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2014年07月28日
新たな介護の可能性 3.現役シニアに見る「志」
(画像はこちらからお借りしました)
皆さんこんにちは。
本日は「新たな介護の可能性」4回目の記事をお届けします。テーマは『現役シニアにみる「志」』です。
前回の記事では、シニア層のなかで社会貢献を目指す方々が増えてきていることを示しました。やり方は様々。本格的に起業する人もいれば、ボランティア的に地域活動に参加する人もいます。いずれの方々も“悠々自適な生活”を人生のゴールとせず、積極的に役割を担っていこうという意識をお持ちです。ここにはなにやら共通の意識・・・いってみれば『志』(ここざし)と呼べるものがありそう。そこで、今回は、具体的な事例を挙げ、そのあたりを掘り下げてみたいと思います。
■事例・・・大きな「志」を持ったシニアの方々
元気なシニア層の意識にある「社会貢献」とは、実際のところ何だろう?自分がもし、その年齢、その立場になったとき「社会貢献したい」と思うためには何が必要だろう?・・・しばらく考えてみて、全然わからなかったので、ともかく元気なシニアの最たる事例を調べて読み込んでみました。その結果、この人たちの元気の源には『志』(こころざし)があるのではないかと思えてきました。以下、そのようなことに気付いた事例を紹介します。(御歳順です)
□土光敏夫 氏(享年92歳)・・・「無私の心」(「佐々木常夫オフィシャルWEBサイト」より)
土光敏夫は石川島播磨重工業や東芝の社長のあと経団連会長や第2臨調会長と次々難しい仕事を引き受け実績を残す一方、その質素な生活ぶりで「メザシの土光さん」としてつとに知られており、経済界のみならず政界からも戦後最も尊敬されたリーダーの一人といってもいい人物である。
~中略~
まずなんといってもだれも真似ができない凄さは、その「無私」の思想にある。何事にも「私」がない。すべての発想や行動の原点は「己」ではなく「公のため」即ち「世のため人のため」にある。
~中略~
土光の考え方は、母親の性格や躾によるところが大きく母親のいう「個人は質素に、社会は豊かに」を生涯通した。~後略~
□神内良一 氏(88歳)・・・「行い 想いを超ゆることなし―私の原点は農業―」(農業生産法人 有限会社 神内ファーム21「ファーム理念」より)
私は米寿をむかえました。幸いにしてプロミスを東証一部上場企業に育て上げることができ、また平成元年から始めた念願の「国際福祉事業」も軌道に乗りましたが、今一つ、私には、どうしてもやり遂げたい「夢」があります。それは、「北海道の開拓民となって、新しい農業を実践し、それを広めることです」
農業は人が生きていく上での原点にもかかわらず、疎かにされている現状は憂うべきものがあります。私は長年温めてきた「理想の農業」というものを実証、確立させ、経済的にも精神的にも豊かな暮らしができる営農モデルを作り、平成の開拓村として広めていきたい。その新たな夢に向かって残りの人生を賭けて走り出しました。
私が農業にこれほどの夢を抱くのは何故か。それも生まれ故郷ではなく、北海道に拘る訳は―。
・・・以下表題のみ紹介・・・(是非上記のリンクをたどって本文をお読みください)
・小作農の三男を農業に駆り立てたもの
・北海道の開拓民を志した青春時代
・農業を天職と惚れ込みながらも回り道
・神内ファーム21設立
・コンセプトは「克冬制夏」、野菜の通年栽培
・北国で南国の果実を
・広い草地を活用して肉牛生産を
・農業の第6次産業化を
・北海道農業を担う知恵のある農業者の集団を目指す
・美しい景観に囲まれ心豊かに
・我が人生、最後の真剣勝負
□稲盛和夫 氏(82歳)・・・「己を虚(むな)しゅうする」(PRESIDENT Online 『稲盛和夫が直言「伸びる人、立派になる人、いらない人」』より)
~前略~
1番大事なことは「己を虚(むな)しゅうする」、つまり自分を捨てることです。リーダーが利己的な考え方を少しでも持つと組織は正しく機能しません。ですから、リーダーはフェアで公明正大な心を持ち、全身全霊で組織に命を吹き込まなければなりません。あらゆる集団のリーダーが、強い使命感を持ち自分たちのビジョンに向かって、純粋な心で打ち込めば、企業経営はもちろん、政治にしろ行政にしろ、どんな組織でもうまくいくのではないでしょうか。
