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2007年05月23日
個性って何?
2007/5/21の毎日新聞に小1プロブレムという記事がありました
内容は、授業中に歩き回る。ロッカーに物をしまえない。私語が絶えないなどといったものです。l
なんでそうなったんだろう?
と思っていろんな人と話をしました。
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その中で出てきたのが、規範の低下
これって幼児期の教育問題?最近、幼稚園では子どもの個性を大事にしないといけないということで、児童を自由にしているところが多いのでは?という話を聞きました
でも、それって個性なのかなぁ
個性ってなんかすごく肯定的に捉えられてるけど、個性は周りとの協調性の中でのものだから、決して自由になんでもしていいってゆうことにはならないと思うんだけど…
なんでそんな風になっちゃったんだろう
幼稚園の先生も何かおかしいって感じながら、でも“個性だから”とどこかにブレーキがかかってしまうのかなぁ
みなさんはどう思いますか
投稿者 hana : 2007年05月23日 TweetList
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コメント
投稿者 こん
「個性」って言っとけば、何でも有りだから、先生の単なる誤魔化しでしょ。
実体は無い。
お医者さんがよくわかんないと「アトピー」とか「アレルギー」とか「うつ」って診断するのと同じ様な気がするな~?
投稿者 巖陀夢
【個性】
個人・個物を他の人・物から区別しうるような、固有の特性。パーソナリティー
個人を個人たらしめる特徴。
学校や幼稚園などの教育機関で、【個性】という言葉を多用するけれど、その意味がどんなものか?考えた人はいないのだろうなぁと思います。平等教育をしておきながら、個性を伸ばすなんて方針が矛盾していると思いませんか?
個性という考え方は、西洋から入ってきたもので、おもに、キリスト教では人間を「神に似せてつくられたもの」と人間を特別視して、神学上ではそれを「ペルソナ」と呼ぶそうです。それがパーソナリティ(個性)の語源となっているようです。西洋では、人間はしっかりとした個性をもっているものと認識されていて、近代思想の個人主義につながっています。
ようは、キリスト教→個人主義思想=旧観念の発想の言語で、頭の中の架空観念ですので、実態がありません。
私は思います。個性とは、実は、個々人の性格であり、性格とは、簡単にいうと、生まれて今まで関係した多くの人々の期待に答えようとして、作ってきた体験記憶です。大きくは、充足体験が、性格を形作っていますが、性格とは、生きてきて周りの人々の期待に答えようとする役割意識の結果の経験が、性格を形作っていくのだろうと思います。
ひとが生きていく上では、周りの人々に、必ず関係していきます。今からでも、死ぬまで、ずっと影響しあいながら、生きていきます。園中で、個性を性格と捉えるならば、それは、可変していくわけで、自在に変化して、塗り重なっていくもんで、生涯固定的な西洋の「個性」とはまったく異なるものであることがわかります。
状況と圧力に応じて、性格=役割意識が変わります。唯一、固定的に捉えられるのは、「個性」といって概念を与え、人々がその人の評価を頭の中で固定したときに、自在性を失い、固定観念化してゆくのです。
個性とは、性格そのもの。性格とは、役割意識であるということ。それは自在に可変して固定的なものでないこと。人々の共認への適応の形態だと思うのですが・・・
長くなりましたが、ご意見頂戴したいと思います。