2018.03.16
前回、小学校は勉強など教えず保育所としての機能があればよい、という話を紹介しました。親としては、10歳を過ぎるまで遊んでばかりで大丈夫?と心配になってきますが、ガリガリ勉強しないほうが、その後の知識の吸収力、思考力の伸びが大きくなるのだそうです。
実はこの時期、勉強よりももっと大事なことがあるのです。今回はそのカギとなる生活体験と科学的知識について考えてみます。。
以下(http://homeshoolclub.blogspot.jp/2011/04/blog-post_08.html)より引用します。
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科学的知識と生活体験
人が学ぶということを考えると生活体験と科学知識の二つの面があると思う。
特に幼い子どもの場合は多くの知識は生活体験から得られる。目で見て、手で触って、音に聞き、時には濡れて、溺れて、そこから水というものを知る。やがて水が凍ることで氷になることや、蒸発して空気になってしまうこともあることを体験し、そして親から水は0度で氷になり、100度で蒸発するということを教わって、科学的知識として身につける。つまり生活体験が科学知識と統合して概念になる。これをいくつも繰り返し成長する。
子どもが幼稚園や学校に進むとこれが逆転する。先に授業などの形で国語、算数といった科学的知識を教えられ、その知識を生活体験により確認することで個人の中で概念として確立させることができる。
つまり、子どもが大人になるということは生活体験と科学的知識との相互作用の輻輳的積み重ねである。生活体験だけでは未開な原始人的生活だけで終わることになるし、科学的知識だけで生活体験を持たないといわゆる机上の空論となり、自分自身を含め、誰をも説得することはできないだろう。
文明が開く前は覚えることも少なく、なれる仕事も限られていた。だから3年から6年勉強すれば大人として仕事もできた。人間の歴史が深まるにつれ、獲得すべき知識は増大の一途をたどり、成人までにすべてを習得することは不可能となっている。一方学歴社会が少年少女に進学競争の激化という形で強いプレッシャーとなり、多岐にわたる知識の習得が要求されるようになった。その結果、生活体験をする余裕もなく、一方的な科学的知識の詰め込みという形が学校さらには家庭に蔓延することになった。
今多くの若者たちの間のニートや引きこもりなどの虚無感はこの生活体験なき科学知識の押しつけからきていると思われる。
子どもたちにとって学校や家庭は授業を受け、成績を上げることによってしか自らを評価されない場となってしまった。学校ではわずかばかりの体育や休み時間という生活体験の場を除けば常に競争にさらされている。家に帰っても塾や家庭教師や宿題に追われて、生活体験をする場はほとんどない。
そういった空理空論の詰め込みに耐えられなくなった子どもが不登校などの非常手段をとるしかない状態に追いやられていると考えている。また科学的知識偏重が、生活体験の不足となって共感性の未熟さとなり、いじめを誘発しているのではないだろうか。
12歳ぐらいまでの時期においては家の手伝いや、遊びを通じた生活体験の充実が大切であり、科学的知識は中学生ぐらいからで十分間に合うと考えている。
一例をあげればホームスクールを14歳までやっていた少年が、あるとき文字が読めないことに困って勉強を始め、18歳の時にはハーバード大学に入学したという例がある。別の例では中学生の歳まで釣りばかりしてまったく勉強をしなかったが、一念発起し、小学校6年間の教科を1年間一人で難なく習得したともいわれる。しかもその後の成長は同学年の学校へ行っている子供より早かったそうだ。
