2014.08.15
【コラム☆感謝の杜】身体に良い食べ合わせ~先人の知恵にも根拠があった*^^*
食には身体に「悪い食べ合わせ」もありますが、今回の紹介したいのは、「良い食べ合わせ」です。
下記に紹介する食べ合わせ、聞けばなるほどと納得するものばかりですが、こんな組み合わせを最初に考えた先人達に感謝すると同時に、その確かな知恵(試行錯誤の結果なのかもしれませんが)に驚くばかりです。特に、「免疫力をつけるTリンパ細胞や、マクロファジーの働きを高めるといわれています。いずれにしてもガン予防には最適の食べ合わせ」を本能的にキャッチした先人たちの能力には驚嘆するばかりです。
つづきを読む前にポッチとお願いします。
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2014.08.14
【コラム☆感謝の杜】おばあちゃん助産師が語る『ありのままを受け入れるお産・子育て』~妊婦の過剰な体重制限は危険!赤ちゃんの糖尿病リスク増!~
日本最高齢の現役助産師:坂本フジヱ先生。
最近の病院でのお産は、妊娠時の高血圧症や、産道に脂肪がつくことでお産が長引くリスクを避けるため、厳しい体重制限を言われることがほとんどです。
(もちろん、暴飲暴食での肥満はよくありませんが・・・)
大体の目安は、元の体重から8~10㎏増まで。
臨月の妊婦は、赤ちゃん3000g+羊水500g+胎盤500g
授乳のために発達した乳房や血液、子宮の重さで4000g
だそうです。必要最低限で計8キロ。
つまり、それ以上太るなと、厳しく注意されてしまします(>_<)
でも、坂本先生の方針はその逆!
それは赤ちゃんの糖尿病リスクと関係してくるからなんです!!
著書『大丈夫やで~ばあちゃん助産師のお産と育児のはなし~』からの紹介です。
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2014.08.13
【コラム☆感謝の杜】科学は業界によって捻じ曲げられる
「栄養学」とは、そもそもが根底に間違った思想を内包する学問です。cal計算をベースにおくことも、動物性たんぱくを高栄養とすることもおかしなことなのです。「栄養価が高い」ものを食べるから病気になる、とも言えます。 特にアメリカでは、成人病罹患率の多さから国を挙げて原因を追究した結果、アメリカ人の食事こそが原因であるというマクガバンリポートが提出されているにも関わらず、未だ「肉こそ食事」と信じられています。なぜなのか?
【健康と食に関する真実は、いかにして捻じ曲げられるのか!?~葬られた「第二のマクガバン報告」より~】 http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=273173 より
著者はこう云います。 >「食べ物」と「健康」の分野では、たいていの場合「金を持っている者が規則を作る」。この業界の経営は、「栄養と健康に関する情報」をコントロールすることで成り立っている。 >このシステム全体(政府、科学界、医学界、産業界、メディア)が、健康問題に関わりながら「利益」を、そして食物に関わりながら「テクノロジー」を、また「明瞭」を謳いながら「混乱」を促進している。・・・「科学界と産業界」「政府と科学界」「政府と産業界」といった区別は、ほぼ不可能である。
この著書で書かれていることは専らアメリカにおける話ですが、日本においても同様の構造があり得ると思います。
マクガバンリポートにおいて理想的とされた食事は玄米の和食なんです。
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2014.08.13
新たな介護の可能性 5.社会に役立ちたい日本のシニア
~高齢者に可能性が開かれた時代~
私の仕事関係の先輩(64歳)が、定年後の会社が面白くないと相談があった。
それは、
現在の会社は前の会社からの天下りで、居るだけで給料がもらえる。ありがたい話なのだが、一方で全く面白くない。またこれまで、若い頃は将来の自分の為、結婚して妻の為、妻が出産すえれば子供の為、最近は孫の為だったが、今やすべて卒業だ。
まだまだ元気で、技術ノウハウがある自分を活用して、社会に役立ちたい。自分の周りにはそんな人が一杯いる。NPOで給料は半分でも良いので会社を立ち上げたいので助言してくれないか?
という相談でした。
すごい時代になった!!
だって、この人は桂銀淑(韓国の演歌歌手)のカラオケを歌うのが大好きな、いたって普通の「おじさん」なのです。
「社会に役立ちたい」と言い出すと思っても見なかった!!
