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集団規範の再生-5 ~お裾分け~

日本人は、贈与による行為がさまざまな形で取られています。例えば、お中元やお歳暮がその代表例であり、身近なところではお裾分けがごくごく当たり前のように行われご近所同士の付き合いとしてよく行われているのを目にします。

僕の実家でも、よくお裾分けで頂いたおかずが夕食で並んでいたのを良く覚えています。
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このお裾分けとは、日本人がもつ特徴の一つだと思いますが日本人はどうしてこのような贈与関係をいまでも大切にしているのでしょうか?

これは日本人のもつ集団規範のひとつなのでしょうか?

今回はこのお裾分けについて追及してみたいと思います。 😀

■お裾分けとは?

他人から貰った品物や利益の一部などを、さらに友人や知人などに分け与えること。

「すそ」とは着物の裾を指し、地面に近い末端の部分というところから転じて「つまらないもの」という意味がある。よって、本来目上の人物に使用するのは適切ではない。一方、お福分けは「福を分ける」意味であるゆえ目上の人物に使用しても失礼に当たらないとされている。

■お裾分けの起源は民族同士の贈与関係による関係構築にあるのでは?

贈与の概念とその成立過程について追求された投稿をるいネットより引用します。

【贈与】:共認原理に基づく友好の証 [2]

・他集団との接触によって生じた緊張圧力を相互の贈与によって回避。
・双方とも私有意識・自集団第一の意識は存在せず、友好の証として各々の集団が最も貴重と考える品を交換条件なしに贈与し合う。

『贈与』という同類間の緊張緩和システム [3]

■構成

「栽培」「牧畜」という生産様式の獲得に伴い、食糧事情が比較的安定した集団は更なる人口増加⇒集団規模を肥大させていくことになる。

集団規模拡大に伴い、他部族集団との接触頻度が増加。そこに、人類集団間の緊張圧力が働き始める。生活様式も違う、言語も通じない他部族集団との接触に、どのように対応していったのか?

戦争勃発?⇒人類は約499万年間の「極限時代」を「自我(自己中)」を徹底的に封鎖した『共同体集団』として生き抜いてきた(集団内の共認充足が全て)。そのような歴史的背景を背負ってきている単位集団が、同類同士の緊張圧力が働き始めると同時に、戦争に突入していったとは考えづらい。

集団同士の「争い」を避ける方向=友好関係を結んでいったのではないか。その形態の一つに『贈与』がある。『贈与』とは、自らの集団にとってだけではなく相手集団にとっても最も価値の高いであろう物を贈る行為(黒曜石・翡翠・琥珀)。そのような物を隣接集団へ贈ることによって、集団間に働く緊張圧力を緩和していた。

「共同体集団」間での『戦争勃発』は、ありえない。それでは、人類が戦争を起こす引き金になったのは一体何なのか?戦争を始めた最初の集団は「遊牧集団」である。「牧畜」から派生した「遊牧」という生産様式は、これまでの人類の生活様式と一体何が異なっているのだろうか。それが「戦争が勃発した原因」の解明ポイントとなる。

常に集団(=相手)を想い共生していくために必要なシステムが、贈与という形となって規範が形成されたのだと考えられますね。

日本においては、略奪民族が長い歴史の中で存在してこなかったことを考えてみると、常に④の行為によって集団間の緊張を緩和するために日々行われてきたことが、お裾分けなどの行為として現在もなお人々に定着した一つの規範とも考えられます。

また、贈与という行為については、さまざまな投稿がされています。

御参考までに、ご覧下さい。

○社会の当事者同士という仲間関係が、認識仲間であり外向仲間である [4]

○貴重品・装飾品が贈与として広がっていったのはなんで? [5]

○「採取生産~栽培・牧畜~遊牧」

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