現代の教育は大人の都合で子どもたちを苦しめるだけ~「じょうぶな頭とかしこい体になるために」(五味太郎)より |
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2017年06月13日
どろんこ会という保育所3
どろんこ会の続きです。
“自分で判断して行動する力”と”リーダーシップ”の育成を目的として、3・4・5歳児の異年齢保育を実践しています。
午前活動・午後活動(音楽指導や体操指導など一部の活動を除く)における、遊び・片付け・昼食・昼寝・おやつを3・4・5歳児は混じり合って大人数で(場面によっては自分たちでグループに分かれて)過ごします。
自主的・主体的に遊ぶことを大切に考え、子どもたちは、年齢を問わず遊ぶ相手を自分たちで決め、遊ぶ場所や遊ぶ内容を自分たちで考えて決めます。園児荷物はだいず・むぎ・こめ等の各部屋ロッカーに置きますが、園児は年齢と関係なくだいず・むぎ・こめ等全部屋を使用して過ごします。
毎朝の日課(座禅・雑巾がけ・畑仕事・生き物の世話)が終わった後の時間は、遊び・片付け・昼食・昼寝の“時間割”を自分たちで(特に年長児が中心になって)見通しを立てて行動します。保育者は、「昼ごはんだから遊びをやめて片付けてください」や「早く布団をひきなさい」といった言葉がけは行いません。大枠の時間割を教えて「どうすればいいと思うか」を自分で考えて行動していくように導きます。昼食の時間は、一定の制限がある自由な時間幅の中で、子どもたちは自分たちの遊びの状況とお腹の空き具合を考えて自ら考えて選択します。子どもたちは、保育者から「昼ごはんだから遊びをやめて片付けてください」と言われないので、年長児が中心となって、周りの状況を確認しながら周りの3歳児・4歳児・5歳児に声をかけて遊びを中断し片付けや昼食の準備を始めます。言われたからするのではなく、その必要性を理解して行動する。周りの友達に声をかけて次の行動に移る。こうした力を伸ばしていくのです。
「きれい」「安全」は幸せか?いや私たちは「汚い」「痛い」を体験するは必要であると考えています。
子ども主体の保育とは、子ども自身が自らやってみて体験することで、良いこと悪いことを知り、周りの状況に気づくことができるように援助しつつ、一人ひとりの個性を認め、生きる力の基礎となる心情、意欲、態度を育てていく保育です。 子どもが人としてやってはいけないこと(友達に石を投げる、嘘をつくなど)をやった時に「ダメ」を言うことは、親・保育者として当然のことです。しかし、「虫さんかわいそうだから~しちゃダメ」とか、「汚れちゃうから別の遊びをしよう」とか、「危ないから走っちゃダメ」とか…必要な機会を排除する「ダメ」という言葉を私たち保育者は使いません。子どもは自然の中に出て動いている蟻を見たら踏んでみたい!と思うのは当然ですし、樹があれば登ってみたい!と思うのも当然です。全ての大人は子どもの頃、虫に色々な残酷なことをして、虫が死ぬことや飛ぶ虫と飛ばない虫がいたりすること…様々な周囲の環境を知ったのです。ですから、当園では、園児が虫にちょっと残酷なことをしていても「ダメ」は言わない。生きる力の基礎となる心情、意欲、態度を育てていくために、必要な体験を真剣に考えて子どもと向き合います。
最後の反「キレイ」「安全」は賛同しますね。たぶん、野山で駆け回る子たちの方が、大きくなったとき能力が高いのだと思います。人工的な空間で、しかもコミュニティーから切り離された保育で育つ子どもたちの将来が本気で心配です。
投稿者 hoiku : 2017年06月13日 TweetList
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