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2009年06月29日

全人教育ってなに?ー2 @昔に見る事例(口承文化)

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オーストラリア先住民アボリジニ こちらからお借りしました。

工業生産社会が確立していく過程で教育の場は集団(生産)の場から切り離されて「学校」となり、それに都合のよい知識を一方的に植えつける場となってしまい、本質的な教育の場とは程遠いものになってしまいました。さらに、貧困の消滅→私権衰弱により、工業生産の時代には一定機能していた学校教育も、機能しないようになってしまいました。

今回は全人教育を考えるにあたり、歴史時代以前、遥か昔から続いている「口承文化」に着目してみたいと思います。「教育」という視点で「口承文化」を見るというのはちょっと変わっているかもしれませんが、ここに、全人教育のエッセンスを見出すことも出来るように思います。

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るいネット 共時一体感覚にささえられる共認2

そこで、文字のなかった時代の言葉だけの共認状況を調べてみました。アメリカインディアンの口承史(一万年間)には、文字のない時代に、彼らが乗り越えてきた様々な外圧とそのとき獲得した知恵を次世代に伝えるために、毎日車座になって話し合うのです。

それは、今で言う歴史の伝承にみられる、現象を記憶にとどめるだけの行為とは大きく異なり、その体験の辛さ、みんなで乗り越えたときの充足感などが、非経験者も追体験できるくらいの交歓の場であったようです。その様子は下記のようであり、

『そこで、一族の中には、苦労のすえに学んだ知恵をうかつに失うことは、二度とすまいという、大きな決意が生まれた。彼らは互いに歌いかけた。われらが思いと呼ぶ(ところの)心の模様のこと、また〈火を囲む輪〉に集まるたびに、それらの(心の)模様が新しく織り直されるかもしれないことを。

「一万年の旅路」より引用』

お互いの心が共感するまで、何度も何度も歌を歌い続けていました。そして、歌とはリズムのついた語りで、体験者みんなが共感できるまで推敲されていました。心の模様とは、言葉以前にそれぞれが感じた、対象に対する認識で、これを互いに確認するために言葉を補足的に使っていたようです。そして、その語りは、毎日長時間にわたり行なわれ、そのこと自体が集団の共認を高める最大手段になっていました。

「口承」とは、現代で言う「教育」の場、様式であったようですね。そこでは、生きていく上で必要な認識が伝えられるのですが、現代のように知識だけを伝えようとするのでなく、濃密な共認充足の場とセットになっている所が非常に重要なようです。本物の教育の場は共認充足の場であるということですね。

そして、もう一点。上記投稿にも描かれていますが、「口承」は(共認充足を土台にして、)実現回路≒現実を対象化する力を形成するための様式だという点です。これも、これからの全人教育を考える上で非常に重要だと思われます。以下、再度るいネットから引用します。

るいネット 口承は、実現回路を形成するまつりの場の様式

彼らの話の主要な中身は、先祖や先輩の経験(克服体験)です。
彼らがこれらを様式化して継続してきた理由は、皆が経験を共有することにより集団や場の一体感を形成する=充足を共有する、という目的があげられると思います。
そしてさらにそれに加えて、(彼らはすでに圧力が衰弱しているわけですから)先祖や年配者の体験を共有することで、危機状況や不測の場面に出会った際の対処法を共有する、という効用があったのではないかと思われます。
 
人類の記憶回路の優れた点は、例え自分が体験していなくても、人の体験を生々しく共有することで、それが体験記憶に準ずるものとして記憶回路にストックされる、という点にあると思います。しかもそれは共認充足を伴う場で記憶されるわけですから同時に充足記憶としても残ります。つまりこのまつりの場での伝承行為は成員全体の実現回路を太くする、という目的を持っていたのではないでしょうか?であれば、それは成員の解脱の場であると同時に能力強化の場でもあった、という始原人類時代の歩行訓練の基本様式を踏襲しています。
(この記憶回路の特性を利用したのがいわゆるイメージトレイニングです。しかし成功のプラスイメージを頭の中だけで繰り返すのはいかにも人工的な感じがします。)

現代人がこのような場を失ってしまったのは、警戒心や猜疑心や嫉妬心に覆われてしまった結果、他人の成功談というとすぐにけちをつけたくなるという貧相な精神構造に陥ってしまっているからなのでしょう。

人類が太古から伝えた口承≒教育の場は、現代の学校教育が失ってしまった重要な要素があったことが分ります。濃密な共認充足を与える場であったこと。そして、使える体験≒生きた認識や方法、先人の知恵を共有し、現実を対象化する力を得る場であったこと。これからの教育を考える上で非常に重要なポイントですね。

投稿者 fwz2 : 2009年06月29日 List   

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