家庭も学校も、今や子供達に「生きる意味」すら教える事が出来ない現状が広がっているようです。
以下の投稿を読んで、皆さんはどう感じますか?
先日の大手新聞に「なぜ人を殺してはいけないのか?」という記事がありました。そこで教育現場/家庭からの深刻な叫びが綴られています。
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(以下、抜粋)
・子供が「死ね」と連呼しながらゲームをしているので、そんな言葉は使ってはいけない、というと「なんで?」と返される。・自分が同じ目(死)にあったら嫌だろう、と叱ると『自分が死ぬなどありえない。そんなヘマはしない。』と反論される。
・「一度死んだ生き物が生き返ると思いますか?」という問いを都内400人の子供にヒアリングした結果、小学生で2/3、中学生で1/2は「生き返るもの」と返答。(※大学生にも数名いたとのこと!)
・ツバメの巣にボールを当てて遊ぶ子がいる。注意すると「また生めばいい。」と反論される。
・彼女が妊娠したら腹をボコボコに殴って殺す、と言い放った生徒を咎めると、周りにその意見へ同調する生徒が何名もいた。
・先生に死について学活で教えるようにと指示した所、「考えたことがない。」「マニュアルが欲しい。」と言い返す若手先生がいる。
(抜粋終わり)完 全 に 人としての不変認識が欠落してしまっている。
一度失ったら二度と戻らないものが存在することを知らないor耐えられないようだ、と記事には記述されていたが、社会・子供の行く末を真剣に考える大人ほど、子供から発せられる驚愕の言葉に憔悴しきっているようなのです。
~引用終わり~
実は、つい先日も路上で「なんで屋」をやっていた所に、一人の高校生が来店し、「人を殺してはいけないのは何で? 😯 」というお題を聞かれました。
何故そのようなお題を聞きたいのか質問すると、「友達に聞かれた(言われた?)時に、答える事が出来なかったから・・・ 」という事でした。
家庭も学校も社会も、人が人として活きて行くために必要だからこそ、集まって暮らしているのにも関わらず、その集団において活きる意味を見出す事が出来ていない。
個人がバラバラとなり、集まって暮らしている現実が捨象され、「人それぞれ」が半ば普遍化しつつある社会。
どっからどう考えても、ヤ バ イとしか言い様がありません。
しかし、そんな世の中の世論は、
「自殺はダメだと言い切れないマスコミ [3]」
によって握られてしまっています。
歯止めが利かない自殺 😥 やいじめ 👿 、そして様々な不安 😥 。
もう黙っては居られないはず。しっかりと現実を見つめ直し、改めて「人と人とが期待し合える社会 😀 」=「人間として活きた社会 」をみんなの手によって再生していかなければならない。
そして、活きる意味とは、現実への適応に他なりません。
「実現論 [4]」
に、その根拠が提示されています。是非ご一読を!
かわいでした