~中略~
実はJAL破綻の前に私は何度も会長の就任要請を受けていたのですが、お断りしていました。年も年だし、航空業界は全く未知の世界なので、私の任ではないだろうと考えたのです。私の家族も友人も皆反対でした。ただ、JALを再生させることは、3つの大義があると考えました。
まず、日本経済のためです。JALがこのまま倒産すれば日本経済に非常に大きなダメージを与えます。日本を象徴する企業で、売上高も2兆円ほどあり、従業員も5万人近くいたわけです。その会社が2次破綻してしまうことは、低迷している日本経済をさらに悪くしてしまうのではないかと考えました。
次は、残った社員のためです。更生計画が策定され従業員約1万6000人が削減されることになりましたが、それでも3万数千人の社員が残るわけですから、その雇用を守ることは、社会的な意義があるのではないかということです。
最後は、利用者のためです。日本にJALと全日本空輸(ANA)という2つの大きな航空会社が存在することで、健全な競争環境が生まれます。それが1社独占になると、運賃は高くなりサービスも低下してしまう。1社化によって生じる弊害を考え、JALを再生させなければならないと強く感じました。
~後略~
□坂本孝 氏(72歳)・・・ブックオフの創業者が「飲食業界の将来のために」と起業(「俺の株式会社 社長からのメッセージ」より」
この事業を立ち上げるとき、私は日本の飲食業界を取り巻く機運の盛り上がりを日々実感しておりました。日本には、世界に冠たる料理人、いわば世界遺産ともいえる人たちが大勢います。ところがいざ調査を始めてみると、調理学校を出た人たちが10年後も飲食業に携わっている確率は1割にも満たないということを知り、驚きました。厨房の世界に魅力がない、将来の夢が見られない、そんな理由で人がどんどん辞めていくらしいのです。かたや飲食業界の顧客はというと、ファーストフードの台頭により、一流の料理人が作った幸せを実感できる美味しい料理を味わう人があまりにも少ないと気づき、日本の食文化の危機を感じました。
理想と現実のギャップがある。飲食業界の将来のために立ち上がらねばいけない。
~中略~
嬉しいことに、立ち飲み業態では、今の社会が忘れかけている「人との語らい」がもたらされます。肩すり寄せる距離の人たちと自然に会話が生まれて、なぜか親しくなっていく。そんな空間を提供することで、従業員は仕事に誇りが持て、幸せを実感できるのです。
~後略~
□ 植村博 氏(65歳)・・・20年がかりで商店街(地権者)をまとめ魅力的な再開発に成功(日本ショッピングセンター協会 ホームページより)
丸亀町の再開発は「人が住み、人が集う街」を目指し高松丸亀町商店街振興組合が構想から20年かけて取り組んできた事業。全長470メートルの商店街をA~Gの7つの「街区」にゾーニングし、各街区ごとに特徴を持たせながら、段階的に整備する計画は、日本の商店街再生の数少ない成功例として注目を集めた。植村氏は、1949年丸亀町生まれ、日本大学商学部卒業後、75年(株)菱屋入社、86年同社代表取締役就任。04年高松丸亀町商店街G街区市街地再開発組合理事長就任。07年同商店街振興組合副理事長就任。11年丸亀町グリーン(株)代表取締役社長就任。
(丸亀町G街区について植村氏の言葉「高松丸亀町商店街G街区」より)
丸亀町G街区のコンセプトは『育むまち』としています。街は『生き物』です。街と市民がお互いに育みあい、センスを育み、生活を育み、やさしさを育み、地域を育み、文化を育み、そして郷土の未来を育みたいと考えています。ここでは、人々が集い・ふれあい、人と街とが育みあってお互いに成長しあって行く。また、充実した町中生活を満喫でき、皆様に親しまれる活気に溢れた街を目指します。街に訪れる人々、生活する方々と共にG街区が成長し、地域に貢献出来る事がG街区の役目だと考えています。是非丸亀町G街区にご期待下さい。
■「志」とは何か?
