「正解をもとめる思考」は結構根深い~変化を受け入れ、仲間と仕事をしていくためには~ |
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2022年12月17日
今の若者は、自分で自分の首を絞めていることに気づいていない?!
社会人2年目になって、ある程度仕事に慣れてくると、「仕事を選ぶ」ことが多くなっていたなと、最近感じることがあります。
特に、やりたくなかったり、苦手意識があることを避ける意識が強いと感じることが多く、上司に指摘され、あまり活力が無い状態で、半ばイヤイヤ仕事をすることも、少なくありません。結果、成果が低く、また指摘され…という負のループ。しんどい!と感じることだって多い。
そんな意識の出どころはどこなのか??
ふとしたことから、みんなで考えてみました。
映画を早送りで観る若者が増えている?
今の若者には、映画を早送りで観る人が増えていると言います。あるいは、あらすじを事前に見て、観る/観ないの判断をしたり、ストーリーと関係ないと判断した描写をスキップするといったことを、当たり前のように行っている…
その理由は、「流行りを知っておかなければ、友人との会話についていけない。話題をつくれないし、話せない。」というのが大きいそう。要は、ストーリーを把握しておくだけでOKなので、時間の節約として、早送りをしているようです。それほどまで、自集団への依存度が高いのか?!というのは、何かありそうですよね。
また、「自分が不快だと思う描写を観たくない」や、「結末を知っておくほうが安心して観れる」といった理由が、あらすじを事前に見ることを加速させているように思えます。個人的には、めちゃくちゃ気持ちがわかります。
今の若者は、存在不安に苛まれている。
存在不安とは、自身の心の拠り所が無いから生まれてくるもの。その中身は、自らの心が安定・安心する場であり、相手に対してベクトルが向いているものではありません。専ら、自分のためでしかないのです。
意識としては、その“拠り所”がなくなることに対する恐怖や、“安心”や“安定”が揺らいでしまうことに対する不安が強い。だから、不安な状態になってしまうものを“拒絶”してしまう。いわば、“わからないこと”や“先が見えないこと”が、“自分はどうなるんだろう”という不安を掻き立てるトリガーとなってしまうのです。
気持ちを浮き沈みが起きたり、感情を揺さぶられるのを“不快”と思ってしまう。これが、若者の意識には根深くはびこっています。
とにかく、得体のしれないものや、未知のもの、答えが分からないものに対する恐怖が、すごく強いのが今の若者です。“未知拒絶”とも呼べるでしょう。
つまり、ありとあらゆる圧力が“自分”を揺るがすものとしてマイナスに捉えられてしまうということ。いわば“保身(心)”の言動や思考が蓄積され続けている。
自分も、社会に出た時、その圧力の高さと、これまで積み上げてきたものすべてが通用しないことに恐れ、知らないことばかりの世の中で、「どう生きていけばいいか??」と思い悩むこともありました。そのあまり、「通用する!」と思いこんでまで、何としても自らの“拠り所”を守ろうとしたこともたくさんありました。
その出どころは、一体何なのか?
それは、圧倒的に「自分で何かを作り出したこと」が無く、真に“仲間”と呼べる人たちと、なにか達成したいことに向かって全力で向かったことがないから。生まれた時からこれまで、遊びも勉強も人間関係も、ありとあらゆることが個人化しており、みんなと何かを生み出した経験が圧倒的に無いからこそ。
今の若者は、それに気づいていません。そして、自分で自分の首を絞めていることにも気づいていない。それに、誰かが悪いわけではないんです。
自分自身も、今こうして、若者の意識を構造的にとらえようとしたことで、ようやく気付けたし、なにより、「そういう構造になっている」と分かったことがものすごく大きいと感じています。
今まで生きてきた、捉えてきた世界が狭かったこと、そしてそれが、誰かのせいではないことを知り、もっと広い世界に目を向けることが、“しんどさ“から抜け出す道なんだろうと、個人的には思っています。
参考文献:映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形 (光文社新書) 稲田豊史著
投稿者 y-takumi : 2022年12月17日 TweetList
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