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2014年08月21日

新たな保育の可能性3 子育て支援の二元行政(保育所と幼稚園)の破綻

前回は、保育所の歴史の中から、戦後の混乱期に「次世代を担う子どもを育てる」、「戦後復興を国民総意で推進する」という志があったことを確認しました。

新たな保育の可能性2 富国強兵を継承した戦後保育所

今回は、子育て支援のもう一つの仕組み『幼稚園』も加えてみていきます。

1.保育所と幼稚園はどのように違うのか

小学校に入るまでの幼児の通う場所として、保育所と幼稚園があります。その違いを模式的に現したものが下の図です。

保育所は、0歳児から6歳児までを預かり、一日8時間(最近はもっと長い時間)保育します。対して、幼稚園は3歳児から6歳児までを預かり、1日4時間保育します。保育所と幼稚園の違いは、対象年齢の広さと預かる時間が大きく違います。幼稚園の3歳児は、4月入園段階で満3歳の幼児という意味です。

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この違いは、保育所と幼稚園の制度が大きく異なるためです。

保育所は「児童福祉法」により、幼稚園は「学校教育法」によって、その目的や基準が定められています。保育所は、福祉施策として展開され、幼稚園は教育施策として展開されてきました。そして、担当省庁も、幼稚園が厚生省(現厚生労働省)、幼稚園が文部省(現文部科学省)と分かれています。

保育所と幼稚園の目的をみてみます・

保育所:保護者の委託を受けて、保育に欠けるその乳児又は幼児を保育すること

幼稚園:幼児を保育し、適当な環境を与えてその心身の発達を助長すること

保育所は、親が子育てを十分にできない乳幼児を、親に代わって保育することが目的です。

対して、幼稚園は、親が子育ての役割を担うことを前提に、小学校入学前から心身の発達を促す目的です。

この目的に違いにより、保育所は0歳児から対象となり、幼稚園は3歳児からが対象となります。また、保育所の預かり時間は8時間、幼稚園の預かり時間は4時間となっています。

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 2.戦後の保育所と幼稚園の推移

ここで、簡単に幼稚園の歴史をみておきます。

日本の初めての幼稚園は、1876年(明治9年)の東京女子師範学校附属幼稚園(現在のお茶の水女子大学附属幼稚園)です。女子師範学校というのは、女子の学校教師の養成学校だから、幼児教育のモデルをつくるために幼稚園が設置されました。その後、大阪や鹿児島などで公立幼稚園が生まれ、明治20年代から30年代にかけて、幼稚園数は増加し、キリスト教系や仏教系の幼稚園も各地に誕生しました。託児所や保育所の普及が地方であったのと対照的に、当時の幼稚園は都市部が中心で、どちらかといえば裕福な家庭の子どもの早期教育が目的でした。

戦前にあった、下層階層及び職をもつ母親に代わって幼児を保育する保育所と上流階層の早期教育を担う幼稚園という役割が、戦後も継承されます。

下の図表は、戦後の保育所と幼稚園の推移をみたものです。施設数と保育所入所数・幼稚園児数をみています。施設数(保育所数と幼稚園数)は左目盛、保育所入所数・幼稚園児数は右目盛です。

1950年(昭和25年)では、保育所入所数29.3万人、幼稚園児数22.5万人でほぼ同じ人数です。

それが、1960年代、70年代に幼稚園児数が大幅に増加していきます。当時の文部省が、「第1次幼稚園教育振興計画」(1964年~1970年)、「第2次幼稚園教育振興計画」(1971年~1982年)と幼稚園の大々的な普及を図ります。この施策は、都市化と核家族化が進み、地域で子ども達が協働して遊ぶ環境が失われたこと、親の子ども教育志向が強まり、小学校入学以前の教育(読み書き)を望んだこと、豊かさ実現により、幼稚園費用を多くの家庭が払えるようになっていったことが背景にあります。

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<画面をクリックすると大きな図表がみえます>

この文部省の幼稚園設置促進策により、1980年(昭和55年)には、幼稚園児数240万人に達します。同じ年の保育所入所数は196万人で余り違いがないようにみえますが、保育所の対象年齢が3歳児以下も含まれることから、3歳~6歳児の主流は幼稚園に通う状態が出来上がりました。

