体の教育にスポットを当ててみます。
写真は、こちらからお借りしました。
かつての村落共同体では、「よき村人」になることが教育の大きな目標でした。
かつてよき村人といわれるものには先ずなによりも村の風をよく理解してこれに従うことであった、つまり村の色によく染まることであり、これは一見自らの個性をなくすように見えるけれども、それによってむしろ個性が生かされたものである。(宮本常一著「家郷の訓」より引用)
この「よき村人」になるための村落共同体での教育とはどのようなものだったのか?村落共同体の教育に迫ってみます。
※以下、宮本常一著「庶民の発見」を参考にしました。
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posted by sachiare at : 2009.06.30 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2009.06.29
全人教育ってなに?ー2 @昔に見る事例(口承文化)
オーストラリア先住民アボリジニ こちらからお借りしました。
工業生産社会が確立していく過程で教育の場は集団(生産)の場から切り離されて「学校」となり、それに都合のよい知識を一方的に植えつける場となってしまい、本質的な教育の場とは程遠いものになってしまいました。さらに、貧困の消滅→私権衰弱により、工業生産の時代には一定機能していた学校教育も、機能しないようになってしまいました。
今回は全人教育を考えるにあたり、歴史時代以前、遥か昔から続いている「口承文化」に着目してみたいと思います。「教育」という視点で「口承文化」を見るというのはちょっと変わっているかもしれませんが、ここに、全人教育のエッセンスを見出すことも出来るように思います。
応援お願いします。
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posted by fwz2 at : 2009.06.29 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2009.06.28
全人教育って、なに?-1 @全人教育の本質
コチラから拝借しました
今回は『全人教育って、なに?@ ○◎△□』シリーズで計7回を予定しています。
初回は「全人教育の本質」と題して、求められる教育とはなにか?に迫って見たいと思います。
以降は、昔に見る事例、現代の取り組み、先端事例(:いずれも仮称)などを順次アップしていきます :tikara:
まず、『全人教育』とは世間ではどのように捉えられているのか?を見てみます。
Yahoo!百科辞典では
「調和ある人格の形成をめざす教育。知育偏重の教育に対して、徳育・体育および情操教育を重んじるもの。」
音楽、体育を重視した古代ギリシアの教育以来、身体と精神の全面的・調和的発展の教育思想はヨーロッパ教育思想の基調ともなっている。18世紀のペスタロッチにおける頭・手・心、つまり知的陶冶(とうや)、身体的陶冶、道徳宗教的陶冶の各領域を調和的に発展させるべきであるという主張は近世教育史上における典型であって、進化論から強い影響を受けた19世紀のスペンサーのような実証主義者も、知育・徳育・体育の各面にわたる全人の教育を説いている。
20世紀に入ってからの全人教育の目標は、単に個人としての人間性の諸要素を全面的、調和的に発展させるというにとどまらず、社会生活における調和が重視され、ドイツの教育学者シュプランガーEduard Sprangerの文化教育学、同じくナトルプの社会的教育学にみられる主張がある。今日の全人教育は、一方で各人が専門的知識、技術をもつと同時に、社会生活において感性、徳性の調和を重視することが目ざされている。
日本では大正年間以降、小原国芳(おばらくによし)によってこのことばが使用され(1921)、主張された。彼によれば「全人教育」とは完全人格、すなわち調和ある人格を意味し、教育の内容は人間文化のすべてを盛らねばならないとし、全人教育でなければならぬ、と主張された。
と掲載されています。
日本で最初の提唱者である小原氏によると
全人とは小原の説明を借りれば、「全き人間」(the whole man)という意味であり、教育の目的は、人間文化の6つの要素である学問、道徳、芸術、宗教、身体、生活について、それぞれの理想である「真」、「善」、「美」、「聖」と、それを支える補助的な価値として「健」、「富」を備えた完全で調和のある人格を育むべきであるとするものである。この理念のために、従来の教育で欠けていた道徳、芸術、宗教などを重視した。
と言われています。
「全き(まったき)人間」、「完全人格」、「完全で調和の或る人格」って、一体どういうものなのでしょう。
応援よろしくお願いします・・・ネ 😉
posted by sashow at : 2009.06.28 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2009.06.25
集団規範の再生-5 ~お裾分け~
日本人は、贈与による行為がさまざまな形で取られています。例えば、お中元やお歳暮がその代表例であり、身近なところではお裾分けがごくごく当たり前のように行われご近所同士の付き合いとしてよく行われているのを目にします。
僕の実家でも、よくお裾分けで頂いたおかずが夕食で並んでいたのを良く覚えています。
このお裾分けとは、日本人がもつ特徴の一つだと思いますが日本人はどうしてこのような贈与関係をいまでも大切にしているのでしょうか?
これは日本人のもつ集団規範のひとつなのでしょうか?
今回はこのお裾分けについて追及してみたいと思います。 😀
posted by kaneking at : 2009.06.25 | コメント (2件) | トラックバック (0) TweetList