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2008年05月10日

市場社会・市場拡大が生み出した消費者

eco.jpg
写真↑エコバックは、 こちら から

親余り→密室家庭の背景には、市場社会・市場の拡大が根底に潜んでいるのではないでしょうか?

市場を拡大させるには、消費者を生み出し、そして消費者(層・意識)を拡大させていく必要がある。

振り返ってみると、
かつての村落共同体のように、相互扶助の関係や皆が生産者で有り続けると、市場は拡大しないのである
農村においては、
食料は自給自足又は、殆どまかなっている。余剰に生み出された野菜やお米を(農業に従事していない)近所にお裾分けすることも多い。

大家族で住めば、それだけ家賃負担が小さくなる(田舎では持ち家が殆どであるので家賃としても発生しない)。かつての白川郷のように、村を挙げて普請することもある。

子育てにおいても、母親がべったり面倒を見ることは殆ど無かった。祖母も面倒を見てくれたり、近所に遊びに行くとその家のお母さんが面倒を見てくれたり、悪さをすると長老的なおじいさんに怒られることもある。
小学校に通う頃には、近所の友達と日が暮れるまで遊んでいる。現代の(高価な)おもちゃやゲーム機など不要で、空き地や野原に秘密基地を作ったり、遊び道具は仲間と一緒に作り出したり、身近にあるもので創意工夫して遊んでいた。そして、田植えや刈入れ時、収穫時に草むしりetc.子供であっても手伝えることは多い。
その間、母親そして祖母も田畑を始めとした生産に従事できる。一家庭と言う枠を超えて生産と消費、そして生殖(子育て)が一体となっていた。
そこには、地域での課題や生産を通じて各人に役割があった。

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現代に戻すと
戦後の私権を求めて都市への流入→核家族化、そして“物的”豊かさ追求は、(幻想・騙しに基づく)市場化・市場拡大を下敷きに、バラバラな個人に解体されてしまった

<参考>
家庭が密室化したのはなんで?~専業主婦⇒消費特権階級が出来るまで・・・(1)
家庭が密室化したのはなんで?~専業主婦⇒消費特権階級が出来るまで・・・(2)
家族を取り巻く環境の変遷~郊外ニュータウンと公共性。

市場の拡大に伴って、生み出されたものが、(消費し続けていても生きていける)消費特権階級である。

典型的な消費者に成り下がっている又は追いやられているのが、子供であり、専業主婦であり、ニート・引きこもり、そして年金生活の老人や生活扶助で生活している人々である。
結果
国の借金が膨らむばかりか、課題や役割を見失い・奪われ、活力は衰弱するばかりである

バラバラにされた個人、そして消費者が、“子育て”を個人課題にしてしまうと、必要以上に無駄にお金もエネルギーも注ぐことになる。
『子育てと言う“同じ課題”を“目的も解からず”に“市場に踊らされて”“好き勝手”に“バラバラ”にやってる。』という感じでしょうか。
総体的には、親が余っていると言える。

そして、何より過干渉・過保護は、消費者という名の子供を育てているに過ぎないのです。

市場社会・市場拡大そして、批判や要求するだけの“消費者”意識から脱却し、
課題や役割を創りだしていくことが求められているのではないでしょうか

投稿者 sodan : 2008年05月10日 List   

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コメント

>“消費者”意識から脱却し、
>課題や役割を創りだしていくことが求められ
>ているのではないでしょうか?

ごもっともだと思います。
本来は大人の身分として、特に男性はきちんと社会基盤の整備や地球環境を含めた科学技術やアイディアを開発・企画するといった、人間社会を存続する上での構築力のある能動的な行動。そういう活動に移るべきだと考えています。
今の消費者側は、これまでの書き込みで何度も述べているように団塊ジュニア世代に代表される快楽コミュニケーション主義(自己中心・自分探し・心の癒し・乱れたファッションや言葉遣い・自分が脚光を浴びる)がはびこっており、そういうライフスタイルだと会社で働くことや勉強をする事・頭を使う事を厄介に感じるようになり、今述べた頭を使わずに、ただ面白い事をして周りの人を盛り上げるだけ。間違ったコミュニケーション主義の代表格です。もちろん、子供に慕われるだけ・癒されたいパパも同様です。社会基盤の構築や実効性の有る行動とはほど遠い状態となり、このままで行くと日本国家の崩壊に成りかねない非常に危険な事だと思います。

投稿者 ノリアキ : 2008年5月11日 01:19

>社会基盤の構築や実効性の有る行動とはほど遠い状態となり、このままで行くと日本国家の崩壊に成りかねない非常に危険な事だと思います。

ノリアキさんのおっしゃる通りだと思います。
「社会をどうする?」という視点をなくして、自分(若しくは自分の)に向いている限り、今の閉塞状況・危機的状況からは抜け出せないのだと思います。

“自分”から“みんな(社会)”へと意識転換すると共に、とことん“なんで?(原因)”を追求し“どうする?(可能性探索)”という答えを提示していく必要があります。

それは、一人でできることではなく、より多くの人たちの実感と事実追求により認識を紡いでいき構造化していく必要が有り、そういった共認形成の“場”を拡げていきたいと思っています。

投稿者 sodan : 2008年5月12日 21:12

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