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2014.08.12
新たな介護の可能性 6.高齢者の役割を再考する
本シリーズの追求は、プロローグで提起した第2の視点「高齢者の役割、働き方の変化?」に入っています。
現代の高齢者は定年後はほとんど社会的な役割がなく、多くの人が社会保障制度にぶら下がって生きていますが、このような高齢者のあり方は当たり前のことなのでしょうか?
そもそも、人類社会における高齢者の役割はどのようなものであったのか?からさかのぼり、これからの高齢者の役割を再考してみたいと思います。
応援よろしくお願いします↓
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posted by yukitake at : 2014.08.12 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList
2014.08.07
新たな保育の可能性2 富国強兵を継承した戦後保育所
保育所の歴史を調べていたら、第二次大戦真っ最中に保育所設置が本格的に行われていました。
戦後直後1947年(昭和22年)に児童福祉法が制定され、戦後保育所がスタートします。この戦後保育所は、戦後復興を行うために、国民各層の努力を結集する意図があったのでした。
今回は、明治、大正、昭和(戦前)、昭和(戦後)と保育(子育て)と保育所の歴史をたどります。
1.明治・大正期:年寄りが孫の保育を行う
明治・大正期の保育は、主に年寄りが担っていた。それを、宮本常一著『家郷の訓(おしえ)』(岩波文庫)からみてみます。
宮本常一氏は1907年(明治40年)に山口県大島郡家室西方村生まれました。明治期の保育(子育て)の状況を伝えてくれています。
若い妻にはやがて子が出来る。しかしこの母親は毎日家を外にして働かなければならない。朝早く出て行くと昼飯の支度にかえるまでは山にいる。昼飯がすめばまた山である。その間子供は老人のいる家であればばアさんが世話をする。それのいない家では子守をやとう。たいていは親類の娘子どもである。これには別に賃らしいものもやらなかった。私も親類の子などに負われたことがあるというが、私の家には祖父も祖母もいたので老人が一番多く面倒をみた。 このようにして六、七歳になるまでは通常祖父母のもとで育てられる。
祖父は剽軽な人で、働き者で、話好きで、唄好きであったから実によく印象に残っている。そして四つ位の折から祖父につれられては田や畑に行った。その往復に際して荷のない時は、いつもオイコにのせて背負ってもらった。ちょうど猿曳の猿のように。 これが実に嬉しかったものである。
山へ行くと祖父は仕事をする。私は一人で木や石を相手にあそぶ。山奥の方まで行ってあわてて畑の所まで来て祖父の働いているのを見てホッとする。気の向いた時は草ひきの手伝いをする。
「おまえが、たとえ一本でも草をひいてくれると、わしの仕事がそれだけ助かるのだから・・・・・・」
と言って仕事をさせるのである。そのかわりエビ(野葡萄)やら野苺などよく見つけて食べさせてくれる。野山にある野草で食べられるものと、食べられないものと薬用になるかならぬか、またその名や言い伝えはこうして祖父に教えられた。
山仕事に行く時、背負っていくオイコ 画像は、祝島ホームページさんの日記から借用しました。
年寄りが、幼児の面倒を見るだけでなく、さまざまな事を教えていたのです。
次に、明治・大正期の保育所の歴史を辿って見ます。明治期の保育所(託児所)は、子守をする女子が学校に通うために設置され、次いで、女工のために開設されたのでした。
日本で初めて保育園が開設されたのは、1871年(明治4年)のことで、アメリカ人宣教師によって、横浜に開設された【亜米利加婦人教授所】という混血児を救済する託児所です。日本人によって初めて開設されたのは、1890年(明治23年)のことで、新潟県の【静修女学院附設託児所】が最古の記録として残っています。
