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2021年07月02日
体力は〝脳力〟。たくさん遊んで鍛えよう
最近、モノを決められない子供が増えていると言います。
からだを使って遊ぶことが少なくなり、快・不快という実感から行動することが減っています。
一方で、しつけや勉強など善悪・ねばならないなどの価値観ばかりが押し付けられ、いつも言われたまま、人の顔色を窺ってl行動する子供が増えているようです。
今回は、体を使って遊ぶことで体力=脳力がどう鍛えられるのか・・・
を見ていきましょう。
以下(https://www.bornelund.co.jp/asobi-no-mori/study/1769.html)より引用します。
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●最初の役目は、子どもをしばる「タガ」を外すことだった
子どものあそびに興味をもったきっかけは、美術短大生時代に子どもの造形教室を開いていて出会った子どもたちの様子と、その後に自閉症児と関わったことです。ことに、会話ができない自閉症の彼とは、一緒に遊ぼうと誘っても嫌がるばかりで、逆にどんどん関係が悪化し苦労しました。
でも、匂いにこだわりがあり、匂いの素を探すのが彼にとってのあそびなんだと気づき、「やりたいようにさせよう」と考え方を変え、僕自身も彼のあそびを共有するようにしたことで一気に活路が開けたんです。その子の持つあそびの世界の奥深さを知った経験でした
。
そして、「あそびのことをもっと知りたい」と思いながら卒業後の進路を模索していたとき、偶然出会ったのが冒険遊び場でした。短大卒業から一年後の1980年、前年に東京の世田谷区に新設された羽根木プレーパーク(*1)でプレーリーダーの専従ボランティアとして採用されたのです。
プレーパークでの毎日は発見の連続でした。たとえば、プレーパークはできたばかりで最初は何もなく、子どもたちのあそびもおとなし目でした。スコップやつるはしが目立つところに置いてあっても、子どもはそれを使おうともしないし、のこぎりやナイフが自由に使えるのに、それにも積極的に手を出さない。僕が子どもだったときには大好きだったそうしたあそびを、この子たちは何でやりたがらないのだろうと不思議でした。
でも、僕がひとつ穴をつくってからは子どもたちも掘り出したし、大人の僕が率先して泥んこになったら、泥遊びもやるようになった。実は「公園に穴を掘ってはいけない」というルールがあったり、「汚したら叱られる」という思いが子どもたちをしばっていたことに気づいたのです。また、僕が工作をはじめたり、あそび道具をつくったりしたら、子どもたちの方から寄ってきました。子どもが絡みやすいこちらの動きが必要だったんですね。「タガ」にはめられていただけで、「やってみたい」という気持ちはあったんです。34年前、プレーリーダーになりたての僕の大きな役目は、子どもから「タガ」を外すことでした。
現在、プレーパークは全国300カ所以上に増えています。こんなふうに広がったのは個人の主体性を保障し、「一人ひとりが主役」というあそび場だからだと思います。プレーパークのモットーは「自分の責任で自由に遊ぶ」。あそびのルールだって子どもたちが決めていきます。あそびは本来、やりたいという気持ちからはじまり、自分で生み出し、つくり上げるもの。だから面白いのです。
羽根木プレーパークには幅広い年代の人たちが集まります。子どもはもちろん、昔、羽根木で遊んだ大学生もいます。大人は子育て世代が中心ですが、子育てを終えた年配も多く、若い親が子育て相談をする様子も見られます。プレーパークは地域の人にとって単なるあそび場というより、子どもを中心としたコミュニティであり、貴重な情報交換の場でもあるのでしょう。
●自然のなかでよく遊ぶと、体もよく動くようになる
今、子どもの体力低下が問題になっていますが、小さい頃から体を使ってしっかり遊びこんでいる子どもの体力は大したもんですよ。
一例を紹介しましょう。一昨年、東日本大震災で被災した宮城県気仙沼市に「あそびーばー」(*2)をつくったのですが、開設当初、気仙沼の子どもたちが遊ぶ様子をみて、「あれ、世田谷のプレーパークにいる子の体の方がよく動くぞ」って不思議に思いました。
気仙沼といえば、世田谷に比べて自然豊かな環境です。「あそびーばー」も市内の畑や丘陵地、竹林といった自然環境をベースに、ターザンロープや滑り台などを設えたあそび場でした。でも、不整地を走る子どもたちの足取りは危なっかしく、バランスが悪いのか上半身も左右に大きく揺れていて、ケガの危険性すら感じました。世田谷の子の動きとは明らかに違っていたのです。
