婚姻史シリーズ(番外編)~婚活マニュアル~ |
メイン
2009年01月31日
不登校どうする?!15 ~旧観念無用と新観念の構築~
不登校シリーズ4、11でも扱いましたが、
子どもたちが現実に適応できず活力不全に陥っているのも、フリースクールの教育理念が不登校問題の答えとなっていないのも、両者の根底には「自由、自分、権利」といったいわば旧観念が蔓延っているからでした。
そもそも旧観念とはなにか?
るいネットには次のように定義されています。(http://www.rui.jp/ruinet.html?i=400&t=15)
古代宗教や近代思想(恋愛・自由・個人・人権etc.)のこと。旧観念の深層には、私権闘争が生み出す苦の現実(戦争や支配や貧困)への否定意識や変革不可能視が刻印されている。つまり、現実の中に可能性を求めるのではなく、現実(の自分や人々)を非充足のまま放置して頭の中だけで代償充足を与える倒錯観念・代償観念である。
つまり、現実を苦痛と感じたときに現実から逃避し、頭の中で代償充足を得ようとする思考である。現実をとことん否定する旧観念のまま、現実において適応することはできないのは当たり前なのに、なぜ皆が皆そうなってしまったのか?
なぜここまで当たり前のように旧観念が蔓延したのか?
旧観念から脱却する術はあるのか?
検証したいと思います。
以下「次代を読む」からの引用です。
これまで人々に一方的に発信し続けてきた学者や芸術家やマスコミなどの専門家たち=発信階級の撒き散らす旧観念が、全く役に立たないということである。現に、社会が全面的な行き詰まりを見せているのに、彼らは未だに何の答えも出せないでいる。
何故か?彼ら発信階級は表現することでメシを喰っている単なる表現者であり、現実の圧力の真っ只中で生きる人々を外から眺める傍観者に過ぎないからである。現実から逃げて、発信階級の道を選んだ只の傍観者に、現実の真の姿が見える訳がないし、現実に使える認識を生み出せる訳がない。
<中略>
この社会は、人々の共認によって成り立っている。従って、共認形成こそ、社会形成の生命部である。だが、その共認形成が発信階級によって支配され、しかもその中身=観念が狂っているとしたら(そしてその結果、普通の人々は思考停止状態にあるとしたら)、社会は全面閉塞に陥るしかない。
つまりそれは、マスコミ・学者・芸術家といった一部の発信階級から、一方的に旧観念が撒き散らされており、それを受信する我々一般人は、その旧観念に洗脳されていくしかなかったのです。
ではただ呆然と指をくわえてるしかないのか・・
そうではない。
「次代を読む」の続きにはこうあります。
今、求められているのは、旧観念とは逆の、現実直視→実現思考に基づく全く新しい認識である。それは、夫々の仕事に従事しながらこの現実を生きる『みんな』=普通の人々によって生み出される。傍観者ではなく当事者として現実を生きる普通の人々の実感と、それに基づく徹底した事実の追求だけが、現実に使える認識を発掘してゆく。
旧観念とは全く逆の思考、すなわち現実から逃避ではなく徹底的な現実直視に基づいた思考を養えばよいのだ。旧観念ではなく、新観念!
不登校児も、自らの現実問題を直視すれば、そこから脱却するための実現方法が見つかる。
そこに気づけば、きっと「自由、権利」といった旧観念に染まった現在のフリースクールなどはたちまち姿を消していくのだろう。
投稿者 takatiee : 2009年01月31日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://web.kansya.jp.net/blog/2009/01/751.html/trackback