
写真↑エコバックは、 こちら [1] から
親余り→密室家庭の背景には、市場社会・市場の拡大が根底に潜んでいるのではないでしょうか?
市場を拡大させるには、消費者を生み出し、そして消費者(層・意識)を拡大させていく必要がある。
振り返ってみると、
かつての村落共同体のように、相互扶助の関係や皆が生産者で有り続けると、市場は拡大しないのである。
農村においては、
食料は自給自足又は、殆どまかなっている。余剰に生み出された野菜やお米を(農業に従事していない)近所にお裾分けすることも多い。
大家族で住めば、それだけ家賃負担が小さくなる(田舎では持ち家が殆どであるので家賃としても発生しない)。かつての白川郷のように、村を挙げて普請することもある。
子育てにおいても、母親がべったり面倒を見ることは殆ど無かった。祖母も面倒を見てくれたり、近所に遊びに行くとその家のお母さんが面倒を見てくれたり、悪さをすると長老的なおじいさんに怒られることもある。
小学校に通う頃には、近所の友達と日が暮れるまで遊んでいる。現代の(高価な)おもちゃやゲーム機など不要で、空き地や野原に秘密基地を作ったり、遊び道具は仲間と一緒に作り出したり、身近にあるもので創意工夫して遊んでいた。そして、田植えや刈入れ時、収穫時に草むしりetc.子供であっても手伝えることは多い。
その間、母親そして祖母も田畑を始めとした生産に従事できる。一家庭と言う枠を超えて生産と消費、そして生殖(子育て)が一体となっていた。
そこには、地域での課題や生産を通じて各人に役割があった。
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現代に戻すと
戦後の私権を求めて都市への流入→核家族化、そして“物的”豊かさ追求は、(幻想・騙しに基づく)市場化・市場拡大を下敷きに、バラバラな個人に解体されてしまった。
<参考>
家庭が密室化したのはなんで?~専業主婦⇒消費特権階級が出来るまで・・・(1) [2]
家庭が密室化したのはなんで?~専業主婦⇒消費特権階級が出来るまで・・・(2) [3]
家族を取り巻く環境の変遷~郊外ニュータウンと公共性。 [4]
市場の拡大に伴って、生み出されたものが、(消費し続けていても生きていける)消費特権階級である。
典型的な消費者に成り下がっている又は追いやられているのが、子供であり、専業主婦であり、ニート・引きこもり、そして年金生活の老人や生活扶助で生活している人々である。
結果
国の借金が膨らむばかりか、課題や役割を見失い・奪われ、活力は衰弱するばかりである。
バラバラにされた個人、そして消費者が、“子育て”を個人課題にしてしまうと、必要以上に無駄にお金もエネルギーも注ぐことになる。
『子育てと言う“同じ課題”を“目的も解からず”に“市場に踊らされて”“好き勝手”に“バラバラ”にやってる。』という感じでしょうか。
総体的には、親が余っていると言える。
そして、何より過干渉・過保護は、消費者という名の子供を育てているに過ぎないのです。
市場社会・市場拡大そして、批判や要求するだけの“消費者”意識から脱却し、
課題や役割を創りだしていくことが求められているのではないでしょうか?