| メイン |

2021年07月01日

子どもが壁を乗り越える力を発揮するために親はどうあればいいのか

分かりたい・分かろうとする姿勢が大事なんですね。

 にほんブログ村 子育てブログへ

https://www.sakaiku.jp/series/ikeda_column/2017/012824.html#

より引用します。

 

■母は叱りはしたが、わが子を責めなかった

子どもがサッカーをしている中で壁にぶつかったり、悩んだりしているとき、親にできることは何なのか?

そんなことを考えたことがあるかもしれません。今回は、子どもが自分の力を信じ、壁を乗り越えるための親の在り方について書いていきます。

そのために、少しうちの母親の話をさせてください。私は小学校時代、荒れていた時期があり、担任の先生にものすごく反発していました。言うことも全然聞かないし、授業中もうるさく、今思えば相当な問題児だったなと思います。

ただ、当時の私が荒れていたのは、そうやって荒れて悪ぶることが付き合っていたグループの中に居続けるために必要だと感じていたからでした。

学校の中は様々なグループに分かれていて、私がいたグループはやんちゃなグループ。ちょっと悪ぶることがカッコイイというか、そうすることで自分の存在をアピールするような、そういったところのあるグループでした。

当時「いじめ」が流行っていて実際に私自身いじめられた経験もあったことから、いじめられずにグループに居続けるために、そうやって先生に反発する形で悪ぶる必要があると感じていたのでした。

もちろん、それが正しかったとは思いません。ただ、子ども心にそうする必要性を感じていて、そうやって周りに合わせなければまたいじめられるのではないかと怖かったのです。

そうやって問題行動を繰り返していたあるとき、私の行動を見かねた学校側が、母親を校長室に呼び出しました。私の母親は働いていたので、夕方の18時頃にバイクで学校へやってきて、私、母親、担任、校長の4人で話し合いが行われました。

そのときの話し合いの内容がどうだったか、内容についてはあまり覚えていません。ただ、ハッキリと覚えていることが一つだけあります。それは、母親の態度です。

生まれて初めて親が校長室に呼ばれ、私は内心、親を失望させてしまうことに対して複雑な思いを抱いていました。親に迷惑をかけてしまうことに対しての罪悪感。失望させること、ガッカリされること。それがすごく嫌でした。

校長室に呼び出されるという場面は母親からしてみれば、「恥をかいた」だの何だの言える場面だったと思います。

しかし、母親は私を責められることはありませんでした。もちろん叱られはしたのですが、そこには「子どもを理解しようとする姿勢」がありました。

「なぜ、そんなことをしたのか? そもそも良い子であるこの子がそんなことをするのには、何か理由があったに違いない」そんな思いが伝わってきたのです。

当時、母親が私の気持ちや事情をそこまで分かっていたかどうかは微妙ですし、実際、分かっていなかったと思います。

しかし、間違いなく言えることは、「分かろうとしていた」ということ。当時の私が望んでいたことは「分かってくれる」ことではなく「分かろうとしてくれること」でした。

 

■言葉は何でもいい、「分かろうとする姿勢」は子どもに伝わる

その時の母の対応は、表面上の言葉がどうだとかそういうこと以前に、心の在り方として「分かろうとしてくれていること」が伝わってきて、叱られたことに対する反発が生まれることもなく、素直に受け入れることができました。

子どもには子どもの世界があり、特有の友達関係、特有の悩みがあります。それを親が100%理解できないことも、子どもは何となく分かっているのです。だから、実際に分かってもらえたのかどうかが重要なのではなく、分かろうとする意思や姿勢があるかどうかが大事で、その姿勢は必ず子どもには伝わります。

その「分かろうとする姿勢」の中に愛を感じ、「この人は何があっても自分の味方なんだ」と腹から理解するのです。

校長室に呼び出されるという状況の中でも自分を理解しようとしてくれたこと。自分の味方でいてくれたこと。それがきっかけで、私の問題行動は減っていき、それ以降親が学校に呼び出されることはなくなりました。

もっと言えば、余談にはなりますが、家にお金があまりなくて仕事をし続ける母親を見て、将来自分は自分の奥さんには楽をさせてあげたい、だから勉強も頑張ろうとその頃から思うようになりました。

その後、中学高校と進学して京都大学を目指すようになったわけですが、そのときの大きな動機の一つが「将来の奥さんに楽をさせてあげたい」という気持ちでした。親に対するポジティブな思いがどんどん拡大していったわけで、そういう意味で親との関係というのは本当にその後の人生においても大切なことなのです。

 

■サッカーの世界でも、子どもは子どもの世界で戦っている!そのとき親として大事な「在り方」とは

人間の行動には理由があり、一見「何で?」と思うような行動の中にも、そうする理由があるものです。

その理由を想像することもしないで頭ごなしに否定したり叱りつけたりすれば、「分かってもらえていない」「分かろうとしてもらえていない」と感じてしまい、その思いは「反発」につながることがあります。

例えば、サッカーの練習に対する意欲が落ちているとして、その理由を理解しようともせずに「何で練習しないんだ!」と頭ごなしに言われたのでは、練習する気はさらに薄れていきます。

サッカーをしているときも、「子ども特有の悩み」が必ず出てくるものです。

それはプレーの面でもそうかもしれないし、人間関係上の問題もあるかもしれない。子どもは子どもの世界で戦っていて、その戦いの中で様々な「壁」に直面することになります。そして、その壁と向き合わなければならないのは、親ではなく子ども自身です。

そのとき、親がしてあげられることは何なのか。

それは親が子どもを分かろうとする姿勢を持っていること、どんなことがあっても子どもの味方なのだというメッセージを発信することです。親が自分を理解してようとしたことや味方でいてくれるということは、心の中の絶対的な安心感につながり、余計な恐怖に振り回されなくなります。

自分は大丈夫なんだという感覚が生まれるようになり、その感覚が壁を乗り越える力につながっていくのです。

子どもは自分自身で壁を乗り越える力を持っています。大事なのは、その壁を乗り越える力を思う存分発揮させてあげることです。そうすると、自分には壁を乗り越える力があるのだと子ども自身が知り、実際に壁を乗り越えていきます。

そのために、ぜひ子どもの気持ちを理解しようと努め、何があっても子どもの味方なのだという愛のメッセージを伝えてあげて欲しいと思います。

 

 

投稿者 hoiku : 2021年07月01日 List   

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://web.kansya.jp.net/blog/2021/07/7972.html/trackback

コメントしてください