つまり、彼らは勉強を始めるまで毎日遊びほうけていたが、その中で確実に成長していたということだ。さらに学校へ行っている子どもたちが教師の言うとおりに単純に記憶していたのに対し、彼らは自らの体で、リスクを背負いながら物の道理を体験していたのだ。だから学校に行った子どもより、物の本質を見極める目が育っていた。科学的知識をその豊富な生活体験と突合せでき、概念をスムーズに確立できたといえるのではないだろうか。
子どもの生活体験をおろそかにすると、いずれそのツケを子どもが支払うことになる。
と私は思っている。
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生活体験を土台にして科学的知識が統合され概念が確立される。体験学習という言葉がありますが、これが学びの見本なのだと思います。ところが今の学校教育は知識偏重、というより知識しか教えず知識でしか評価しないという異常な状態にあるのです。
小学校(あるいは幼稚園)から知識を詰め込まれた子どもに比べ、遊びまわり、生活体験を充分に積んできた子どものほうが学習意欲も追求力も格段に上昇します。小学校が保育所機能のみに特化したほうがより有能な人材輩出に繋がるのだとすれば、教育改革の目指す方向は現在教育方針とは全く逆になっていくはずです。
続きを読む "小学校までは遊んだほうがいい理由~生活体験が土台にあって始めて知識が統合される"
posted by hoiku at : 2018.03.16
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2018.03.13
まるたんぼうの続き、代表の方のお話です。
◆ マングローブに魅せられて森林の専門家に
代表の西村早栄子さんは1972年、東京都町田市に生まれた。東京生まれの東京育ちだ。東京農大の林学科でマングローブの関心を持ち、琉球大学修士課程に進学。その後、さらに京都大学農学研究科熱帯林環境学講座(博士課程)に進む。京大在学中に1年半ミャンマーに留学。学生結婚し、2001年に長女が誕生した。
翌02年、鳥取県出身の夫が県の職員になり、03年林業技師の募集があったので早枝子さんも林業技師の仕事に就いた。林道に道を付ける仕事や、森林組合による森林整備の監督などが仕事だ。林業専攻の夫婦にとって日本十大林業地の智頭は憧れの地だった。いずれ智頭町に、古民家に住みたいという夢を持っていた夫妻は2006年、念願の古民家を入手し智頭町に移住。3人の子供と愛犬と暮らしている。ちなみに6haの山(半分は広葉樹)も町内に入手した。”マイ滝”が自慢だ。
そんな森のプロでもある西村さんが、「森の幼稚園」を知ったのは『デンマークの子育て・人育ち』という本を読んだこと。「幸福度一番の国では、こんな子育てがされているんだ。森の幼稚園を自分もしたい」と思ったことがきっかけだ。
ミャンマーでの生活も大きな影響を与えている。牛車や馬車が車代わり。「ミャンマーでの一年半、ビルマ人もいかないようなデルタ地帯で研究していたので、けっこうサバイバルというか生きる力が付いたように思います。ミャンマーに比べて今の日本の子育ては全く子供をスポイルしています。日本は殺菌しすぎ。」と指摘する。
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2018.03.09
学校に行く意味はなんだろうか。教育を受けるため、学歴を手にいれるため・・・
強制されて勉強嫌いになるくらいなら行かないほうがまし。役に立たない学歴のために行くなんて論外。学校から勉強を取ったら何も残りません。
でもよく考えると、共働き家庭が増えて学童保育の重要性が議論されているように、学校の保育所としての役割はますます大きくなっているように思います。親たちが学校に期待する本質は、子どもたちが日中安全に楽しく過ごせる場、保育所なのではないか?と考えられるのです・・・
