2020.07.30
こどもが外で遊ぶことの大切さ ~そっか4
いやー、楽しそうなんだわ。運営者=大人が楽しいこと必須だよね。
楽しいことをしながら、「自然災害のときに助け合わなきゃいけないような、たとえ気に食わないところがあっても、同じ地面の近くにいるから一緒にやっていかなくちゃいけない人たちも含んだ共同体。どんな人たちとも何かを一緒につくりあげる、そんな過程が、人には必要だと思っています。」と、共同体の有り方にも言及しておられます。なるほど。
greenz さんより
同質性を越え、地域の人々とともに育む未来
足下の自然から子どもたちの五感を育む活動を展開する「そっか」のフィールドは、逗子の山の中で子どもたちの遊び場をつくる「原っぱ大学」や、パーマカルチャーとアートを取り入れた保育を実践する「ごかんたいそう」など、過去にgreenz.jpでご紹介した取り組みともすぐご近所。コンセプトや想いをともにしていることもあり、設立前から手を取り合って活動を展開しています。
同じ想いを共有できる仲間と集い、一緒にまちをつくっていくことにも、もちろん大きな意味があります。でも、「そっか」は今、さらにその枠を越えて “地域共同体をつくる” ことに、自らの役割を見出しています。
八幡さん イメージは“町内会”です。今、本当の意味での地域共同体がなくなっていますよね。
それは、コンセプトや価値観に共感して集まってくるような同質性を持つ人々の集まりではなくて、自然災害のときに助け合わなきゃいけないような、たとえ気に食わないところがあっても、同じ地面の近くにいるから一緒にやっていかなくちゃいけない人たちも含んだ共同体。どんな人たちとも何かを一緒につくりあげる、そんな過程が、人には必要だと思っています。
だから、「食べる」とか「つくる」とか「遊ぶ」とか、人間がもともとやってきたことに特化して、それをつくりなおしていきたいと思っているんです。
スマートフォンが普及し、要らない情報は排除し、つながりたい人といつでもつながれる現代社会。同質性を共有する人同士で集い、暮らすことは、ある意味とても“楽”な生き方です。
でもそのために、自分の本当に身近な、物理的に近い地域の人たちと何かを一緒に生み出していこうという“共同体意識”は、いつの間にか失われていってしまったのかもしれません。
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2020.07.24
自分で考えられない子供、考えようとする子になってもらうには?
「考えられないのは働くのに致命的だった!」
今これを実感している大人はたくさんいると思います が、
これからの子供たちにも、今からでも遅くない大人たちも、参考にしていきたいですね!
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2020.07.23
こどもが外で遊ぶことの大切さ ~そっか3
「楽しいことは主体的にし出来ない」「楽しいことの積み重ねが大人を作る」「子供の遊びを規制して、大人が可能性の先取りをしてはいけない」・・・その通りです。
greenz さんより
意味の無さそうな遊びこそ、意味があることにつながる
世の中、意味のあることが多すぎる。
「そっか」の共同代表・八幡さんは、このプロジェクトの根底にある想いについて、こう語ります。
習いごとや塾などに多くの時間を割いている子どもたちが多い中、「そっか」は、一言で言えば、自分のまちで “ただ思い切り遊ぶ” プロジェクト。そこに意味を見出すかどうかは、大人の価値観によって大きく変わってくることでしょう。
その“意味”について、八幡さんは、自分の子どもの頃の原体験を交えて、こう語ってくれました。
八幡さん 自分の子どもの頃、何が楽しかったかな、って振り返ると、川で溺れそうになったりとか、木に誰よりも高く登ったりとか、廃屋入っちゃったりとか、全部今のまちではできないことばかりなんです。今の世の中、ルールがいっぱいあって、遊びづらいですよね。
「ダメ」が多く、子どもたちが遊びづらい環境。それは安全を重視し、リスクを取ることを恐れた私たち大人がつくりあげてしまった現実です。
八幡さん 「危ない」とか、「誰も責任を取れない」とか、「それやって何の意味があるの」とか言うけど、“怖い”も“楽しい”も同じ振動だから、リスクは取らせるべきだし、記憶に残っていることって、別に意味があって楽しいわけじゃないですよね。
楽しいことって主体的にしかできないから、「こうしたい」を続けているうちに、じわじわ自分を形成して、大人になっていく気がしています。
だから、その子の人生にとって意味のありそうなことを大人が主導で先取りするのは、意味が無いと思っています。子どもは自分が楽しいことを積み重ねて、それをまわりの人も一緒にフォローしてあげられたら、結果的にその子にとって良くなる…なんてことすら、言わなくてもいいんでしょうね(笑)
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2020.07.23
役に立たない勉強をさせ続ける親、教師たち~受験幻想を捨て、本当の学びを再生しよう。
なぜ勉強するのか。
あなたの将来のため?いい学校、いい会社にはいるため?
今の子供たちにとって、それが答えになっていないことは明白です。
でも多くの親や先生たちは相変わらず、「将来のため、あなたのため」と考え、そう答えているのではないでしょうか。
今回は子供たちに押し付けている「勉強」について考えてみます。
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2020.07.16
学校が全てではない。かつてはこの世のすべてが学校だった。
学校とは学び舎のこと。もともとは学びたい者が集まり、互いに学び合う場のことでした。しかし今の学校は本人の意思とは関係なく、強制的に勉強をさせられる場になってしまっています。
本当の学校って何だろう?
今回は本来の教育の在り方について考えてみます。
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2020.07.16
文章問題が苦手なのはなんで?