幼稚園児数は、1980年をピークにしてその後減少に転じ、2013年(平成25年)には、158万人となっています。

一方、保育所入所数は、少子化による対象乳幼児数の減少により、1980年から一旦減少に転じますが、1995年からまた増加を始めます。2013年(平成25年)の人数は222万人です。

保育所と幼稚園の戦後の推移をまとめると以下のようになります。1980年代までは、幼児保育の主流は幼稚園が担い、保育所は、0歳児~6歳児までの保育を必要とする家庭の乳幼児を預かるという役割を担うという役割分担が機能していました。その意味で、厚生省と文部省という二元行政も問題がなかったのです。

しかし、少子化と職をもつ女性が主流になっていく2000年代になると、幼稚園は定員割れが進行し、保育所は入所待ちが増えていくことになります。因みに、2000年に保育所入所数が187万人となり、幼稚園児数177万人を超えます。

3.二元行政(保育所と幼稚園)の破綻

2000年代に幼稚園の定員割れ、保育所の入所待ちの進行を現した調査があります。ベネッセが行った「幼児教育・保育に関する基礎調査」です。

この第2回調査(2012年調査)の結果を、以下にまとめ直した表をつくりました。

下の表は、保育所がもっぱら受け持っている0歳~2歳児の定員充足率(超過受入)の表です。私営保育所では、定員超過受入(充足率100%以上)の保育所が全体の62%に達しています。定員の125%以上も受け入れている保育所が24%もあり、0歳~2歳児の保育所入所の大変さがあらわれています。

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次の表は、保育所と幼稚園の両方に通える3歳~5歳児の幼稚園の定員充足率(定員割れ)の表です。定員割れ(充足率100%未満)の幼稚園についてみると、公営幼稚園で94%、私営幼稚園で79%と、多くの幼稚園が現在定員割れを起こしています。また、その定員割れ状態が74%以下という深刻な幼稚園が、公営幼稚園で59%、私営幼稚園で40%にもなっています。

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ここで、改めて、0歳~6歳児の生活の場所、通っている施設がどうなっているかみてみます。下の図は内閣府がまとめた「就学前教育・保育の構成割合」(平成21年・2009年)です。

これによると、0歳児は、95%が家庭で保育を受け、5%が保育所に預けられています。1歳児は、家庭保育が67%、30%が認可保育所、3%がその他の保育施設。2歳児は、家庭保育が58%、32%が認可保育所、10%がその他の保育施設。3歳児になると幼稚園が登場し、家庭保育が36%、17%が幼稚園、40%が認可保育所、10%がその他の保育施設となります。4歳児以降は、幼稚園が主流となます。

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また、同じ内閣府の資料によると、保育所の入所待ちの「待機児童」の数は、依然として2万人を超え、その中心は、0歳児、1歳~2歳児です。

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ベネッセの調査と二つの図を、職をもつ母親の目でみてみますと、以下のような不安が生じます。

子育てに一番大変な0歳児、1・2歳児の預け先としては保育所しかなく、どの保育所も大幅な定員超過の状態で、預け先を探すのが極めて困難。

3歳児以降は、幼稚園と保育所を区別しなければ預け先はあり、一応手当てができるが、幼稚園では預けられる時間が限られていて、職をそれに合わせる必要がある。また、幼稚園児の母親の主流は専業主婦であり、職をもつ母親とは気質的にも合わない。

つまり、戦後の保育所と幼稚園という二元行政が、職をもつ母親が主流となった時代にまったく合わない事態が生じているのです。

政府は、保育所・幼稚園を一体化して、一元行政に転じようとしています。具体的には、何とか幼稚園で、0歳児、1・2歳児の保育を行えないかという構えです。しかし、歴史的に作られてきた幼稚園の気質が残る結果、中途半端な結果にしかなりそうもありません。

その意味で、お上、行政主導の政策が限界を迎えていると捉える必要がありそうです。

 

投稿者 hoiku : 2014年08月21日 List   

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