中学生のいじめについて。 |
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2007年01月22日
小中学生と高校生のいじめ事件は何が違うの?
小中学校の事例に繋げて高校生(大学生)の事例を分析したいと思います。
高校生のいじめ事件は、小中学生時代の事例のそれと比べ、各年代とも部活や学生寮が舞台となることが多いのが特徴的です。さらにいじめの原因も比較的はっきりしています。
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子供に関する事件・事故一覧より年代別の代表例を抜粋してみました。
□傷害致死:1983/8/29 京都府京都市の花園大学の応援団の夏合宿で、男子部員(大1・18)が、上級生から「気合いを入れる」と竹刀や素手で殴られ脳圧迫のため死亡。
《2000年代》
□ いじめ自殺:2000/4/28 福岡県太宰府市の高校の男子生徒(高2)が自宅の納屋で首吊り自殺。2月から5月まで、この生徒を含む知り合いの高校生3人を自宅や公園などに呼びだして殴るけるの暴行を加え現金30万円を恐喝していた容疑で、私立高校の男子生徒(高2・16-18)4人と県立高定時制の男子生徒(高2・18)を逮捕。
□いじめ自殺:2006/11/22 山形県高畠町の県立高畠高校で、女子生徒(高2・16)が、渡り廊下の屋根から飛び降り自殺。携帯電話に複数の生徒の名前をあげて、「言葉によるいじめを受けていた」との内容が残されていた。
これらの事件に共通して私が感じ取れるのは、限定された仲間集団の中で加圧された抑圧感の高さです。家庭や先生の影響力が残っている小中学時代に比べ、高校時代以上は純粋に仲間に向かっていくのだと思います。
その仲間集団の限定度が高いほど抑圧感も高くなるのだと思います。
私なんかは抑圧を感じれば部活やグループを抜ければいいと思いますが、実はそこから抜け出すのが困難なようです。
勉強なりに可能性を見いだせなかった子供たちの中では、「部活いのち」といって憚らない子も多いと聞いています。
私の娘は、「部活があってよかった。」「もしなかったら・・うちらどうしたいいか・・・わからなかったあ・・」と友達と言い合っています。
彼女らに限らず、勉強や家庭の中では他に可能性を感じる課題が見つからず、「部活」が唯一手応えが感じられる課題となっている人は多いと思います。
現在は「人の役に立ちたい!」という意識潮流がどんどん低年齢化しています。
家庭や学校の活動の中に可能性のある課題が見いだせないということ自体がおかしいことなのだと思います。
実は学校や家庭の外に目を向ければ課題はたくさんあるからです。
この「人の役に立ちたい!」という意識が、対象を限定された仲間集団から(みんな⇒)社会に向かえば、「世の中をどうする」に繋がっていくのではないでしょうか。そうなれば本当にいいなと思います。
それにはまず現実がどうなっているか考えていくことなのかなと思います。(tennsi21)
投稿者 tennsi21 : 2007年01月22日 TweetList
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コメント
投稿者 事情通
コメントありがとうございます。記事の出典はここです。 (http://www.jca.apc.org/praca/takeda/number/830829.htm)
たしかに判決はよく読めば傷害致死となっているようです。事情通さんのコメントを読んで私が思ったのは、いじめに関しては、加害者対被害者という視点だけでは、問題の本質をとらえきれないのだと思いました。tennsi21
投稿者 tennsi21
早速のご訂正どうも有り難うございました。
出典先の方へも訂正依頼を出しておきました。
この事件はいじめ問題の範疇に入るのか否かについて異論もありますが、確かに物事の本質を知るには、全方向から精査し死角をつくらぬ努力が必要でしょうね。
投稿者 事情通
1980年代の事件一覧で、「花大応援団事件」のカテゴリーが暴行殺人となっているのは重大な誤りです。
当時の応援団では、日常的に行われていた練習中のシゴキ(単発的に殴ったり蹴ったりの気合を入れながらの厳しい訓練)の結果、不幸にも団員が硬膜下血腫により入院死亡したものであり、同意なき相手を意図的に痛めつける集団リンチや暴行とは全く意味合いが違うものです。
上級生らも、体育会系の伝統的な慣わし(硬派的な愛の鞭)として同様に体験してきたものであり、当然悪意や因果関係の知識もありませんでしたが、後輩に対する健康管理責任については、今でもその責を重く受け止めています。
この事例集はどこから引用したものか記載がありませんので、元記事の不正確をただすことは難しいかも知れませんが、最終判決は「傷害致死」であり、元被告らはその後もご両親の許可を得て後輩の墓参を続けてきました。
被害者家族の救済や犯罪の撲滅は最も重要なことですが、社会的制裁を受けた元被告らの一片の事情も知らずに、25年経過した現在でも事例と称して殺人という曲解した烙印を、ネット上で公開することに何ら問題はないと言えるでしょうか?
言葉というものは、人を生かしも殺しもするほどの影響力がありますから、文責者に「暴行殺人」という文言の早急なる訂正と配慮を最後にお願いしておきます!!