上記に挙げた大先輩の事例から真っ先に読取れるのは、土光氏の言葉を借りれば「無私の心」です。大先輩は、“悠々自適な生活”などという考えは全くお持ちでない。むしろ、それとは全く逆の「公のために」(土光氏)、「日本経済のために」(稲盛氏)、「日本の農業のために」(神内氏)など、大きくかつ明確な社会的目的意識を持っていらっしゃいます。これを『大志』と言うのかと感服しました。
大先輩の仰ることから考えると、「志」とは、自分第一という考えと真逆の位置に芽生える「社会的な目的意識」。それを言葉化したものだと思い至りました。社会という広い対象の期待に応えようと尽力するから、活力が継続的に出る。したがって、ずっと元気、というわけです。
また、このように考えると、「志」の大きさとは、自分第一などの自我を滅却して、どこまで広い範囲で社会的な課題を捉えているかによっていると思い至りました。大先輩が語る言葉の重さは、これらを総合した『大志』を実現しようとする意思の強さによっているのだと思います。
■私権時代と「志」
私権時代の人間は、私権観念や自分観念によって、潜在思念からくる必要(価値)意識⇒課題意識⇒目的意識に蓋をしている。なんらかの自己正当化観念によって、私権の現実に対して諦めや妥協をしながら生きているとも言える。人間は誰しも未知収束⇒追求回路を持っているはずだが、自己正当化観念は、自分で自分の首を縛る自縛観念だ。これでは「志」を持ちようがなく、追求力も半端なものになってしまう。(るいネットの投稿「土光敏夫氏の「無私の心」に学ぶ」より)
現在の60歳台、すなわち主要なシニア層は、団塊の世代の方々です。団塊の世代の方々は、戦後日本の勢いに乗って、一生懸命働いてくれました。しかし、多くの人が私権闘争の否応のない現実を前にして、本来あるべき社会的な目的意識に“諦めや妥協”をしてきた。すなわち、「自分第一」などというところに己を落ち着けて(≒自己正当化して)きたのだとも思います。前回の記事で団塊の世代を「近代思想に強く影響され、個人主義、私生活第一の価値観が強い」と申し上げましたが、これは、時代がそのようにさせたのでしょう。今現在だって強弱の違いはあれ、私権的な意識や制度が残っています。そのため、自分第一に収束している若輩者は、私を含めて多数であると思います。
いずれにしても、私権時代とは、社会的な目的意識としての「志」がもちづらい時代。裏を返せば、事例として挙げた大先輩は、そんな中にあってもなお大志を抱き続け、見失わないために、輝いて見えるのだと思います。
■シニア層の意識変化に見る可能性
ここまでを見て、改めて考えると「シニア層のなかで社会貢献を目指す方々が増えてきている」という事実は、大きな意識変化として注目に値します。なぜなら、私権時代とは「志」をもつことが難しい時代だったからです。それにも関わらず、私権時代を生きたシニア層の方々が社会貢献を志向し始めているからです。
社会貢献とは、社会的な目的意識をもった行動のことです。今はまだ明確な言葉=「志」として言葉化されていないかもしれませんが、「役に立ちたい」という意識からは明確な目的意識が感じとれます。したがって、社会貢献という行動の意味が、言葉(観念)として固定されれば容易に「志」になるはずです。「志」が固定されれば、社会貢献活動の方向性(やり方)が具体的になるし、そのための追求が始まる。そして、「志」を同じくする人は『同志』になり、様々な社会貢献活動がより良くなる方向への追求を伴って、同志関係が広がっていく・・・。シニア層の意識変化は、私たちに『「志」が実現可能な時代になった』ということを教えてくれているのではないでしょうか。
■大小さまざまな「志」が数万単位で眠っている日本の社会
2013年9月の日本において、65歳以上の人口は約3200万人といわれています。そのうち、働き続けておられる方は、308万人。約10%の方々が定年退職の時期を超えても仕事を通じて社会に関わっておられます。
この10%という数字だけを見れば、働き続けている人は少数派かと思われますが、実に300万人もの元気なシニアがいらっしゃるのが現在の日本。このように見たほうが可能性と捉えやすいです。そして、仮に、その方々のうち3%=9万人が「志」を抱き、その実現可能性に向けて行動し始めたらどうなるでしょう?芽生えはもう起こっているのです。
こうなったら、社会的目的意識=「志」と追求の輪を広げていくしかない。これが広がっていけば、元来働き者の日本人が、新たな役割と活力を得て、元気よく(死ぬまで)働く=追求する社会が形成されると思います。
我々、現役世代も動かないといけません。私権時代では成しえなかった新しい事業の実現に向けて、動いた者がその可能性を掴む時代が来たのだと思います。
長々と失礼いたしました。
次回は、日本人に限らず、「人は元来働き者だ」ということのルーツをたどってみたいと思います。ご期待ください。
投稿者 HAYABUSA : 2014年07月28日 TweetList
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