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戦後教育研究【2】

教育思想の問題点

戦後教育研究【1】 [1]
■資料① 戦後教育改革の流れの分析 ~文部科学省の政策~(pdf) [2]

iwai

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教育改革をめぐる論議の混迷は、遡れば1970年以降顕著に現れはじめ、未だに答えが出ない状況にある。そうした閉塞の原因は、『教育思想』というものが、全て頭の中だけでつくりあげた価値観念に基づいており、現実に対する真摯な分析が全く行われなかったという点につきる。

■戦後~1970年(昭和20~45)
教育思想の面から言えば、この時代は二つの方向性が対立していた。ひとつは、主に教育界(教育学者・日教組)の主張である『民主・平等』をはじめとする近代思想のスローガン。もうひとつは、主に体制側(国家、文部省、財界)の要請である『系統主義』『能力主義』『教育の現代化』、科学技術・産業振興のためのハイタレント・マンパワー政策、要するに、いかに優秀な技術者や労働者を大量に育成していくかという方法論である。戦後復興から高度経済成長へと邁進し、私権圧力の強かった社会の中では、前者の観念よりも後者の主張のほうが、リアリティを持って受け入れられたと言えるだろう。

■1970年代(昭和45~54)

貧困が消滅した1970年代に入ると、教育思想も大転換する。序列圧力の無効化に伴い、学歴社会批判→受験競争批判・詰込教育批判が噴出し、『ゆとり』が教育思想のキーワードとして登場する。当時は社会的にも、反権力・人権・平等・福祉といった反序列観念が支配観念となっていくのだが、学歴批判・受験競争批判もこれと軌を一にしている。『ゆとり』観念の登場は、社会全体が、私権の強制圧力の衰弱から、ゆとり基調(ex.労働時間短縮、モーレツからビューティフルへ)へ推移したこととも符合している。
また、60年代後半から児童生徒の問題行動(暴力、家出、シンナー、暴走族、落ちこぼれ)が増加しているのだが、そうした問題の原因を真摯に分析することなく、安直に受験競争・詰込教育を悪者にし、それらを『ゆとり』によって解決しようとしたとも言える。

■1980年代(昭和55~平成1)

1980年代の教育思想のキーワードは『個性主義』である。教育界では「子ども中心主義」ということが盛んに言われた。この思想はユング心理学あたりに端を発し、米国の教育学者デューイによって広められ、日本に輸入されたものであるが、子どもの自主性・主体性を尊重することが良いこととされ、画一的な管理教育は悪とされた。
この時代は、校内暴力に加え、少年非行やいじめが増加しているのだが、ここでも問題の原因分析がまともに行われることはなく、子どもの主体性が尊重されていないことが問題と決めつけ、安直に『個性』尊重によって解決しようとした。

■1990年代以降(平成2~)
1990年代以降の教育思想のキーワードは・・・『自分探し』『自己実現』『ゆとり』『生きる力』『心の教育』etc ここでは、もはや、抽象的なスローガンを掲げるしかなくなったと見るべきだろう。観念自体があやふやというか、教育思想も拠り所を完全に失ってしまっているように思う。
90年代以降、いじめ、学級崩壊、不登校等がさらに問題化、そして2000年頃には学力低下問題が顕在化してくるわけだが、こうした問題に対して、教育思想はもはや無力無能でしかなかった。

このように概観してみても、これまでの『教育思想』は、現実の問題に対してほとんど何も成し得ていないのではないか。それは、現実の問題を構造的に分析することなく、また現実の中から新たな実現基盤を発掘することもなく、(要するにほとんど何も考えることなく)安易なスローガン=現実に立脚していない価値観念に依拠してきたからである。

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