母親の不安を転写されると、子どもは自ら進んで行動しなくなる、己の頭で考えなくなる。 |
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2018年05月17日
野外保育の可能性18 ~解説、まとめ、その3
まとめの最後です。
6.自然と向き合うことは自分と向き合うこと
子どもに焦点をあてて考えてみましょう。ゲームやおもちゃはとても楽しいものです。夢中になって遊ぶ、それも悪いことではありません。しかし、ゲームやおもちゃは全てやり方が決まっています。要は、プログラミングがなされている、ということなのです。
一方、自然はどうでしょうか?何が起きるかわかりません。枝にぶら下がればそれが折れて尻もちをつくかもしれません。枝を手にしたら、とげがあってけがをするかもしれません。落ち葉をかきわけていったら、たくさんのドングリを発見するかもしれません。
自然は何が起きるかわからない、未知のものです。だから子どもは自分で工夫をします。自分で楽しみ方を見つけます。楽しかったらそれを続けるし、さらに工夫します。つまらなくなったら、他の方法を見つけ出します。
遊び方は100人いたら100のやりかたがあるのです。プログラミングがされていないから、怪我もするし発見もする。大人は先回りして、危ないから、とか汚れるから、と制止しがちですが、あなたはどうでしたか?自分が小さかったときのことを思い出してください。夢中で遊んだ経験がたくさんあることでしょう。
自然は最高の遊び相手です。同じ葉っぱは二枚とないし、景色だって今日と明日では違ってきます。なにより、戸外で体いっぱい動かすことは、心にも良いことなのです。
7.森のようちえん 大人も学ぶ場です。
前述のように、今は子供が自然と接するには、わざわざアクションを起こさなければならないのも事実です。週末に車を運転してわざわざ遠くに行かなければ広い公園が無い、という人もいるでしょう。でもそれでも「わざわざ」行動を起こしてほしいのです。
理由は簡単。子どものためです。
同時に親である私たちのためでもあるのです。その方法として、森のようちえんに参加してみましょう。
運営主体によって様々でしょうが、森のようちえんの中には、体験日を設けている所、月に一回誰でも参加できる日を設けているところなどもあります。毎日通うのは無理でも、月に一回などであれば、敷居も低いのではないでしょうか?
親と子だけで自然の中で遊ぶのも良いことです。でもついついやってしまいがちなのは、
あれダメ、これダメ、
と言ってしまう事。
頭では分かっていても、つい口からでてしまうんですよね。仕方ないです、親である以上、心配は付きまといます。
でも、本当に本当に危ないとき以外は見守ってあげることも子どもの為です。どうぞたくさん汚してください、砂まみれ、泥まみれになってください、とこの日ばかりは親も変わってください。意外とあれこれ言わない方が気が楽だ、ということに気が付くかもしれません。しかし、目を離すことは無いように。しっかり見守ることは忘れないでください。
まずは自分が行ける、行ってみたい森のようちえんを探してみてください。そこからアクションは始まります。
8.最後に 森を豊かにする教育を
北欧の人気が高まっている昨今、そのほとんどはデザインの良い食器などの目に見える物であると感じていました。
しかし、そうではなかったのです。この森のようちえんも北欧発祥。それが日本でも少しずつ浸透しているということは、ここから多くのものが学べると分かったから、そしてそれが日本にも合っているから、ということだと思います。おそらく、今後さらにこの森のようちえんは増えていくのではないでしょうか。
早期教育より自然教育。木が育ち森を作っていくように、自然活動した子どもたちが増えていけば、将来の「日本=森」も豊かになっていくのではないでしょうか。
いかがでしたか?
屋外保育について、いろいろと紹介してきました。
本当は、屋外だから絶対にいい、というわけではないと思います。自主保育的な流れが、施設を持たずに屋外保育という課題を与えられて活性化しているとも言えるように思います。加えて、やはり人間の初限的な能力・感性が屋外だから開くというところがあると思います。子供の頃は、とにかく、屋外で遊ぶことが必要であることが、潜在思念からも感知出来ますし、やっていて正しいと思えるところなのでしょう。
この流れは、これからも拡大していくと確信します。
投稿者 hoiku : 2018年05月17日 TweetList
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