当時の託児所は、“子守をしながら学校に通う子どもたち”を対象に作られたものでした。その後、このような託児所は全国各地に次々と開設されていきました。 時代の流れに合わせて1900年(明治23年)には、紡績工場や製糸工場で働く女性たちのために【二葉幼稚園】が開設され、また、日露戦争で孤児となった軍人の子どものための託児所や、農業が忙しい時期にだけ開設される託児所なども開設されていました。
当時は、保育というよりは子守というような感覚ですね。 そして、1919年(大正8年)に救貧・治安対策の一環として大阪→京都→東京の順に、公立の保育所が次々と開設されました。
保育士の歴史から
2.戦後:保育事業の再興(国力の源泉、子供の養育)
敗戦直後の1947年(昭和22年)に児童福祉法が制定され、戦前の託児所が認証保育所という名称に変わり、戦後保育所がスタートします。
児童福祉法、保育所制度が戦後直後にスタートしましたが、それには前史がありました。
1938年(昭和13年)ころから、軍事力を増強し家族養育を補うために保育所の設置が促進されました。つまり富国強兵、国力増強の補完政策として保育所設置が行われたのです。 1944年(昭和19年)には、全国で2000を超える保育所があり、18万人弱の児童の保育がされていました。 表は、戦後草創期の保育所から
戦争により男子が少なくなり、戦災孤児があふれた戦後、国の復興を国民全体で担い、次の世代を育てるという意図に基づき、戦後直後の1947年(昭和22年)に児童福祉法が制定され、保育所が制度化かされました。
その後、高度成長を進める政策の補完的役割を保育所が担っていきます。高度成長期のモデルは、「長時間労働を行うモーレツサラリーマンと専業主婦」という新しい家庭単位を想定し、そのモデルから抜け落ちる職業婦人(看護婦等)や共働きを必要とする下層階級を支えるものとしての保育事業です。
戦後、1947年に児童福祉法が制定されて、認可保育所という制度が生まれました。
この認可保育所は、国の認可基準を満たして補助金が投入されたもので、現在は約2万3000カ所あります。この認可基準を満たさず、国からの補助金が投入されていない認可外保育所が現在約7000カ所あります。
戦後復興と高度経済成長を支えるため、国は「長時間労働のモーレツサラリーマンと専業主婦家庭」という新しい家族単位を、扶養控除税制等を代表的に、政策的に奨励してきました。第二次産業による経済成長を達成するために、最も効率的な労働力の再生産モデルだったためです。
そこにおいては、母親が働く家庭というのはマイノリティでした。ゆえに、今では日本語として違和感を感じる人も多い、「保育に欠ける」という言葉を使い、「保育に欠ける」子どもたちのために、福祉として保育所を作る、という政策を進めたのでした。
基本的には福祉政策であったため、その他の福祉政策と同様に、社会主義的ないわば「配給制度」を採用しました。つまり、行政がその地域の福祉を必要とする人々の数を把握し、それにあったサービス供給量を提供する、というモデルです。
サービス供給のやり方として、自治体が公務員を使って、自ら直営で運営する公立園。社会福祉法人という日本に特殊な法人格を持つ民間団体に委託する、私立認可園の2タイプです。
社会福祉法人は、戦後に作られた社会福祉事業法で定められた法人格で、政府の行いたい福祉事業を独占的に受けられ、税制面でのメリットを享受できる代わりに、剰余金の制限や各種規制をうける事業体です。政府としては、全て公務員を使って行うことは難しかったため、戦前から各地で独自に事業を行っていた慈善事業家や社会事業家を、自らの統制的な管理下におき、効率的に福祉サービスを広げていきたかったということです。
福祉政策として、保育事業が展開されたため、設置主体は、地方自治体と社会福祉法人が担うこととなりました。しかし、1970年代に豊かさを実現し、福祉政策の有効性が問われ、一方、専業主婦モデルが変貌することで、福祉政策としての保育所のフレームが揺らいでいきます。
3.1990年代:保育所=福祉政策の破綻
同じく、駒崎弘樹氏のまとめから見てみましょう。
さて、こうした社会主義的な配給体制に基づく認可保育所供給政策は、80年代から綻びを露にします。85年に雇用機会均等法が施行され、女性が正社員としてフルタイム労働に参画していくのが後押しされ、働く女性の数が増加します。 それに伴い、働く母親の数は増加していきました。
