野外保育の可能性17 ~解説、まとめ、その2 |
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2018年05月11日
母親の不安を転写されると、子どもは自ら進んで行動しなくなる、己の頭で考えなくなる。
学校や親の勉強圧力で疲弊し、テストや宿題で「考えない」ことを教え込まれてきた子どもたち。
これまで子供たちの活力低下を学校制度や、それに飲み込まれた親の強制圧力の視点から見てきました。ところがそれ以前の、母親と子供の関係でも大きな問題があることがわかってきています。
今回は母親の不安が子どもにどういう影響を与えるか、を見てみましょう。
以下(http://president.jp/articles/-/22134)より引用します。
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最近、私の元に寄せられた質問にこういうものがあった。
「幼児に何を与えれば、または何をすれば頭の良い子に育ちますか?」
その真意を聞いたところ「頭の良い子がほしい」のだそうだ。不安要素満載の未来予想図に負けない手段の選択肢として、これが選ばれたのであろう。
1歳児を持つその若いママは「早期教育」のノウハウが欲しかったのだと思うが、私の「ママがニコニコ笑いながら、赤ちゃんといっぱいお話ししてあげるのが一番」という答えには不満そうにしていた。
(余談だが、超優秀大学へ通う子を持つ母たちへの取材をしたときのこと、わが子が幼児の時にはオノマトペを意識した語りかけをしていたと答えたケースが多かった。例:「雨がしとしと降っているね」)
「心配」で心を満タンにする親
また、別のママは深刻そうな顔で私にこう訴えてきた。
「ウチの子、ネット情報で見ても、他の子たちとは違うみたいなんです。夜、なかなか寝ないし、我が強いというのか親が食べさせようとしても、頑として自分で食べると言ってきかないんです。これは発達障害だと思うのですが、そうですよね? だとすれば、どういう療育をすれば良いですか?」
これは1歳にもならない赤ちゃんへの心配である。ひとつの不安要素を見つけると、それに関する情報を検索しまくり、勝手に妄想を膨らませ、問題にもなっていない内から「心配」で心を満タンにしている。こうした傾向は、何も母親に限らず、一部の父親にも当てはまる。
子育てに失敗したら、親の価値はゼロと思い込む
さらに、ある母は私に泣きながら、こう言ってきた。
「小学校受験をするために努力を重ねてきたが、ご近所さんに児童相談所に通報されてしまった」と。そして、最後にこう言った。「それでも、私はこの子の将来のために、金メダル(=名門小学校合格のこと)がほしいんです!」
2月ごろ私の元に来るメールでは、毎年こういうものが多い。
「中学受験に失敗しました。もう、この子の人生は詰んだも同然です」
中学受験したすべての学校に不合格だったわけではなく、ちゃんと合格している学校もあるのに母の心は敗北感で埋め尽くされていたのだ。
これらはすべて「失敗は許されない」という強迫観念に由来するものであろう。ひとり、ふたりしかいない子育てに失敗でもしたら、自らの母親としての価値がなくなるかのように捉える、追い詰められている母は多いのだ。
こぼす前に「こぼすんじゃないよ」と子に怒声を浴びせる親
こういう不安要素の塊のような母たちにじっくりと話を聞いてみると、見えてくるものがある。彼女たちもまた「異様に失敗を恐れる」または「失敗そのものを許さない」という親の元で成長しているケースが多いのだ。
たとえば、幼き日、何かの液体をこぼすまいと容器を持っているとしよう。すると、頭上から親の「こぼすんじゃないよ!」との怒声が飛んでくる。まだ、こぼす前にもかかわらず。
このように、失敗する前から、まるで失敗したかのような対応をされて育っている。
そこで本当にこぼそうものなら、親からのさらなる叱責と失望と否定の態度と言葉を同時に浴びせられ、こぼすことなく着地に成功しても、賞賛の言葉はかけられない。
失敗を恐れる親の子は「己の頭で考え行動しない」
「失敗すれば子どものせい、成功したら親のおかげ」という価値観が働く家庭で育つと
どうなるかと言えば、こうなる。
<自らが進んで行動することを一切しなくなる>
<己の頭で考えなくなる>
○○しなくなるというよりも、できなくなるのだ。失敗すると怒られる→何もしなければ怒られない→何もしない→自分で考えることを拒否という思考にはまってしまいやすい。
自分が本当は何をしたいのかという意志を持つ訓練をしないままに長じると、当然ながら“自分目盛り”は持てない。全ての出来事が他人の尺度、他人の目にどう映るのかということが自分の気持ちよりも優先されるのだ。
それは自身の子育てにも色濃く反映されていくだろう。そんな親は、目の前にいるわが子を見ているようで、見ていない。
誰かからのそしりを免れるため、あるいは誰かからの賞賛を得るために、そのあるかどうかも怪しい「枠」にわが子を無理やりにも入れ込もうと躍起になるのだ。
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やや極端な例もありますが、失敗を恐れ、失敗する前から大声で注意してしまう(これ子どもにとっては怒声ですよね)ことってよくある気がします。
これは母親自身も同じように育てられ、学校や親から失敗しないことが何より大事、という意識を刷り込まれてきたからだと思います。よくいわれる虐待の連鎖と同じで、不安の連鎖が子供活力を削ぎ思考停止に追い込んでいるのです。
ではどうすればいいのか?
