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2007年09月06日
学校ってどうなってるの22 ~中間まとめメモ2
これまでの「学校ってどうなってるの?」シリーズでの検討や、「江戸時代の教育事情」
「江戸時代の教育事情~戦前まで残っていた若者組」「国による教育 明治時代~現在」
を参考に、再度中間まとめを行ってみたいと思います。
教育は、その時代時代の社会状況、とりわけ外圧に適応すべく成されています。次回以降は、江戸時代(それ以前?)から現在、そして、将来に渡る外圧の変遷をベースに、それに対応した各時代の教育制度の変遷をまとめると同時に、今後どう変わっていけばよいか?に結び付けたいと思います。
・・・今回は、叩き台として、まず最終的な全体イメージと、追加調査課題について考えてみました。
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※以下のまとめで「 」は疑問点→新たな調査・追求ポイント。
※学校と並ぶ教育の場である「家庭」=最小集団のあり様もポイント。
①江戸時代
【外圧】
・鎖国→国家間の外圧も、国内の私権闘争圧力もなし。
【最小集団】
・江戸などの都市部では一対婚夫婦 、農村部では村落共同体
【教育の目的】
・社会の安定
【主な教育制度】
⇒学問・・・・・・・・・・・・・・・・・・「寺小屋」(農村部ではお寺が担った )その後は「奉公」しつつ学ぶ。
⇒規範教育、人格形成・・・・・都市部では「寺小屋」で国学・儒学教育
・・・・・農村部では「若者組」
【その他】
・「寺小屋」は個人経営であり、師匠は武士、医者、僧侶、神官など。学費も経済力に応じ柔軟。
・当時、高齢者は、いかに若者に知恵を授け、元気にさせ、育てるか?を規範としていた。「江戸しぐさ」より。(「るいネット」 )
・「士農工商」は、序列制度というよりは、役割分担に近いものであったらしい。(「知られざる人類婚姻史と共同体社会」 )
・江戸時代は究極の循環型社会・・・・私権闘争社会なら自然破壊が進行したはず。(「るいネット」 )
江戸時代の教育は、私権追求のためと言うよりは、社会に貢献する若者を育てるためのものであり、社会の安定を目指したものでは
・鎖国下にあって、江戸時代の繁栄を支えた活力源=圧力源とは何か
・「寺小屋」や「若者組」の他に、藩校や、幕府直営の学校もあった。その役割は
②明治~大東亜戦争まで
【外圧】
・明治維新⇒諸外国からの主に軍事的な外圧(国家間私権闘争)
【最小集団】
・大家族(農村では村落共同体)
【教育の目的】
・対外的な外圧に対抗するための国家統合のため・・・「富国強兵」~「軍国主義」
・天皇を中心とする家族国家建設(個人滅却)
【主な教育制度】
⇒学問・・・・・・・・・・・・・・・・・・明治5年より「学制」
+私学(当初の「建学の精神」とは )
+「学習塾」の先駆け登場(学習塾の歴史 )
⇒規範教育、人格形成・・・・・「教育勅語」による規範教育の具体内容
③敗戦後~1970「貧困の消滅」まで
【外圧】
・諸外国との市場経済での国家間私権闘争圧力
・市場における個人間の私権闘争圧力
【最小集団】
・家族→核家族化(農村から都市への移動)
【教育の目的】
・裏→GHQによる民主化政策・・・教育を国家から切り離し、教育委員会へ。学校教育を通じての個人主義教育。
・表(大衆意識)→戦後復興(アメリカに追いつけ)、「国」と「家族」の豊かさ実現
【主な教育制度】
⇒学問・・・・・・・・・・・・・・・・・・公立学校、私学、学習塾の拡大(「公文」は1954年より)
⇒規範教育、人格形成・・・・・核家族化の進展で規範教育の場の喪失
④「貧困の消滅」~2000年まで
【外圧】
・生物史上はじめて生存圧力を克服し、外圧不在の特異な30年間
【最小集団】
・家庭の崩壊→片親世帯や単身世帯の増加
・家庭は聖域化し、無圧力の密室家庭による精神破壊(自己中化)の進展。
【教育の目的】
・序列原理崩壊に伴う目先の私益追求・・・・バブル崩壊後は急速に私権衰弱し、教育の目的も喪失・・・迷走が始まる。
【主な教育制度】
⇒学問・・・・・・・・・・・・・・・・・公立学校、私学、学習塾、通信教育(受験のためだけの勉強)
⇒規範教育、人格形成・・・・・ほとんど失われた。
⑤2000年~現在
【外圧】
・収束不全⇒国家間の認識闘争圧力(日本は出遅れ)
【最小集団】
・更に家庭崩壊→片親世帯、単身世帯の急増。
→精神破壊(自己中化)は更に進展し、「モンスターペアレンツ」の出現。
【教育の目的】
・迷走・・・・学校は何を期待されているのかわからなくなった←子供に必要な能力が何かも見えない。
・一方で、社会的な自己中化の流れの中で、危機感から、自己中は敵⇒規範教育の必要意識が徐々に顕在化しつつある。( )
【主な教育制度】
⇒学問・・・・・・・・・・・・・・・・・親は学力を「学習塾」に期待。
⇒規範教育、人格形成・・・・・親は「学校」に学力よりも人間性の教育を期待。(「学校ってどうなってるの21」 )
・・・・・「私学」も規範教育・人格形成に力を入れはじめた。(「私学」の現在の外圧は )
⑥今後・・・・
※そもそも収束不全⇒認識闘争の時代に必要とされる能力=教育内容は
※学問を担うのは「学校」か「学習塾」か ・・・・先進的な「学校」「学習塾」の事例は
※今や親の期待は「規範・人格」>「学力」 ・・・・つまり、密室家庭の限界を自覚しつつある。⇒規範・人格教育の場としての共同体の再生 (江戸時代の「若者組」のような・・・)
・・・これを叩き台に進めていきたいと思います。
投稿者 kota : 2007年09月06日 TweetList
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コメント
投稿者 tennsi21
>①江戸時代
>【外圧】
>・鎖国→国家間の外圧も、国内の私権闘争圧力もなし。
って、ほんとかな?