国はようやく94年エンゼルプラン・99年新エンゼルプラン等の施策を打ち出しますが、政策の大きな方向転換をすることができません。同時並行的に、1990年代中盤には、共働き世帯数が専業主婦世帯数を追い抜きます。
90年~2000年代からは長引く不況と非正規労働の増加によって、夫の収入だけで家計を維持することが困難になり、母親の就労がパート・派遣労働等、多様な形態を取りながら更に進みます。
こうした「働く母親の数が増えた」「働き方が多様になった」ことに対し、戦後から高度経済成長を支えた認可保育所配給制度は十分機能できませんでした。 70年前の社会状況を基に作られた諸々の基準は、高度経済成長を経た日本の都市環境には合わず、機動的にニーズに合わせて建設していくことができなかったのです。
戦後復興、高度経済成長を果たした結果、家族モデルが崩壊し、専業主婦ではなく働く女性が主流となったことで、戦後福祉政策としての保育所が、曲がり角に至りました。
次回は、1990年代以降の保育所をめぐる動きを見てみます。その歳、幼児・子育てにとって大きな存在である幼稚園も含めて考察します。
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2014.08.05
新たな介護の可能性 4.高齢者の社会への導き
皆さんこんにちは。前回記事では、社会に対して積極的に役割を担っている高齢者の事例より、その源には「志」があること、そして日本には大小さまざまな志が眠っていることが見えてきました。それは可能性である一方、自分が志を実現しなくてもなんとかなるという認識(=高齢者としての役割を放棄)している状態であるともいえます。 今回記事は、3つの事例より「高齢者の役割」を探索していきます。
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2014.07.30
新たな保育の可能性1~プロローグ
当ブログは、「介護」というテーマを始めましたが、もう一つ、「新たな保育の可能性」というテーマも初めていきます。
介護に限らず保育も、お上に頼らず自分たちで実践できることがあるはずです。それが、これからの家庭のあり方や、子育てを本来どうすべきかを考える切り口になるのではないかと考えています。
ただ、「保育」という言葉は子育てとしては特殊な状況を指します。自身のこどもを育てる言葉「育児」に対し、「保育」は他人が子供を育てる意味の言葉です。誰が育てるかにかかわらず、子育てとしての可能性を追求したいと考えます。保育と育児を分けて考えること自体に問題があるようにも思えます。
目標は、新しい保育・育児事業の提案です。
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2014.07.28
新たな介護の可能性 3.現役シニアに見る「志」
(画像はこちらからお借りしました)
皆さんこんにちは。
本日は「新たな介護の可能性」4回目の記事をお届けします。テーマは『現役シニアにみる「志」』です。
前回の記事では、シニア層のなかで社会貢献を目指す方々が増えてきていることを示しました。やり方は様々。本格的に起業する人もいれば、ボランティア的に地域活動に参加する人もいます。いずれの方々も“悠々自適な生活”を人生のゴールとせず、積極的に役割を担っていこうという意識をお持ちです。ここにはなにやら共通の意識・・・いってみれば『志』(ここざし)と呼べるものがありそう。そこで、今回は、具体的な事例を挙げ、そのあたりを掘り下げてみたいと思います。
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2014.07.23
【コラム☆感謝の杜】現代人の疲れた体をよみがえらせる断食の効用
私たち現代人の消化器系は無酵素食品の増大で悲鳴を上げているそうです。
上記の画像はここからお借りしました。
そんな悲鳴を上げている私たちの消化器系に有効となるのが断食だそうです。
断食には、治癒をうながすだけでなく、若返らせるはたらきもあります。
ではなぜ、断食にはそんな効果があるのでしょうか?
