市場社会・市場拡大が生み出した消費者 |
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2008年05月11日
共同体の再生が必要!
“親が余っている”という状況を生み出したのは、市場社会である。
市場社会は、集団を解体し、バラバラな個人にしてしまうことで成立する。“子育て”が各家庭の課題になったのも、いや、母親一人の課題になってしまったのは、間違いなく市場社会が原因である。
学習塾、スイミング、ピアノ、英会話、バレエ、サッカー、野球、そろばん、習字、ダンス・・・などなど、今子どもたちが、学校以外に毎日のように通っている習い事は、こんなにいろんな教育市場であふれている。
しかも子どもにこれらの習い事をさせることは、子どもの能力を特別に磨くためというより、もはや当たり前。そこまで市場に呑み込まれてしまっているのだ。
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だから親の意識は、特に目的があるわけでもなく、何となく子どもにためになると思って通わせているのだろう。逆に言えば、家庭の中では(母親一人では)教育できないから、他に頼るしかないといったところではないだろうか?
とはいえ、子どもにとっては習い事の集団に入ることは問題ではなく、真っ当に集団圧力が働く場であり課題共認が明確であれば、活力も出るし成長するだろう。家庭の中にいるよりはるかに良いだろう。
しかし、最近は“疲れている子供たち”が多いという。子どもが疲れるということはよほどのことだが、何をしても充足できない状況があるように思える。塾にしてもいろんな習い事にしても、唯一の圧力は仲間圧力だけしかない。だから、課題が不鮮明になった途端、活力を失ってしまう状況にあるのではないか?
「今これをやって何になるの?」
という素朴な疑問が子どもの口から出てきたら、何と答えられるだろうか?
せいぜい、「あなたの将来のため」くらいではないだろうか。
子育てに対する親の意識に、集団の課題が存在していないのだ。「みんなのため」という視点が欠落してしまっている。何故なら集団が解体されてしまっているから。
まずは、この親の意識を転換しないことには始まらないとも思うが、そのために必要なことが
共同体の再生
だといえる。共同体を再生して集団課題を生み出し、市場を縮小していく。そして真っ当な集団社会を広げていくことで集団意識を再生していく。これが最も重要な課題なのではないだろうか。
“全寮制学校”は一つの手がかりになりそう。勉強にしても生活にしても、そこに働く集団課題を、いかに社会の課題とつながりを持たせることができるかどうかが課題ですね。
しかし、全寮制であるわけだから、どう考えてもそこに親は必要ない。そもそも余っている親の課題(集団にとっての課題、社会にとっての課題)が必要。
それは何だろうか?
今後の追及テーマですね。
投稿者 hiroaki : 2008年05月11日 TweetList
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コメント
投稿者 匿名
ものすごくいい、課題であるとおもいます、ぜひわかいおんなのかたによんでもらってください