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2020年07月10日

教育の原点は、遊びや徒弟制度のようなものかもしれない。

学校の勉強というと、教室でみんなが前向きに座り、先生の話を聞く、いわゆる座学が中心です。

これが知識を詰め込むには一番効率的な方法なのかもしれませんが、学ぶ方法は他にもいろいろあります。

今回は学びの原点について考えてみます。

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以下(http://www.fujitsubame.jp/jiyuu312.html)より引用します。
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教育の原点は、遊びや徒弟制度のようなものかもしれない。

徒弟制度の方が、よほど、現行の教育より、教育の目的がハッキリしている。むろん、徒弟制度にも欠点はある。しかし、徒弟制度には、現在の教育が失ったものを持っている。それは、修行の要素である。また、なによりも、徒弟制度は、長い時間、職人を育成してきたという実績がある。

現行の教育では、主体性を重んじると言いながら、主体性を認めない。生徒達の意志や希望を無視する。早く社会に出て、仕事を覚えたいと言っても、一人前でないとか、世間体とかで許さない。社会勉強というものを認めていないのである。
徒弟制度を認めないから、良い技術者が育たない。教えない、教育が、あることを知らない。教えられない事が、あることを認めない。
それは、教える側の人間が、教育の意味や目的を理解していないからである。

最も、有効な教育手段は、遊びである。しかし,今の教育には,遊びがない。だから,効果があがらない。眼をきらきらさせながら、遊びに熱中していた子供から、遊びを取り上げ、おもしろくもなければ、役にも立たないことを強要する。それを教育だと思っている。子供達の眼から、輝きが失われ、勉強とは、拷問のように辛いものだという思いしか残らなくなる。そして、とうの教師が、勉強とは辛くておもしろくないものだと言うから、だめ押しされる。

今の学校は、遊びを教えない。教育や学問に、遊びがない。だから、現代人は、遊び方が下手である。遊びを知らない。遊びの価値観がない。遊びの美学がない。遊びを否定するから、今の教育者は、遊びを教えられない。
本来、遊びと勉強は一体のものである。遊びによって観察眼が養われ、社会経験が積まれる。遊びの中で真の人間関係を学ぶ。人生の喜びも、楽しみも、遊びから学び、遊びから収得する。遊び仲間こそ、真の友である。
こう考えると、仕事は、遊びの延長線上にある。遊ぶために働いていると言っても過言ではない。だから、仕事に生き甲斐を感じることができる。仕事に喜びを見いだせるのである。
遊びは、文化である。遊びから文化は生まれる。遊びから、文化は、発達する。地域社会は、遊びの中から文化を育む。祭りがいい例だ。祭りは、祭礼である。神がいる。祭りに人は没頭し、その中で地域社会のしきたりや人間関係を身につけていく。遊びこそ、民主教育の原点なのだ。
よく学び。よく遊べ。遊びながら学び。学びながら遊ぶ。遊びと勉強や仕事を区別すべきではない。遊びの中に全ての教育の要素が含まれている。

遊びは、自由に通じる。遊びは、主体的なものである。強制されるものではない。
障害や能力不足は、教育上において差別を受ける理由にはならない。逆に、教育を受ける権利である。

ハンディがあるからこそ、すばらしい人生を送った人間もいる。人の一生は、何を天から授かったかによって決まりのではなく、何を志したかによって決まる。ならば、教育とは、人に志を与えることである。

教育の重要性は、人を選別したり、差別することではない。人を育むことだ。一人一人の中にある可能性を信じさせることだ。自信をなくさせたり、絶望させることではない。

良く子供を観察し、子供達から、自分たちが、学ぶ事が、大切なのである。教育について観念や理念が先行し、肝心の子供達が忘れられている。子供達は、自分の力で学んでいる。教育は、その子供達の学習を手助けするのが、本筋であり。子供達から、好奇心や興味を奪って、大人の勝手な理念を、押しつけるのは、むしろ、教育の本筋とは、逆行して
いる。
大きくなったら、何になりたいと、子供達に、聞けば、いろんな夢を子供達は、語ってくれる。その子供達の夢は、どこへ行ってしまうのだろうか。教育の現場に子供達の夢は、反映されているであろうか。大人達は、答えを急ぐあまり、勝手に子供達の将来を決めつけ、子供達の夢を無視し、圧殺してはいないだろうか。教育にとって子供の夢は、一番大切であり、最大の味方なのに、それを、結局、最大の敵にしてしまっている。その結果、教育の現場から夢が失われている。夢がないところに、ゆとりなどありようがない。

最も反教育的な所行は、子供の自発的、向学心の芽を、摘んで、学問に対する嫌悪感を、植え付けるような、所行である。しかし、それが、学校で行われているとしたら、亡国の教育と言わざるをえない。
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徒弟制度と遊び。
遊びを通じてない自発的な興味や好奇心が育まれてこそ、教えられるのではなく自ら考え追求する徒弟制度も成立するのではないでしょうか。

そういう意味ではやはり、学びの原典は遊び。学校の授業はその対極にあるといえるでしょう。

投稿者 hoiku : 2020年07月10日 List   

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