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2009年01月15日

婚姻史シリーズ(10)~西洋婚姻史 2~

婚姻史シリーズ(6)~西洋婚姻史 1~

に続き、西洋婚姻史の追求を続けます。

前回の問題提起として、ウェディングドレスという華やかな衣装を切り口の一つとして提示しましたが、そもそも教会での結婚式や結婚披露宴というたぐいのものは、明らかに非日常のイベントですよね。ここぞとばかりに、現実離れした演出を盛り込み、盛大なお祝いの儀式を行う。もっと端的に言えば、最大限に幻想価値を高める為の風習である、と言えます。

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この現代にも残る風習と、神への誓い、という儀式の原点の共通点は何か?

ここで大胆な提起をします。

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それは、結婚式=「究極の正当化行為」 :shock: :shock: という仮設です。

その根拠を挙げていきましょう。 :roll:

1.西洋婚姻史の原点は、略奪婚にある。
西洋史の背後に戦争あり。西洋の歴史とは、文字通り略奪闘争の玉突きに血塗られた歴史であり、国家成立以降も、幾度と無く侵略戦争が繰り返され、その都度世界地図は塗り替えられてきた。そして、この略奪闘争の起源は、遊牧部族にある。

ここで、遊牧部族の婚姻様式の変遷を簡単にまとめると、以下のようになる。

首雄集中婚(父系制転換)→勇士嫁取婚→私権集団化+略奪婚→国家の成立と私有婚の制度化

現在に残る風習の中でも、花婿付添人(ベストマン)の風習は、略奪婚の共謀にその起源がある、と語られている。
また、花嫁付添人の風習は、その略奪を防ぐ役割に起源があるという説と、証人起源説とがあるようです。

2.神への誓い≒懺悔(キリスト教)
必ずしも誓い=懺悔であるとは言えないが、古代宗教の一つの特色として、観念の架空性が上げられる。即ち、現実には成立しえない事を祈り、あの世に行けば救われる、という架空性に基いた免罪符を得る事こそが、神を成立させ、現実の苦しみから人々を救い出す基盤となったのである。(現実的に救われたかどうかは、あまり重要ではない。残念ながら、宗教はその後自己正当化と他者否定の道具として多用されてきた史実が鮮明に残されている。)

1.で述べた『略奪婚』が背景にあると考えると、略奪した相手であっても、神への誓いによってその行為を正当化し、かつ絶対化させるだけの力を強制的に与えるには十分であったと考えられる。

3.証人制度が必要だった訳
男女の和合、あるいは生殖行為とは、自然の摂理に従えばごく自然な行為であり、生殖無くして生物としての繁栄は有り得ない
しかし、人類の場合「性」については数多のタブー視が形成され、婚姻においても他者の証人を持ってして初めて成立する、といった規範が形成されている。神への誓いと同様に、既成事実として認めさせるための行為=証人制度の成立、と考えられる。

4.過剰なまでの幻想化
私権・略奪闘争⇒私婚の成立に至る男女の意識潮流には、外圧変化の影響が大きい。

略奪闘争の時代とは、男の武力=私権が物を言う時代であり、女は奪う物=戦利品扱いであった。

しかし、国家の成立=秩序安定化と共に、私権闘争圧力の低下→自我肥大化。圧力低下に伴い、軟弱男であっても女を求め始める。これに対し、女が唯一私権獲得できる可能性=男との婚姻であり、自らの性を武器とし、その商品価値を高める為、性の幻想かへと向かう。この延長上に、処女規範が登場し、純真無垢=純白のドレスを身に纏い、いかに自らの性を高くを売るか?に女の意識も収束した。

この性的商品価値の成立は、後に市場拡大の原動力ともなる。もちろん、結婚式とは人生最大の買い物(借金)であるという事実は、未だに伏せられたままだ。(マイホームに生命保険にお受験ローン。死ぬまで金を払い続ける事こそが、結婚の極意?)

5.自由恋愛思想とは、究極の自己正当化思想
恋愛とは、「自分の好きな相手を独占する」事を美化しているに過ぎません。いくら言葉で美化しようとも、その思い=自分であり、判断軸の大半は自己の都合に委ねられています。

もうすでにお腹一杯 :roll: かもしれませんが、これらの自我の正当化の歴史は、恋愛思想の登場によってピークを迎えます。しかし、ピークである、というのがミソ。日本で恋愛婚が主流となったのは、1970年代。しかし、その後一気に恋愛熱は低下へと向かい、離婚率の上昇少子化セックスレス晩婚化草食男子の登場へと至る。即ち、パッと咲いて一瞬にして枯れてしまった訳です。

如何でしょう?

現在でこそ、派手な結婚式は下火となり、ハウスウェディングなど、仲間内でアットホームに楽しむ潮流なども増えてきましたが、まだまだ上記に通じる昔の名残は、あちこちに垣間見られます。

しかし、これほどまでに必死 で幻想化し、正当化しなければならないほど、男女が結びつく事は後ろめたい事 なのでしょうか?

否。これは、あくまでも西洋婚姻史に隠された歴史であり、日本古来の風習(夜這い婚)や母系性社会に見られる婚姻規範では、性はもっと大らかでみんなに必要なものとして認められ、成立していたのです。

さて、一気に突っ走って しまいましたが、上記仮説にはまだまだ荒いところも有りそうです。そして、それ以上に実は今後の男女関係・婚姻制度・生殖基盤をどーする?という課題には本気で取り組む必要があります。

後ろめたさや正当化の為の思考ではなく、男女が共に充足 し、充足に充ちた子育て環境 や人間関係 を形成する為の思考こそが、求められています。

2009年は、『本源の性の追求』を新たなテーマの一つに添えて、追求を深めたいと思います。

という事で、今年もよろしくお願いします。

かわいでした。

投稿者 kawait : 2009年01月15日 List   

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