お母さんたちの間で、計算はできるけど、「文章問題になると、とたんに分からなくなる」っていう子が多いよね~っていう話になりました。
「まず式をたてる」という考え方がクセ者なのだそう。
びっくり!そしてなるほどです。
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2020.07.16
こどもが外で遊ぶことの大切さ ~そっか2
ここに混じりたいです。
そう言えば、子供の頃、親戚が集まて、渓流で宴会をやったり、船を借りて魚釣りに行ったりしたのが楽しかったこととして、思い出に残っています。いかにも、子供を遊ばせるためにサービスしてます的なイベントはちっとも面白くなく、大人が本気で遊ぶのに付き合わされてるくらいの方がずっと楽しかったですね。
greenz さんより
さて、到着した海では、放課後の小学生とその妹・弟たちが集まり、SUPやサーフィンといったマリンスポーツをしたり、巨大な砂山をつくったり、思いのままに遊んでいます。
毎週開催されているこの「海の子ども会」は、予約不要、参加費無料。傍らで見守り、ときには本気で一緒に遊ぶたくさんの大人たちとともに、日が暮れるまで遊び続けます。
「黒門とびうおクラブ」の子どもたち。海のエキスパートであるコーチたちが見守る中、思いゆくままに海遊びを楽しんでいます。
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2020.07.10
教育の原点は、遊びや徒弟制度のようなものかもしれない。
学校の勉強というと、教室でみんなが前向きに座り、先生の話を聞く、いわゆる座学が中心です。
これが知識を詰め込むには一番効率的な方法なのかもしれませんが、学ぶ方法は他にもいろいろあります。
今回は学びの原点について考えてみます。
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2020.07.09
こどもが外で遊ぶことの大切さ ~そっか1
こどもの遊びがいかに大切かは間違いなく重要なこととして認識されています。中でも、外で、自然の中で遊ぶことが、こどもの成長に有効とされています。子供時代の楽しかったことを思う出すと、直ぐ思い浮かぶのが、友達と近所の森で遊んだり、稲刈り後の田んぼで転げまわったり、たまに連れて行ってもらった海で遊んだことなんですよね。
greenz さんより
意味の無さそうなことにこそ、意味がある。子どもも大人も“食べる・つくる・遊ぶ”をともに楽しみ、半径2kmの地域共同体を育む「そっか」はじまる
食べる、つくる、遊ぶ。そして、集う。
大昔から、私たち人間が営んできた、当たり前のこと。
その“当たり前”が今、かたちを変えつつあります。たとえば、今日の食卓。あなたの地元で採れたものは、どれだけあるでしょう。
たとえば、子どもたちの遊び。自分の足で大地を踏みしめ、すぐそこにある自然の中で遊ぶ時間は、どのくらいありますか?きっと、昔は100%だったそれが、とても少なくなってしまった現代社会。そこで失われてしまったのは、私たちを取り囲むさまざまなものとの“つながり”です。
今日ご紹介するのは、人と足下(あしもと)の自然や地域とのつながりを取り戻す活動を展開する一般社団法人「そっか」。神奈川県逗子市をフィールドに、「食べる・つくる・遊ぶ」という“人間活動”を、子どもも大人も、半径2kmに暮らすご近所さんたちみんなでともに楽しむことで、本当の意味での“地域共同体”を育むべく、日々活動しています。
「そっか」の共同代表を務めるのは、逗子に暮らし、「海」をキーワードに活動する4人。今回は、その中のおふたり、複数海域にてシーカヤックでの無伴走の世界初航海を成し遂げた海洋冒険家・八幡暁さん、そして、国際交流NGO「ピースボート」スタッフとして地球を9周した活動家・小野寺愛さんにお話を聞きました。
これまで広い世界を見てきて、「世の中意味のあることが多すぎる」と語るふたりが、今、“足下(そっか)”に見据えているものとは?
ふたりの言葉から、子どもにとって、あなたにとって、そして私たちの未来にとって、本当に“意味のあること”とは何かを、ぜひ感じ取ってみてください。
まちの「そっか!」をみんなで体感するために
「そっか」は、神奈川県逗子市に2016年7月に誕生したばかりの一般社団法人。“まちの足下(そっか!)を取り戻す”を合言葉に、地域の人々が、自分たちの命が何に支えられているのかを実感し、“消費者”から分かち合いの生態系を育む“主体者”へと転換するためのきっかけづくりを行っています。
まずは「そっか」の活動エリア、海も山もある半径2kmを歩き、そこで起こっていることをともに体感してみましょう。
最初にやってきたのは逗子市立久木小学校のなかに、今年できたばかりの小さな畑。小学校のPTAで委員をする小野寺さんが舵取り役となり、地域の造園屋さんや材木屋さんの手を借りながら、子どもと大人が一緒になって土をつくり、雑草を抜き、水やりして、トマトやブルーベリーを育てています。
安全重視になりがちな公立小学校に保護者が運営する畑があることは、実はとてもめずらしいこと。逗子市の児童青少年課、ふれあいスクール、「放課後NPOアフタースクール」の協力のもと実現した、その名も「つながる畑」です。
トマトの隣に、風味をよくして、害虫が嫌う香りをもつバジルとマリーゴールドを植える子どもたち。「子どもと一緒に食べものをつくるのが、楽しくて仕方ない。みんなでつくってみんなで食べる、は共同体の原点ですね」と小野寺さん
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2020.07.09
失敗から学ぶ。子どもの学びと大人の学びの違い
子供は学びの天才!
大人たちはその才能を邪魔しないようにしたいですね!
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