最近では、江戸時代=鎖国という定義はかなりあやしい、という見方も増えてきているようです。実際、国外の情報や文化、道具や食料なども広く伝播していた事が解ってきています。
それから、江戸時代は都市と農村でかなりの違いがあったと思われます。
視野を広げれば、外圧は無数に存在していたと見た方が良いのでは?
投稿者 かわい
江戸時代の寺子屋がすごいと思うのは、これは幕府や藩が用意した公的機関ではないと言うこと。
教育と言えばみんな行政に頼ろうとする現在ですが、そんな公的制度が無くても庶民の教育が成り立っていたというのは驚きです。
もちろん、地方の貧農はそれほど豊かではなかったと思いますが。
投稿者 匿名
>外圧に応じて江戸時代の教育は、私権追求のためと言うよりは、社会に貢献する若者を育てるためのものであり、社会の安定を目指したものでは?
江戸時代って、一般に言われているような、鎖国、士農工商、幕藩体制などのイメージしか湧きませんが、・・・上記の外圧に応じてって?具体的に調べる必要がありますね!
投稿者 HOP
☆tennsi21 さん
>躾や作法は未だかつて個人がそれを教えたことはなかった。いやできなかったのだと思います。
確かに、この部分が結構気付きですね。
つまり、元々教育っていうのは集団課題、社会課題であるってことだと思います。
しかし、これはGHQの戦略が上手くいったということでしょうが、家庭はとことん細分化し個的なものと化し、学校は受験のための勉強と、近代思想教育を行い、躾や作法を教える場はどこにも無くなってしまった。
・・・さて、じゃあどうする?
☆かわいさん
>視野を広げれば、外圧は無数に存在していたと見た方が良いのでは?
本文にも書きましたが、「士農工商」も実は欧米のような強力な身分制ではなかったらしい・・・常識に囚われていると江戸の、あるいは日本人の本質を見失う可能性がありますね。
るいネットでも江戸関連の話題で盛り上がっていますし、腰をすえて江戸時代とはどういう時代だったのか?突っ込んでみますよ!
☆??さん
>教育と言えばみんな行政に頼ろうとする現在ですが、そんな公的制度が無くても庶民の教育が成り立っていたというのは驚きです。
そうなんですよ。江戸時代がなぜ、他国からの侵略圧力の無い中で安定と反映を長い期間維持できたか?は非常に面白いテーマだと思いました。
私利私欲ではなく、皆で社会の役に立つ若者を育てるという、暗黙の規範共認ができていたのではないかと思うのですが、なぜそれができたのか?更に追求してみます!
☆HOPさん
>・・・上記の外圧に応じてって?具体的に調べる必要がありますね!
一般の生物はDNAの変異によって自らの身体を変化させることで外圧に適応しますが、人類は、認識を変化させることで外圧に適応する凄い存在ですね。
その意味で、「教育」とは、まさに集団や社会が外圧に適応するために不可欠の営みだと言えます。
・・・江戸時代って、どんな外圧が作用してたんだろう????
投稿者 kota
奥が深いですね
追求していきましょう。
いまやモンスターペアレントが出現していますが、たしかに躾や生活作法を教えていたのは江戸時代までは寺子屋や若者組などです。
戦前までは教育勅語を教えた国家、現在の親たちはそれを学校に求めている。
それを受けて東京の私立中高一貫校(いわゆる私学)は躾や生活作法に独特の理念を持っていて、それが受けているのではと思います。す。
躾や作法は未だかつて個人がそれを教えたことはなかった。いやできなかったのだと思います。
だから今の家庭にそれを求めるのはおかしいともいえます。
それができる共同体の復活が期待されているのだと思います。