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しかし、これをわが子に連鎖させてはならない。
ここらあたりで「不安」という名の「呪縛」から開放されるべく、かじを切ることを提案したい。時代背景、世の中の空気、いろいろなことが親を不安にさせるので、親がより安全だと思う道にわが子をいざなうことはしかたないことではある。だが、自分が「不安で不安でしかたがない」という自己認識がある親は、他人の尺度ではなく、徐々に“自分目盛り”を持てるように頑張ろう。
「頭ごなしのNG」はもったいない子育て
その1:「3日坊主は経験豊富」という意識で子育てをする
子どもは本来、飽きっぽい。いろいろな物に興味を示し、それにすぐ飽きるのだが、実はこれは成長には欠かせない大切なことだ。さまざまなことを実際に試してみなければ自分に合うかどうかはわからないからだ。
わが子が興味を持ったものを経験もさせずに、頭ごなしにNGを突きつけることはもったいない子育てになる。たとえ失敗したとしても、やらなければ経験ゼロ。やれば人生の経験値が増えるのである。
その2:「そっか、わかるよ」を口に出す
人は共感されて、認められて元気になる。わが子が何かにつまずいているときには叱責でもなく、ため息でもなく、詰問でもなく、この言葉を口にするといい。そして何より、自分が不安に陥っているときにこそ、この言葉を自分自身に言って聞かせよう。あなたに足りなかったのは、たぶんこの言葉だっただろうから。
その3:来てもいない「未来」を必要以上に思い煩わない
多くの不安は「まだ見ぬ未来」に関するものである。こうなったらどうしよう、こうなるのではないか? という悪い方向に思考が向きがちだ。子育ては「這えば立て、立てば歩め、の親心」になりがちではあるが、時には急かないことも必要なのだ。不安になったなら「みんな、どうにかなっている。ゆえにどうにかなる」と意識を変えることも大切なことである。
その4:他人の評価に心を乗っ取られない
人生は自分が自分にOKを出せるならば、それで十分幸せなのだ。「他人からどう思われるだろう?」とどうしようもなく気になったなら、それが生きるにあたってどれくらい重要なことなのかに思いをはせよう。他人はあなたとあなたの子どもの一生に渡ってまでの興味は持っていないのだから。
その5:何もしないことを許す
人は時間を浪費せず「何かをしなさい」と言われて育ってきている。また、問題があるのなら、問題解決をするべきだと教わっている。しかし、そういう時こそあえて何もしない、考えないという時間を持つと、また新たなる気付きの瞬間がやってくるものだ。
「わが子の失敗を異様に恐れる親」がなぜそうなるか。実は筆者の子育て(現在は2人とも社会人)もそうだったが、結局、自分自身をあまり信用できていないのだ。一朝一夕にはいかない作業ではあるが、自分とわが子の未来を「信じる」という訓練を積めたならば、不安におののいていた日々は遠い過去になること請け合いだ。
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明らかな虐待と違い、母親自身も気付かないうちにしてしまっている不安の転写。
その現実に母親自身が気付くことはもちろん大切ですが、核家族という枠の中で、一人の力で乗り越えるのははなかなか難しい問題です。
共同保育や、学校以外の学びの場など、核家族や学校制度の枠を越えた場を本気で考え、作っていくことが今必要なのだと思います。
投稿者 hoiku : 2018年05月11日 TweetList
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