出生率1.8に回復!?~こんないい加減な予測でいいの? |
メイン
2006年11月15日
みんなで活きる力を再生しよう!
家庭も学校も、今や子供達に「生きる意味」すら教える事が出来ない現状が広がっているようです。
以下の投稿を読んで、皆さんはどう感じますか?
先日の大手新聞に「なぜ人を殺してはいけないのか?」という記事がありました。そこで教育現場/家庭からの深刻な叫びが綴られています。
続きを読む前に、こちら をポチッと、よろしくです。
(以下、抜粋)
・子供が「死ね」と連呼しながらゲームをしているので、そんな言葉は使ってはいけない、というと「なんで?」と返される。・自分が同じ目(死)にあったら嫌だろう、と叱ると『自分が死ぬなどありえない。そんなヘマはしない。』と反論される。
・「一度死んだ生き物が生き返ると思いますか?」という問いを都内400人の子供にヒアリングした結果、小学生で2/3、中学生で1/2は「生き返るもの」と返答。(※大学生にも数名いたとのこと!)
・ツバメの巣にボールを当てて遊ぶ子がいる。注意すると「また生めばいい。」と反論される。
・彼女が妊娠したら腹をボコボコに殴って殺す、と言い放った生徒を咎めると、周りにその意見へ同調する生徒が何名もいた。
・先生に死について学活で教えるようにと指示した所、「考えたことがない。」「マニュアルが欲しい。」と言い返す若手先生がいる。
(抜粋終わり)完 全 に 人としての不変認識が欠落してしまっている。
一度失ったら二度と戻らないものが存在することを知らないor耐えられないようだ、と記事には記述されていたが、社会・子供の行く末を真剣に考える大人ほど、子供から発せられる驚愕の言葉に憔悴しきっているようなのです。
~引用終わり~
実は、つい先日も路上で「なんで屋」をやっていた所に、一人の高校生が来店し、「人を殺してはいけないのは何で? 😯 」というお題を聞かれました。
何故そのようなお題を聞きたいのか質問すると、「友達に聞かれた(言われた?)時に、答える事が出来なかったから・・・ 」という事でした。
家庭も学校も社会も、人が人として活きて行くために必要だからこそ、集まって暮らしているのにも関わらず、その集団において活きる意味を見出す事が出来ていない。
個人がバラバラとなり、集まって暮らしている現実が捨象され、「人それぞれ」が半ば普遍化しつつある社会。
どっからどう考えても、ヤ バ イとしか言い様がありません。
しかし、そんな世の中の世論は、
「自殺はダメだと言い切れないマスコミ」
によって握られてしまっています。
歯止めが利かない自殺 😥 やいじめ 👿 、そして様々な不安 😥 。
もう黙っては居られないはず。しっかりと現実を見つめ直し、改めて「人と人とが期待し合える社会 😀 」=「人間として活きた社会 」をみんなの手によって再生していかなければならない。
そして、活きる意味とは、現実への適応に他なりません。
「実現論」
に、その根拠が提示されています。是非ご一読を!
かわいでした
投稿者 kawait : 2006年11月15日 TweetList
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://web.kansya.jp.net/blog/2006/11/56.html/trackback
トラックバック(1)
浜辺の少年
自然はどうして尊いの?
人は自然を尊いと言う、かけがえのない自然と言う。 自然を守らなければ、自然と共存しなければと言う。 そう。その通り。 人間は自然がなければ生きられない。 ...
...[続きを読む]
トラックバック時刻: 2006年11月16日
コメント
投稿者 相馬
こんばんわ。サイヒロです。
最近では中高生でも、自殺が増えてきてますよね・・・。
なんか、イジメ&自殺の原因が金銭。
お金目当て?の事件が多いような気がします。
この、投稿を読んで、「生きる意味」が、わかりました。
まだ、このブログで勉強したいと思います!
投稿者 サイヒロ(♀)
人を殺してはいけないのはなんで?
こんな疑問が出てくることには、私も非常に危機感を感じます。
なぜなら、人にはサル時代に生き延びるために獲得された共認機能=「心」があり、その作用によって同類との心の交わりが安心感や充足感を生み、更には活力を生み出すことができる・・・つまり、人にとっては人(からの期待圧力)こそが活力源であり、本来それなしには生きてはいけない存在だからです。
従って、特に人から教えられなくとも、当然人を傷つける行為には痛みが伴い、ブレーキがかかるもの。・・・まさに人としての不変認識。
その意味で、「人を殺してはいけないのはなんで?」という疑問が生ずる根底には、一つにはゲームやメディア、マスコミによる観念支配の悪影響を感じると同時に(それも相まって)、貧困の消滅以来の圧力低下状態下にあって、社会全体、とりわけ家庭が過保護空間化したことが大きいと思う。
自己中な親から十分な愛情を受けず、更に甘やかされて育った結果、心が完全に壊れてしまった・・・同類と同化し、安心や充足感を得ることができないどころか、殺しても平気だとすれば、それはもはや人の定義からばすれた“人でなし”だということ。
・・・もはや、密室家庭は“人でなし”を再生産することしかできなくなってしまったということです。
投稿者 コシミ
自分の若いころを思い出すと、昔からいじめはあったと思うが、なぜ「いじめ」→「自殺」にまでいくのか?
(子供に限らないのだが)ポイントは、①受け入れてくれる(評価してくれる)集団があるかどうかと、②頼りになる価値軸(認識)があるかどうかではないかと思う。
そういう意味では、今の子供たちは、①仲間第一(絶対)という集団が前提であり、どんなにいじめられてもこの集団から逃げることができないし、そもそも評価する共通の課題なんて無い??し、②個性教育第一で自分らしく、しかり生きることが大切という状況にある。
結局、この問題は、いじめの家庭や学校だけの問題ではなく、社会全体の普遍的問題だ。だからこそ、かわいさんが言う”みんなで活きる力を再生しよう!”に賛同!!
投稿者 hoop
引用ありがとうございます。
『家庭を聖域にしてはいけない』はいつも記事がアップされるのを楽しみにしているブログのひとつです。
最近はマスコミによるいじめ、に関心があります。