続きを読む "学校は不要。10歳までの保育所があれば、子どもも母親も勉強の呪縛から開放される。"
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2018.03.05
次は鳥取の まるたんぼう です。前半は活動内容です。羨ましいほどの自然の中で活動しています。
山村に響く幼児達の歓声 -森の幼稚園「まるたんぼう」(鳥取県智頭町)-
森の中から小さい子供たちの歓声が聞こえてくる。10人はいるだろうか。林の中に放置されている杉の丸太をシーソーにして遊んでいるのだ。
93%が山林の、人口8000人弱の山村といえば、通常は高齢化率が高く、人の姿、とりわけ子供の声など聞こえないのが一般的だ。しかし、ここ智頭町(ちづちょう)は違う。晴れの日も、雨の日も、雪の日も、平日は毎日、町のどこかの森で子供達の楽しそうな声が響いている。それは「森の幼稚園」があるからだ。
何でも遊具になる
鳥取県智頭町は、鳥取県の南東部に位置し、鳥取藩の宿場町「智頭宿」で知られる。面積の93%を山林が占め、ほとんどが杉で、かつては十大林業地として栄えた。鳥取砂丘を育くむ千代川の源流の町だ。
「森の幼稚園」とは、1954年にデンマークで一人の母親、エラ・フラタウさんによって始められた自然の中での野外保育だ。ドイツでは1993年に始まり各地に急速に広がっていった。特徴は、森や自然の中での五感を使った自然体験にある。日本でも1985年から屋外で保育をしている「青空自主保育なかよし会」(神奈川県鎌倉)や、「キープ森のようちえん」(山梨県北杜市)、「ねっこぼっこ」(愛知県春日井市)などがある。2005年からは「森のようちえん全国交流フォーラム」も開かれている。
私が訪ねた智頭町の森の幼稚園「まるたんぼう」は昨年(2009年)にスタートした。始めたのは西村早栄子さん。鳥取県の職員であるが、育児休業中に自分の子供を森の中で育てたいと活動を始めた。2年目の今年は12人の3歳~5歳の子供たちが町内外から通っている。保育士さんは男女2名という体制。
町内から5人、鳥取市内から7人。町内は毎日17:00まで預かる。
◆ 町内9か所の森がフィールド
朝9時に町役場前に集合し、その日のフィールドに移動する。フィールドは町内に9か所。松の採圃(穂?)場、芦津(あしず)の森林セラピーロード、針葉樹(杉)林、広葉樹林、キャンプ場など、一口に森と言ってもバラエティに富んでいる。園舎は特にない。
今日のフィールドはキャンプ場近くの林と川だ。服装は帽子と長靴はマストアイテム。リックサックには着替え、お弁当、水筒、おやつが入っている。皆自分で背負う。金曜は「保護者アシスタントの日」で、一人か二人のお父さんお母さんが参加できる日だ。お父さんの姿も3人見える。
「朝の会」歌で始まる
幼稚園は歌に始まり、続いてリュックサックをしょって林の中に入っていく。リュックに付いた熊鈴がチリン、チリンと鳴って子供達の居場所を知らせてくれる。道があるわけではない。林の中を自由に歩き回り、林に放置されている丸太をシーソーにして遊んだり、発見したヘビを保育士さんに触らせてもらったり、鹿の角を拾ったり。虫の図鑑を持ってきて、熱心に眺めていたり、色々なものをコレクションしたり、それこそ十人十色の自然体験をしている。
ヘビ(じむぐり)に触ってみた
渓流は、岩魚もいるという澄んだ流れの速い川で、5月は未だ水温も低い。それでもどんどん川の中に入っていく子供もあれば、水にぬれないように岩を渡っている子供もある。せせらぎの音が心地よい。
「今年4月に入園した3歳児も先輩を見習って、2か月で歩き方が変わってくるんですよ。足のゆびをしっかり使って、岩に吸いつくように歩くようになるんです。」とは保育士の山中さん。
