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2016年05月24日
ベーシックインカムを考えても、日本人はいつまでも働く
最近話題となるベーシックインカム。高齢者だけの話ではありませんが、労働意欲は収入ではないという日本人にとってはある意味当たり前の話。だからこそ、引退を固定的に考える必然は無いということですね。
日本人は国から無条件でお金を支給されたとしても仕事を辞めない より
表題は、SPUTNIKの記事。リンク
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「スイスがベーシックインカムを検討している」と報じた記事に多くの反応があったため、ツイッターを通じてアンケートを行ったそうだ。
世論調査には、369人が参加した。調査では、「毎月2250ユーロが支給されたとしても、あなたは仕事を続けますか?」という質問に、回答者の73パーセントが「はい」、27パーセントが「いいえ」と答えた。同データから、「日本の人々はお金のためだけに仕事をしているわけではな」という結論を導くことができる。
そしてもしロシアの偉大な作家レフ・トルストイがこの世論調査に参加していたならば、恐らく彼も「はい」と答えたことだろう。なぜならトルストイは、「最も驚くべき誤解の一つは、人間の幸福とは何もしないことであるというものだ」との言葉を残しているからだ。
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そうなることを予想したリップサービス的な記事だろうが、アンケートの結果は事実を反映していると思う。欧州では、ベーシックインカム(2250ユーロ≒288,000円)を導入すると、労働意欲が著しく阻害される=誰も働かなくなることが常に話題になる。その心配がない日本というのは、彼らにとって驚きだろう。
日本は、定年退職をした高齢者が「なにか役に立つことはできないか」と考え始めている。欧州の人々にとって理解しがたい想いかもしれない。
SPUTNIKは、トルストイの名言を引用しているが、日本人の意識の深層を言い当ててはいないようだ。なぜなら、トルストイの言葉も「個人が幸福かどうか」という領域しか問題にしていないと読めるからだ。
ベーシックインカムを得てなお働き続けたい日本人は、労働の価値を自分中心にとらえてはいないだろう。誰かが喜んでくれさえすれえば、働く意味があると考えているのだ。
投稿者 hoiku : 2016年05月24日 TweetList
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