日教組の加入率と、いじめ・暴力行為の発生率 |
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2006年11月12日
戦後教育研究【2】
教育思想の問題点
※戦後教育研究【1】
■資料① 戦後教育改革の流れの分析 ~文部科学省の政策~(pdf)
iwai
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教育改革をめぐる論議の混迷は、遡れば1970年以降顕著に現れはじめ、未だに答えが出ない状況にある。そうした閉塞の原因は、『教育思想』というものが、全て頭の中だけでつくりあげた価値観念に基づいており、現実に対する真摯な分析が全く行われなかったという点につきる。
■戦後~1970年(昭和20~45)
教育思想の面から言えば、この時代は二つの方向性が対立していた。ひとつは、主に教育界(教育学者・日教組)の主張である『民主・平等』をはじめとする近代思想のスローガン。もうひとつは、主に体制側(国家、文部省、財界)の要請である『系統主義』『能力主義』『教育の現代化』、科学技術・産業振興のためのハイタレント・マンパワー政策、要するに、いかに優秀な技術者や労働者を大量に育成していくかという方法論である。戦後復興から高度経済成長へと邁進し、私権圧力の強かった社会の中では、前者の観念よりも後者の主張のほうが、リアリティを持って受け入れられたと言えるだろう。
■1970年代(昭和45~54)
貧困が消滅した1970年代に入ると、教育思想も大転換する。序列圧力の無効化に伴い、学歴社会批判→受験競争批判・詰込教育批判が噴出し、『ゆとり』が教育思想のキーワードとして登場する。当時は社会的にも、反権力・人権・平等・福祉といった反序列観念が支配観念となっていくのだが、学歴批判・受験競争批判もこれと軌を一にしている。『ゆとり』観念の登場は、社会全体が、私権の強制圧力の衰弱から、ゆとり基調(ex.労働時間短縮、モーレツからビューティフルへ)へ推移したこととも符合している。
また、60年代後半から児童生徒の問題行動(暴力、家出、シンナー、暴走族、落ちこぼれ)が増加しているのだが、そうした問題の原因を真摯に分析することなく、安直に受験競争・詰込教育を悪者にし、それらを『ゆとり』によって解決しようとしたとも言える。
■1980年代(昭和55~平成1)
1980年代の教育思想のキーワードは『個性主義』である。教育界では「子ども中心主義」ということが盛んに言われた。この思想はユング心理学あたりに端を発し、米国の教育学者デューイによって広められ、日本に輸入されたものであるが、子どもの自主性・主体性を尊重することが良いこととされ、画一的な管理教育は悪とされた。
この時代は、校内暴力に加え、少年非行やいじめが増加しているのだが、ここでも問題の原因分析がまともに行われることはなく、子どもの主体性が尊重されていないことが問題と決めつけ、安直に『個性』尊重によって解決しようとした。
■1990年代以降(平成2~)
1990年代以降の教育思想のキーワードは・・・『自分探し』『自己実現』『ゆとり』『生きる力』『心の教育』etc ここでは、もはや、抽象的なスローガンを掲げるしかなくなったと見るべきだろう。観念自体があやふやというか、教育思想も拠り所を完全に失ってしまっているように思う。
90年代以降、いじめ、学級崩壊、不登校等がさらに問題化、そして2000年頃には学力低下問題が顕在化してくるわけだが、こうした問題に対して、教育思想はもはや無力無能でしかなかった。
このように概観してみても、これまでの『教育思想』は、現実の問題に対してほとんど何も成し得ていないのではないか。それは、現実の問題を構造的に分析することなく、また現実の中から新たな実現基盤を発掘することもなく、(要するにほとんど何も考えることなく)安易なスローガン=現実に立脚していない価値観念に依拠してきたからである。
投稿者 staff : 2006年11月12日 TweetList
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コメント
投稿者 かわい
教育関連の年表なら、るいネットの便利データサイト『教育データ』(http://www.rui.jp/new/chumoku/benri_2.html)にある『日本の子どもたち』(http://www.jca.apc.org/praca/takeda/)の様々な年表が使えると思いますよ。
とても、“個人”でやっているとは思えない豊富なデータが揃っています!!
おすすめです!
投稿者 sashow
コメントありがとうございます。
「ゆとり教育」というのは、要するに、生存圧力(私権圧力)が衰弱したからこれからはもっとお気楽に、ということに過ぎなかったのだと思います。
sashowさん、教育データのご紹介ありがとうございます!
投稿者 iwai
80年代に激化する校内暴力を眼前にした
世代です。
>1980年代の教育思想のキーワードは『個性主義』である。
>この時代は、校内暴力に加え、少年非行やいじめが増加しているのだが、ここでも問題の原因分析がまともに行われることはなく、子どもの主体性が尊重されていないことが問題と決めつけ、安直に『個性』尊重によって解決しようとした。
「問題あり→個人・個性尊重」というこの無責任な教育指針は、言い換えれば「問題があっても、何の解決もしなくていい、個性あるからしょうがないでしょ!」と公言して憚らないのと同じ。
無責任・野放図を暗に黙認したかのようなこの
教育指針の下、判断軸も方向性もわからない
人間が社会に大量にタレ流されたような気が
します。
そういう世代が現在、社会の構成員をになって
いる・・・いじめ問題が具体的に追求され、
解決しないのが、当然の帰結に思えてきました。
投稿者 ヤマダイ
ヤマダイ さん、コメントありがとうございます。
今社会問題化している、いじめ→自殺問題も同じ構造に思えます。安易なスローガンを唱えても、問題はいっこうに解決しない。
コチラの投稿も読んでみてください。
マスコミはいじめをネタにしている
http://juku.rui.jp/ruijnet.html?i=200&c=400&m=30579
マスコミが報道し始めてから子どもの自殺は増えた
http://juku.rui.jp/ruijnet.html?i=200&c=400&m=30723
投稿者 iwai
< 60年代後半から児童生徒の問題行動(暴力、家出、シンナー、暴走族、落ちこぼれ)が増加している
確かに子供の頃、上記のフレーズをよく耳にしました。うちの場合、ばあちゃんが「あんたが暴走族になったらあたしも付いていくからね!」って良く言われてました。
そりゃ~、恥ずかしすぎる、って思ったので暴走しませんでしたけど、学校の先生にはそんな体当たりな教育をしている先生を見かけたことが殆ど無いので、記憶にも残ってません。
『ゆとり』と言えば聞こえは良いけど、大人の怠慢ってその頃から始まっていたんですね。
気を引き締めねば!と改めて感じました。