林の次は渓流
ここでは親の口癖、「危ない」「汚い」「ダメ」「早く」は禁止ワードだ。子供同士のけんかも大人は仲裁しない。「危ない」「ダメ」と大人が言わなくても子供達は本能的に危険を察知する。危険だと感じるところには近寄らないし、基本的に危険なことはしない。ケガや傷も一年間活動を続けて、集合場所の駐車場でケガをした子供一人、調理の日に包丁で指を切った子供一人の2回だけだという。
◆ 地産地消弁当。弁当箱も地元の杉で手作り
林と川で2時間以上遊び、スタート地点のキャンプ場の広場に戻って、ようやくお昼ご飯。一番お昼が待ち遠しかったのは私かもしれない。3時間近く外を歩いているだけなのに疲れた。子供達は走り回ったり、水遊びをしているからもっと疲れているはずなのに、2カ月余りですっかり体型も見違えてきたという。金曜はお弁当の日で、お弁当箱は親子で手作りした地元智頭産の杉材で作った”わっぱ”だ。本日初公開だそうだ。お弁当箱の中には地域の食材を中心にしたおかずが色々。鹿の燻製には驚いた。
大山地鶏の酒蒸し。ご飯にはぜんまいの味噌佃煮
昼食は月曜がおにぎり弁当で、木曜は調理の日だ。子供はお米と野菜を一種類家から持ってくる。ご飯とお味噌汁だけのシンプルな昼食。野菜を切ることも子供たちがする。
また、月曜は「ものづくり」の日で、地域のお年寄りから藍染のたたき染めとか、木工などを習う。「まるたんぼう畑」もあり、野菜も育てている。
なんと充実したプログラムだろう。園舎が無くても、遊具が無くてもこれほど多彩でオリジナルな活動を子供達は体験できるのだ。
代表の方のお話に続きます。
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posted by hoiku at : 2018.03.05
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2018.03.02
「うちの子はいくらいっても勉強しない。何かいい方法はないでしょうか?」
子を持つ親なら一度は(何度も?)口にしたことがあるのではないでしょうか。そんな期待に応えるために、ゲーム感覚で学習できる教材が買い開発され、結構売れたりしています。
でもそれが本当の勉強なのでしょうか?
そもそも何で子どもは勉強が嫌いになるのか。本当の勉強とはなんなのか。がわからないと、いつまでたっても自らの意欲で学び、学ぶことの楽しさを知ることはできないのではないかと思います。
続きを読む "学校に行くから勉強が嫌いになる。"
posted by hoiku at : 2018.03.02
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2018.02.27
代表の方へのインタビューです。
自然の中で自然に起きたことに対して、大人と子どもが一緒に丁寧に考えていく【インタビュー】
【プロフィール】
沼倉幸子さん 一般社団法人 森のようちえんはっぴー代表
1961年生まれ。千葉県千葉市の私立幼稚園で幼稚園教諭を勤める。退職後、自然学校の用務・地方移住・「森のようちえん」フォーラム参加の3つの要素から、自身で森のようちえんの開園を決意。千葉県南房総市に「森のようちえんはっぴー」を開園し、同園代表に就任。
子どもに関わる仕事に、「自分で創りだす」というエッセンスを持ってカムバック
-今までのキャリアをお願いします
学校を卒業してから、幼稚園で11年間働いていました。うち10年は同じ園で、残りの1年は公立幼稚園でアルバイトをしていました。とにかく子どもが好きだったので、すぐにこの世界に入りました。
一度幼稚園を離れ、自然学校の事務を担当したあと、退職して現職の「森のようちえん」を始めました。
-きっかけは何かあったんですか?
