きょうだい間の殺人は増えているのだろうか? |
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2007年02月01日
食事の仕方次第でキレる子どもが育ってしまう!?
いきなりですが、 「食卓の向こう側」 という本を知っていますか
この本は、加工食品や食品添加物の危険性を写真入りで紹介していて、
えーー この商品も っていうあまりにも身近な商品がたくさん紹介されている本です。
今日はその本の一部を紹介します
家庭を聖域にしてはいけないブログでも、キレる子どもたちの話が取り上げられていますが、
キレることと、食事が密接な関係にあるようなのです
つづきはぽちっとしてから
農水省やJAで構成される「朝ごはん実行委員会」が首都圏の児童50人に食卓の風景を描いてもらうという実験を行いました。
この子供たちの絵から、様々なことが読み取れます。
楽しい会話のある家庭の子の絵は、家族一人一人に表情があり、御椀を持つ姿、食事の内容等から楽しい雰囲気が伝わってきます。
そして、最近増えてきているのが「人なし、人マークetc」の絵を描く子供たち。
それらの絵は何を表しているのか?
例えば・・・
「人なし、食物のみ」の絵。
これは、強制される食事を投影している。丸と直線という「人マーク」に置き換えられた人間を描いた絵。
これは、会話が貧しい証拠。
人との充足感がない。「手なし人間」の絵。
これは、意欲も食欲もない。「隅で一人で食べる」絵。
よりどころを求めている証拠。「画面からはみ出すような人物」を描いた絵。
これは、怒りや攻撃性を表している。「豆粒のような人物」を描いた絵。
これは、心の萎縮をあらわしている。なんと、ここ十年で、楽しい会話の絵を書く子供は、5割から4割に減少し、「人マーク」は2割から3割に上昇しているとのこと!
もはや家庭は、食育の機能さえ失ってしまっている。
参考文献「食卓の向こう側5」西日本新聞社
るいネットより引用
この本には、実際に子ども達が書いた絵が掲載されていて、衝撃だったのが
「理想の朝食風景を描いてください」というお題で、小学5年生が描いた絵にびっくり 😯 なんと
おふとんに入って、スナック菓子を好きなだけ、寝ながら食べるというような絵でした
そういえば、お休みの日に家の近所のマクドナルドの前を通ると、小さい子どもを連れた家族連れ
の姿であふれかえっているのを思い出しました :confused:
そんな小さなころから、ジャンキーなものばかり与えて大丈夫なの
お金を出せば、なんでも食べられる時代。一方で糖尿病などの生活習慣病が急増している。
食事のあり方、家族のあり方・・・すべてがなんかおかしい。
投稿者 kado : 2007年02月01日 TweetList
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コメント
投稿者 sashow
栄養学的な問題もあるし、心理的な成長にも大きな影響を与えそう。
一緒に食事をすることでの楽しさももちろん、準備や後始末を手伝うってのも子供にとってプラスなんじゃないかな。
俺が実家にいたころは、お米をかす(洗う)のが仕事で、冬場は水が冷たかったけど、家族のありがとって気持ちが伝わってくるからイヤとは思わなかったし。
今はおなかを充たすのは容易だけど、ココロを充たす機会が減っているかも・・・
投稿者 ニシヒデ
日常は娘と二人の食卓ですが、たまに実家で大勢で食事をするときは、明らかに娘の食欲が違ってたりしますね。
「みんなで食べると美味しいね~」なんていいながら、好き嫌いせずに食べてます。
(家ではなんで食べてくれないのぉ~~って思ってしまう...)
食事の仕方はいろいろと考えさせられることたくさんありますね。
投稿者 りうママ
食と家庭の問題、是非このブログで継続して追求・解明していきましょう!!!
投稿者 iwai
皆さん、コメントありがとうございます。
食は生の根幹にあるのに、いつのまにか時間を短縮できるのが料理の時間だったり、食事の時間だったり・・・してたなぁとつくづく思いました。
みんなで食べると、好き嫌いを感じなくなったり、食欲が出たり♪すごくわかります。
皆さんのコメントを読んで、いっそう食のあり方を追求したくなりました!
投稿者 なっつん
寝ながら、お菓子・・・開いた口が外れるような感じですね。
数年前、妻がまだ小さい子供を育てているのを見て感心したんですが、母親は子供の状態を見て、野菜や魚が不足しているとかが解かるんですね。
「今日はちょっとイライラしているから、野菜をきちんととらさなきゃ!」とか、ちょっと発疹がでたのは、○○が不足しているから・・」なんて、常に子供の栄養のバランスを考えている。
思い起こせば、私の母親も、おばあちゃんもそうでした。苦手なものを残すと、よく叱られました。
本来、“子供の成長のため”を考えるという本能的なものが、母親という存在には備わっていると思うのですが・・・
それが、めんどうだとか、単に“我が子のため”という意識になると、朝食抜きとか、子供が(文句をいわない)好きなもだけを与えるとか・・・になってしまう。これって、“自分のため”の自己中でしかない!
それっていけないよ!と言ってくれる人がいないのが聖域化した家庭の問題ですね。