地元の大人に、「あそびーばーができなかったら、この子たちは一生、こんな環境で遊ばなかったかもしれない」と言われたので、よく聞いたら、あそびの中心はテレビゲーム。せっかくの環境をいかしていなかったんです。こういう状況は気仙沼だけでなく、今は全国各地で見られます。「自然は危険だから子どもだけでは遊んではいけない」と、学校で教えられる地域もあります。
たしかに、自然のなかには危険もありますが、子どもにとってはケガも大切な経験です。ヨチヨチ歩きの子が転びながら上手に歩けるようになるように、子どもは遊びながら自分の体力や能力の限界に挑戦し、痛い思いをすることで安全な転び方や受け身など生きる糧を覚えていきます。自分の限界を知ることで、「これ以上はやばい」という危険察知能力も身につくし、同時に危険に対応できる体もできていきます。だから、プレーパークで遊ぶ世田谷の子のほうが体もよく動くし、頑丈だったんですね。
幼児期は人間の一生のなかで〝自然性〟がもっとも高い時期です。身体感覚も進化の初期にある。そう、猿みたいなもの。猿の時代にさまざまな経験をじっくりと重ねることで人間へと進化していくわけですが、現代社会ではしつけや教育によって一日でも早く猿を人間にしようとしています。でも僕は、成熟した猿の時代を過ごさないと人間にはなれないと思います。猿の時代でないとできない体験がとてもたくさんあります。大人の規範に縛ることなく、この時代を大切にしたいものです。
それに、子どもの体は少しのきっかけで変わります。気仙沼の子たちも今はもう「野猿」になりました。あそびーばーで体を使って遊ぶことに目覚めたから、体がすごく動くようになったんです。もうケガの心配もしていません。
●快・不快を感知する“脳力”はあそびで育む
僕は体力=〝脳力〟だと思っています。ただし、ここでいう体力とは、学校で測るものとはわけが違います。まさに、文字通りの「体の力」です。人間を支えるのは、免疫力や自律神経、代謝機能といった基礎的な「体の力」ですが、これは脳のなかでも小脳(*3)と大脳辺縁系(*4)が司っています。これらを十分に発達させることが健全な体づくりには大切で、そのためには脳によい刺激を与えることが必要です。たとえば無意識に全身を使うあそびは多くの筋肉を動かすことで脳に刺激を与え、活性化させます。
脳科学の最近の研究によって、大人の脳の8〜9割という脳細胞の基本的な発達は幼児期に完了することがわかっています。僕が子どもに外遊びをすすめるのは、屋外の環境は脳への働きかけ方が格段に強いからです。歩いたり走ったりはもちろん、天候や気温の変化も大きいから体温の調節機能なども高めます。僕は、子どもは外にいるだけでも育つと思っているくらいです。
小さいうちに体を動かして脳の神経細胞を十分に分化させ、「体の力」をがっちりさせてあげたいものです。がっちりした土台をつくっておくことは、もう少し成長してからの走ったり跳んだり投げたりといった学校的な「体力」の基礎にもなります。
大脳辺縁系は心のありかとされています。「情動」、いわゆる快・不快の発祥の地です。快は興味や意欲につながり、生きるエネルギーそのものになるし、空腹や病気のときは不快になる。このように、快か不快かはその人の生命の存続に関わる重要な感覚なんですね。
これに対し、善悪や価値の判断は前頭前野(*5)の役目になります。幼い頃から「いいか悪いか」で物事を判断させるような状況におくと前頭前野ばかりが発達し、情動を抑え込み快・不快を感知する力が鈍ります。他人の評価ばかり気にして、自分自身を見失ってしまうことにもなりかねません。
また、以前はモノを決める能力は前頭前野の仕事という考えが通説でしたが、最近の実験によって、大脳辺縁系から前頭前野への信号を送る回路をブロックすると、人はモノを決められなくなることがわかりました。
考えてみれば当たり前です。朝の天気予報で午後から雨が降ると聞き、傘を持って出かけるのは雨に濡れるのが不快だからでしょう。つまり、人がモノを判断する決定打は快か不快かの違いです。最近、モノを決められない子が増えていると言いますが、幼い頃から情動を抑え込まれることで快・不快を感知できない子が増えているからだと僕は思っています。
あそびは「よいことだからやる」のでなく、「楽しい」、つまり、「快だからやりたい」と思う活動です。心が開けば、体も動き出します。だから、子どもの育ちにとってあそびは不可欠なんです。脳も体も十分に育てるために、外遊びの力を大いに活用してほしいですね。
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投稿者 hoiku : 2021年07月02日 TweetList
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