この仕事を始めたのは、2つのきっかけがあるんです。
1つは【存在を知った】ということ。毎年行われる「森のようちえん全国交流フォーラム」で初めて「森のようちえん」というキーワードに触れました。そこには、それぞれの思いで、まとめて言うなら「これからやりたい!」という人たちが集まっていました。幼稚園での仕事を離れてから「子どもの世界でもう一度仕事がしたいなぁ」と思っていたのですが、「住宅街の中にある施設で行う、従来の保育の世界に戻るのは嫌だ」と強く思っていたので、大人が準備した園舎・空間を持たず、とにかくなんでもありの自然の中で過ごす「森のようちえん」という保育スタイルを知り、「作られた世界に働きに行くのではなく、自分で創りだすことができる」ことを知り、自分でやってみようと思いました。
もう1つは【移住した】こと。
もともと「森のようちえんをやろう!」と思って移住をしたわけではないのですが、豊かな自然に囲まれているうちに、1つ目のきっかけと気持ちがコラボして「やりたい!」と思うようになっていました。
「自然」が学び舎。時として牙を向いたことも
-自然体験をメインにしていると大変なことが多そうですが、苦労されたことなどはありますか
2011年4月に、9人の年少さんを迎えて開園したのですが、ご存知同年3月11日の東日本大震災で、「放射能問題」が降りかかってきました。「雨は子どもにあてたくない」という親御さんもいらっしゃいました。幸い気流のおかげで、放射能の影響もなく、お預かりした子どもたちは自然と思い切り戯れていました。
現在は2歳児が5名、幼児(3歳児~5歳児)が27名で、業務内容は幼稚園の先生となんら変わりません。ただし、大きな違いは「建物がない」ところで、自然を教材にした保育を行っています。一日自由に遊ぶ日もあれば、公園(森や海)に出向くこともありませす。陽気によっては海開きより早々に海に入ったり、冬はひだまりをみつけて葉っぱで遊んだりしています。季節によっては有機農家さんに協力をいただいて、食べ物の生産から消費までを身をもって体験するなど、「森のようちえんならではの要素」がたくさんあります。
自ら動き出すことを尊重。「導く」ではなく「信じる」
-やりがいはどのような時に感じますか
「子どもたちだけで物事を解決したり、前に進めたりしていく瞬間に立ち会った時」に、この仕事のやりがいを強く感じます。
私自身、子どもたちの心の育ちを重要視しています。大人は「導く存在」ではなく「信じる存在」として、なるべく大人の考えを表に出さず、なにかあったら子どもたち同士で解決するように見守ることを心がけています。痛くてないている子がいたら、「いるね~、どうしようね~」として、大人は関与せず、どのように行動するかを見てはいるが、直接介入はしません。大人が入って介助することで、その場は比較的簡単にまとまるかもしれませんが、そこにこそ子どもたちの成長や多くの気付き・発見のチャンスがあると考えています。その期待に応える(?)かのように、子どもたちが自分たちだけで解決した場所に立ち会うと、大きな感動をいただきます。
また、自然の中に長い時間身を置くと、子どもの心が動いた瞬間を共有し、共感できた場に居合わせるという、とても嬉しいことがあります。
心が動く瞬間に立ち会える喜び。毎日が「ゼロからのスタート」と考える
-森のようちえんならではのエピソードなどあればお願いします
一つエピソードをお話すると、普段訪れない、池のある場所で、その辺りを歩いていた時に、糸トンボの交尾にはちあわせたことがありました。子どもたちと一緒にじーっと見つめているその視界の中には、カエルが池に潜る瞬間があり、クモが糸を張っていたり、トカゲが草むらからひょっこり顔を出したり…と、小さな空間に一度になかなか体験できないことがたくさん起こったのです。
自分たち人間も、一つの生き物として、その空間に溶け込み、ただひたすら無言で観察していたのですが、その帰り道に子どもが「ぼく、虫が大好きになっちゃったよ!」と言ったんです。家に帰ってから思い出の共有はできますが、「心が動いた瞬間」に自分が立ち会えたことにとても喜びを感じました。この仕事をしていてよかったと思うし、幸せだなとひたすら思いました。
