新たな保育の可能性2 富国強兵を継承した戦後保育所 |
メイン
2014年08月12日
新たな介護の可能性 6.高齢者の役割を再考する
本シリーズの追求は、プロローグで提起した第2の視点「高齢者の役割、働き方の変化?」に入っています。
現代の高齢者は定年後はほとんど社会的な役割がなく、多くの人が社会保障制度にぶら下がって生きていますが、このような高齢者のあり方は当たり前のことなのでしょうか?
そもそも、人類社会における高齢者の役割はどのようなものであったのか?からさかのぼり、これからの高齢者の役割を再考してみたいと思います。
応援よろしくお願いします↓
1.高齢者の役割は元々どのようなものだったか?
1)原始共同体社会
そもそも、人間以外の動物、もちろんサルにも高齢者(生物学的に見て「繁殖を停止したのに、なおかつ生きている」と定義される)はいません。人類だけに高齢者が存在するようになったのはなぜでしょうか?
>高齢者の存在は人類社会のなかで、どのような役割・機能を果たしていたのか?・・・アフリカの狩猟採集民のライフスタイルの調査をした
>一番大事な仕事は子育てだったのです。
>狩猟採集民の生活は過酷です。食糧を調達するために、必死なって働かなければならない。
>子どもを産んだからといって、子育てに専念しているゆとりはなかったということです。
<高齢者の役割 ~文化・知識・技術の伝承者および子育て~ より引用>
>タンザニアの採集民の、最後の最後の役割が、「子守り」だったことが分かります。
>「子育て」は自分の子供だけを見ている。だから見える範囲が狭くなる。結果として子育てを失敗する親が多くなる。
>「子守り」とは、いつも側にいて、見守っていること。しかも、自分の子や孫だけでなく、たくさんの子どもを見守っていること。
人類だけに高齢者が存在するようになった理由は、集団の子どもたちを育てる「子守り」の役割が必要とされたことにあったようです。
文明以前の共同体社会において、高齢者の役割が活かされる社会では、さらに重要な役割が付け加わります。
>伝統的社会で生きる高齢者がはたせるもっとも重要な役割は何だろうか。文字体系のない社会では、すべてが人間の記憶頼りとなる。そのような社会では、高齢者は社会の生き字引なのである。
>部族に昔から伝わる神話や歌について知っているのは高齢者なのである。人々の親戚関係、いつだれがだれに何をしたかについて知っているのも、地元の何百種類もの動植物の名前と性質と利用法、生存環境が悪化したときにどこで食料をみつけたらよいかといったことについて知っているのも高齢者なのである。だからこそ、伝統的社会の人々にとって、高齢者の介助は死活問題だったのである。
<文明以前の社会、高齢者はどのようであったか?より引用>
2)古代社会
文明社会になっても、高齢者の役割は継承されます。古代社会では老人はとても大切にされていました。
>市場社会では、「若さ」が好まれ、「老い」が嫌われますが、人類史を見るとその現象は極めて特殊だと考えられます。
>古代エジプト人は「老い」に対しても豊かな文化を持ち、老人を非常に大切にしました。それは、年を取り、経験を積むと、人間は賢くなると考えられていたからです。賢くなった老人とは、知恵の宝庫であり、技術の伝承者でもある。つまり、社会の貴重な財産として扱われていました。
>古代中国も大いなる「好老社会」でした。
>老荘の哲学は「老い」というものを、醜く年を取ること、老衰していくことというようにネガティブにとらえるのではなく、充実であり円熟であるとひたすらポジティブに考えるのです。
3)江戸時代
日本の江戸時代でも、高齢者にはちゃんと役割があり、頼りにされていました。
>江戸時代、隠居生活は恵まれた農民のみで、その他の農民は老後も働ける限りは働く。
>地域の年配者の持つ技術と長い人生経験に基づく教えは農民の間で伝承され続けた。
>江戸時代、老人の役割の一つに村のもめごとの仲裁があった。老人は現実社会の利害関係からある程度超越し、人生経験も豊富だから。
>江戸で皆が心底祝ったのは歳を重ねること=長寿。江戸では、年長者をとても頼りにし、いたわっていた。
>還暦からが人生で一番楽しい時間というのが江戸の考え方
<江戸の老人の役割より引用>
>日本ではある程度の高年齢に達すると「隠居」すると言う文化があった。隠居とは、家督を後継者に譲って、自分は第一線から退く。
>彼らは地域の伝統をつなぐべきしつけ係としての大役を、楽しみのひとつとしてつとめてもいた
>隠居と隠遁とは違う。趣味三昧の生活であれ、ある部分で実社会とのつながりをもっていた。
2.高齢者の役割がなくなったのはなんで?
ところが、近代以降、高齢者の役割が見失われてゆき、「老い」は好ましくないもの、否定的なものになっていきます。老人に対する価値観が変わっていったのはなぜでしょうか?
>明治以降、(中略)村落共同体の風習全体を悪しきものとして否定してきた知識人と官僚であれば、(中略)かつての村落共同体の高齢者は悲惨な扱いをされていた(それに比べると現在は恵まれている)と捏造した疑いが濃厚です。
近代以降の市場化に伴い、それまでにあった村落共同体的な価値観は旧いものとして否定されていきます。明治新政府は欧米の観念や制度を取り入れることによって市場拡大を推し進めました。
現代に至るまで、市場拡大は絶対とされ、都市化に伴って日本の伝統的な村落共同体は崩壊していきます。バラバラな個人となった都市住民の多くは企業に雇われるサラリーマンとなり、共同体の中にあった高齢者の役割は失われていきました。
高齢者の役割喪失に伴って、高齢者は若い世代が年金や介護保険などの社会保障制度で養うべきやっかいなだけの存在となり、やがて人々は老人を敬い、老人から学ぶという大事なことを見失っていきます。
>高齢者の役割がないのではなく、現代の我々が、氾濫する市場の刺激的な情報に目を奪われ、生きていく上で学ぶべきことを見失っているというのが実態なのではないでしょうか。
<学ぶ姿勢の喪失が高齢者の役割を見えなくさせているより引用>
3.今後高齢者に期待される役割は何か?
以上の考察から、高齢者が本来担うべき役割は、大きくとらえると「集団を守り、導くこと」にあると言えます。その中心的な役割を人類の原点から考えると、若い子育て世代をサポートし、「子守り」をすることが高齢者誰もが担うべき(担える)役割だと考えられます。
高齢化社会の進展に伴って、高齢者の役割が再考される必要がありますが、本源回帰の潮流の中で、高齢者の役割も本源的な役割への期待が高まっていくことは間違いないでしょう。
そのような観点で、新たな高齢者事業の可能性?保育と高齢者の接点?などのテーマを追求していきます。次もお楽しみに!
投稿者 yukitake : 2014年08月12日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://web.kansya.jp.net/blog/2014/08/3459.html/trackback