○悲鳴を上げている現代人の消化器系
私たちの消化器系は、一日に約7リットルもの消化液を分泌し、ひっきりなしに蠕動運動を行い、消化と吸収を行っています。消化と吸収には、実は莫大なエネルギーを使っているのです。そして、食べ過ぎや、時間に追われながらの食事、ストレスを抱えながらの食事、難消化性の肉や脂っこいものの多食などで、疲弊してしまいます。
そして、消化や吸収がうまく行かなくなり、腸内環境が悪化し、悪玉菌が増えるということが起こります。腸粘膜はボロボロになり、消化されていないたんぱく質が血液に入り込んでくる(リーキーガット・シンドローム、LGS、腸管浸漏症候群)ということも起こります。これは、免疫系に異常反応を起こさせ、アレルギーのほか、リウマチ、うつや痴呆、統合失調症、もう少し身近には、吹き出物や肩こり、頭痛、肌荒れの原因にもなっていると考えられています。現代人に、アレルギー疾患が激増している背景には、消化器系が疲弊し、弱っているということがあげられます。
○無酵素食品の問題さらに事態を悪くしているのは、食べているもののほとんどが、生命力のない無酵素食品であることです。野菜でも魚でも生の食品と醗酵させた食品には酵素が含まれているので、自然に消化されてゆく性質があります。ところが、加工、加熱調理した食品では、酵素が壊れていますから、それらを消化するのに100%自分で作り出した酵素を使って消化しなければなりません。
人間が一日に作り出せる酵素には限りがありますから、加工、加熱調理した食品ばかりを食べていると、慢性的な酵素不足になります。例えば、脂肪を消化するリパーゼは、体内の余分や脂肪を分解して燃やすためにも必要ですし、たんぱく質を分解するプロテアーゼは、細菌やウイルスやアレルゲンを分解するためにも必要です。
私たちは、元気が出ないときほどしっかり食べなくては!!となりますが、いくら食べても無酵素食品ならば、かえって元気がなくなってしまうということなんですね
○眠っていたDNAがONに
実は、人間のDNAには、もともと断食をすると、スイッチが入るプログラムが組み込まれているのです。 まず、断食して8時間くらいたつと、90分くらいの周期で胃からモチリンというホルモンが分泌されて、腸の蠕動運動を促します。これを、空腹時伝播性収縮(IHC)といいます。それは食物が入らないうちに、腸の中を大掃除して、メンテナンスをしているのです。その結果、腸壁にこびりついたいわゆる宿便がこそぎ落とされるのです。宿便が実際に排泄されてくるのは、多くの場合、断食後3~4日後です。宿便の正体は、粘膜付着性の細菌の死骸と考えられます。
さらに断食1~2日くらいからは、ホルモン感受性リパーゼという酵素の働きで、 余分な体脂肪が分解され、一部はアセチルコリンに変換されて燃やされ、一部は、ブ ドウ糖に変換されて、脳、神経系のエネルギー源として使われます。脳、神経系は、ほとんどブドウ糖を唯一のエネルギー源にしているので、脂肪やたんぱく質をブドウ糖に変換して送り込む必要があるのです。このようなはたらきを「糖新生」といいます。○潜在能力がフル稼働
さらに数日後には、リンパ球やマクロファージといった免疫細胞が激増し、活発に活動するということが起こります。また、断食をすると次第に、嗅覚をはじめとして感覚が鋭敏になってきます。直観力や霊感も鋭くなるということから、宗教の世界では、断食は、霊的覚醒や悟りと結び付けられています。昔から、断食祈願ということが行われていますが、実際に断食中に祈願したことは実現しやすいといわれています。
腸内細菌はいったんほとんど死滅し、宿便の排泄後は、圧倒的に善玉菌優勢になり、便がきれいになるということも多くの人が体験しています。
そのほか、通常の生活では食べ物を消化するために費やしていた酵素を、自由に使えるようになることで、様々なメンテナンスが行われていると考えられるのです。
その後適切な食習慣を保てば、体が軽く、思考も冴えた感じが維持でき、味覚も鋭敏になり、ごく素朴な食事が美味しく感じられ、幸福感が得られるjことでしょう。
3日間の断食で、平均的に体重は3Kg程度減量出来ますが、それをきっかけにした体質改善と、生活習慣の改善により、その後も持続的にスリムアップし、10Kg以上も減量に成功できたケースも多く見られます。▽断食の聖者マタジ
断食は現代人にとってかなり有効な健康法といえるかもしれませんね。
しかし、注意しなくてはいけないことがあります。といのも私たち現代人は、日ごろ、加工食品や過度の調理した食品の食べすぎや、エンプティ・カロリー(必要なビタミン、ミネラルを伴わないカロリー)のとりすぎで、酵素の働きが枯渇している場合が多いため、いきなり完全断食に入るのは危険な場合があるのです。特に、酵素がうまくはたらかずに糖新生が円滑に行かないと、脳や神経系が働くためのエネルギーが不足し、意識が朦朧としたり、虚脱感に襲われたり、断食が続けられなかったりします
ですから、もし断食してみようという人がいたら・・・・
少量の炭水化物とビタミン、ミネラル、生きた酵素を補給しながら断食をすることで、安全かつ効果的な成果が得られるとのことです。
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posted by hoiku at : 2014.07.23 | コメント (0件) | トラックバック (0) TweetList