今自分の目の前で発生していることを捉えて、客観的に考えるチカラを持って欲しいと思っています。「過去がこうだったから…」という考えのフィルタをかけないようにして、成長を肯定し、起きたことに対してどう考えるかを、大人と子どもが一緒に丁寧に考えていくようにしています。今日起こったこと・明日起こったことが、はたからみて「同じこと」かもしれませんが、すべては「ゼロ地点」として出来事をしっかり見つめることが大切だと考えています。
そうすることで、勤める大人としても、多くの感動に気づき、立会い、幸せと思えることがたくさんあると思っています。
【団体概要】
一般社団法人森のようちえんはっぴー
http://morihappy.org/
「森のようちえん」は、自然体験活動を基軸にした子育て・保育、乳児・幼少期教育の総称。名称の【森】は「森だけでなく、海や川や野山、里山、畑、都市公園など、広義にとらえた自然体験をするフィールド」を指し、【ようちえん】は「幼稚園だけでなく、保育園、託児所、学童保育、自主保育、自然学校、育児サークル、子育てサロン・ひろば等が含まれ、そこに通う0歳から概ね7歳ぐらいまでの乳児・幼少期の子ども達を対象とした自然体験活動」を示す。
詳細は下記を参照。
http://morinoyouchien.org/about-morinoyouchien
なるほど、やっていることが正しく楽しいことが、潜在思念から太く太く繋がって実感できるのでしょうね。羨ましい限りです。
続きを読む "野外保育の可能性8 ~森のようちえんはっぴー3~運営する方も潜在思念との乖離がないから楽しい"
posted by hoiku at : 2018.02.27
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2018.02.23
生まれて間もない赤ちゃんはまだなにもわからない。幼児は分別がなく未熟な人間、だから物事を教え、躾ける必要がある。
と考える人が多いかも知れませんが、実は子どもたちは予想以上に様々な知識を持ち、科学者のような思考で周りの世界について学んでいるのだそうです。
今回はそんな常識を覆す研究成果と、教育のあり方について考えてみます。
続きを読む "人類進化の原動力だった探究心。その探究心に蓋をしているのが学校教育。"
posted by hoiku at : 2018.02.23
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2018.02.19
森のようちえんはっぴーの続きです。食育にも繋がるのですね。
南房総へ移住
東京の自然学校で働きながら「森のようちえん」全国ネットワークの運営委員となった沼倉さんは、2008年都会から田舎へ移住することにしました。選んだ先は南房総館山市。
館山市の沖ノ島の海岸で遊ぶ「はっぴー」の子ども達(7月)
“夫がインターネットさえ繋がればどこでもできる仕事をしていたこともあって、2008年自然豊かな南房総へ引っ越すことにしました。2~3年観光ばかりしていたのですが、館山市神余(かなまり)の山奥、千倉のおんだら山、また大房岬などを訪れると、あれ?この地域、野外保育にぴったりなのでは?と思うようになり、2011年に3歳児を11人預かることから「はっぴー」がスタートしました。”
続きを読む "野外保育の可能性7 ~森のようちえんはっぴー2~野外保育は食育に繋がる"
posted by hoiku at : 2018.02.19
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2018.02.16
さすがに「学歴で人生が決まる」と考える人は少なくなっていますが、あるに越したことはない、人生の選択肢が増えるから、と容認する人はまだまだ多いと思います。
でもみんなもっと大切なものを見落としているのではないでしょうか。学校で勉強して学歴を手に入れるという考え方が、どれほど無意味でむしろ有害であるか・・・
今回は学歴についてです。
以下(http://homeshoolclub.blogspot.jp/2010/09/blog-post_21.html)より引用します。
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学歴について考察してみたい。
学校へ行かないと学歴がなくなる、もしくは中卒になってしまう。というものである。確かに息子が成人した時就職できるかという心配はないでもない。でも、日本の学校や子どもたちの閉塞状況を変えるためにも学校へ行かない道があると言うことを証明したいと考えている。
○学歴の価値
私は日本の学歴には、もはや価値はないと考えている。
今、大学卒の学歴があっても失業している人はいっぱいいる。就職浪人も3割を超えているそうだ。いいかえると学歴があれば終生食うに困らなかった時代は終わっている。終わっていないと考えているのはお母さんたちと、先生たちだけだろう。子どもたちも薄々感じているし、お父さんたちは骨身にしみているはずだ。
20年前に世界中が資本主義経済に組み込まれた結果、同じ仕事なら日本から賃金の安いところに行ってしまい、単純作業が消えた。次は高度な知的作業も消えるだろう。残るのは役に立つ人材だけだろう。
○役に立つと言うのはどう言うことだろうか。
たとえば自動車会社を例にとると、画期的なエンジンを考えることができる人や、黙っていても売れる仕組みを考える人が役に立つということで、そういった人に辞められて競争会社に行かれると大損害になるので必死に止めるだろう。そうでない人はいつでもリストラ候補生だ。
○そういう役に立つ人はどうして育つのだろう
何とか就職できたとして、年齢を経るに従い、言われた仕事をこなすことから、自ら仕事を考え、他人に指示する立場になる。そのとき、学校で言われたとおりに授業を受けて、先生の言うとおりに答えを書いて正解とする考え方に浸った人は自ら考えることが難しい。さらに他人に指示をして仕事をさせるのはさらに難しい。学校を出てから、自立をし多くの人を差配する立場に自らを置き換えるための努力が必要になる。その作業は教わってできることではない。自ら考えることを習慣としてきた人だけにできる作業である。そのためには子どもが人間として尊重されていると言う自覚を持てるように育てられる必要がある。
学校へ行ってもそういった才能をつぶされなかった人もいることはいる。しかし、日本の学校がそういった人材を育てようとしているだろうか。「自立する人を育てる」という言葉だけでは駄目である。先生の言うことに逆らう生徒を愛でる気があるといえるだろうか。私はほとんどないと思う。
○本当の学歴とは
今の日本の経済は、終戦の価値の大転換を経て、学校教育の混乱時に自ら考えて成長せざるを得なかった人たちによって成し遂げられた。本田宗一郎しかり、松下幸之助しかりだ。彼らはどんな時でも、容易には我慢しなかった。仮に学校に行き、我慢を覚えていたら、多分大企業を作ることはなかったと思う。私達は彼らの遺産の上で食べている。
本当に学歴を重視するなら、世界のトップ10位に入る大学院の卒業証書が必要である。 日本の大学はあの東大でも10位にすら入れない。しかも誰も大学院へは行こうともしない。日本以外では学歴といえば大学院を卒業することが目標である。
○それでも日本の学歴がほしい
どうしても日本の大学に行きたければ、高卒認定を受けて大学受験したらいい。ただ漫然と高校まで通った子どもより、ホームスクールをした子どもたちは勉強の意味をよくわきまえているので、ほんの短時間猛勉強しただけで簡単に合格できるだろう。
○無学歴の生き方
全く学歴がない人は就職すらできないと思いこんでいる人に、横浜の林市長が立派な反証になる。彼女は求人もしていない外車の販売会社に行って雇ってと言い、女性には無理と言うのを頼み込んで入社して、立派な成績を上げ、社長まで上り詰め、今は市長をしている。
それもかなわなければ事業を興してもいいだろう。実業の世界では学歴は無用である。
学歴はなくてもかまわない、必要なのは生きる意志だ。
言葉
「子どもに自由を与える目的はふたつ。ひとつは、子どもが自分の興味を十分に追及していけるようにするため。そうすれば子どもの人生も心も豊かになっていく—それも今その場から。そしてもうひとつ。子どもが心の声に耳を傾けていけるようにする。その声に従っていけば、その後の人生も、道を誤ることなく歩んでいけるだろう。」グレース・ウェリン&エイミー・シルバー
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いまや学歴に価値がないことは産業界の常識であり、子どもたちも気付き始めています。相変わらず学歴にこだわっているのは母親と教師だけというのが実態でしょう。
学歴のために学校にいって勉強して、意欲も追求力も封鎖してしまっているのが現実。本当に必要なのは学歴を持つことではなく、役に立つ人になること。生きる意欲と追求力を育んでいくことです。
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posted by hoiku at : 2018.02.16
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2018.02.13
ここから、野外保育に特化したこども園や自主保育組織を紹介していきます。まずは千葉の森のようちえんはっぴー
「森のようちえん」という全国ネットワークをご存知でしょうか。より多くの乳児・幼少期の子ども達が、より質の高い自然体験の機会を得られるよう社会づくりを推進する全国規模の団体です。今回は、このネットワークの立ち上げから普及に取り組んでいる沼倉幸子さんにより南房総で創設された野外保育「森のようちえんはっぴー」が、昨年一般社団法人となり、今年6周年を迎えることを期に、野外保育という乳幼児教育をご紹介したいと思います。
自然公園で伸び伸び駆け回る子ども達
取材に伺ったのは、「森のようちえんはっぴー」(以下「はっぴー」)が日常活動の拠点としている南房総国定公園大房(たいぶさ)岬。待ち合わせ場所「海岸公園」に向かうと、到着間際に大勢の子ども達が大房岬を走るランナーを応援する賑やかな声が聞こえてきました。
大房岬でマラソンの練習を行う大学生にハイタッチする「森のようちえんはっぴー」の子ども達
“明日が卒園式なので、今日は思い出の遊び場所を全部回って挨拶しよういうことで、朝から大房の中を駆け巡っているんですよ。2歳児の星の子クラスが修了式を行っている運動園地から出発して、芝生園地、展望台などおよそ40haある岬をぐるっと一周してきました。子ども達は毎日ここで歩いているので足腰が強く、たまに同行する大人が先に参ってしまうほどです (笑)。”
野外保育とはその名の通り、大雨風や雷の日を除き屋内ではなく外で保育活動を行うということ。「はっぴー」の子ども達は毎日朝9時頃大房岬に集合して、朝の会をしてから各園地で様々な遊びを楽しみ、お昼に木の下で家族が握ったおにぎりを食べて、午後一通り遊んで絵本を読んだ後、帰宅します。
“外で目一杯遊んでいて、とても自由には見えますが、「はっぴー」の子たちは3歳から5歳までみんなで過ごし、スタッフも大人ではなくフラットな立場で接するので「自由の中にある責任」を自分達の力で身につけていきます。判断の善し悪しを押し付けず、何でも経験して話し合っていくことで、社会性を身につけることも「はっぴー」の教育方針で大切にしていることです。”
森のようちえん第一回フォーラムから
このように語る沼倉さんが「森のようちえん」と出会ったのは、千葉市の私立幼稚園で11年勤務したあと幼稚園教諭の職を離れ、東京にある自然学校で働いていた時のことでした。
“2005年に知人の紹介で「森のようちえん」第一回フォーラムに参加すると、ドイツで広がっている活動の映像、そして日本で始まっている団体の事例発表を前にして衝撃的な感動を覚えました。以前幼稚園で勤めていた頃に悩んでいたことへの答えが、すべて詰まっているように感じたんですね。ただ、その時は自分が始めたいというよりは、この活動をより多くの人に知ってもらいたいという気持ちが先行していました。”
「はっぴー」代表 沼倉幸子さん
野外保育「森のようちえん」は20世紀中頃の北欧諸国で生まれました。環境問題や都市化による子ども達の自然離れが指摘される中で、持続可能な社会を推進する教育の一環として広がり、日本でも取り組みを実践する人が現れました。そこで2005年に開かれたのが第一回フォーラム。
2005年から毎年開催されている全国交流フォーラム 指導者養成講座や「森のようちえんカフェ」などの学ぶ場も提供している
“一緒に同行した自然学校の上司に「私、この活動を広めたいです」と伝えると、自然学校に在籍しながら「森のようちえん」のホームページを管理させてもらえることになりました。その後すぐに有志で全国ネットワークを立ち上げ、普及に取り組むようになってかれこれ10年になります。その間、北海道から沖縄まで全国に「森のようちえん」の理念を共有する団体が立ち上がり、現在159団体が活動しています。”
続きます~
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posted by hoiku at : 2018.02.13
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