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2017年12月29日

「悪いことをしたから叱る」は間違い。本当は「叱るから悪いことをする」ようになる。

子育てをしていると思わず叱りつけてしまうことがあります。
箱から出てくるティッシュがおもしろくて、ティッシュの山を築いたり、自分で牛乳を注ごうとしてテーブルにぶちまけたり・・・

子供はただ興味があるだけ、自分でやってみたいという思いがあるだけで、決して悪いことをしているわけではありません。でも思わず叱ってしまい、あとで「これでよかったんだろうか?」と自問することも少なくありません。

今回はこの「叱る」ことについて考えてみます。

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以下(http://homeshoolclub.blogspot.jp/2013/01/blog-post_28.html)より引用します。—————————————–
叱ると言うことについて多くの人たちが理解していることと私の理解は違います。

叱られた子どもは親に論理的に反論はできません。知性も経験も反論するには全く不足しているのです。でも反論できないから間違えていると言い切れるでしょうか。

例えばあなたが外国に一人で行き、その国の言葉がまともに話せないとき、誰かに叱られても理解できないし、どう表現していいかわからずどうしても口ごもってしまいます、そこをさらに畳み掛けられたら黙るしかありません。
あなたの子どもはそれと同じ状態なのです。叱らずに聞いてあげて欲しいのです。粘り強く、落ち着いて、親身になって。そうすればその子もほかの人たちに同じようにするでしょう。子どもを叱ればその子はほかの子のことも叱るでしょう。

子どもが大人になって叱られたとき、理不尽にも怒鳴られたときどうなるでしょうと書きましたが、私はだからこそ叱ってはいけないと思うのです。

何人かの人を雇用していたことがあります。そのとき、私が怒ったとき、おびえてしまって黙り込んでしまう人と、怒鳴り返す人と、上手に対応できる人がいました。どうしてかと思ったので、親との関係をそれぞれ聞きました。そのときわかったのはおびえてしまう人と怒鳴り返す人は親からよく叱りつけられていたことです。
うまく対応し私を納得させた人は親からほとんど叱られたことはなかったと言いました。だから叱る人を見ても何とも思わず、なぜ叱るのかと不思議に思うそうです。
それで私は自分の子どもにも叱るのをやめたのです。

また叱られても、へこんでも、それを忘れるくらいに育って欲しいとも書きました。
私は子どもは叱られたことが理解できないから忘れると思います。でも意味もわからずに叱られた嫌な思いだけは心の奥底に沈殿していくと思うのです。それが大人になって誰かに叱られたとき泥に浮かぶ泡のように浮かび上がってくることがあるのです。そのとき感情を制御できずに黙り込んだり、夢中になって反論したり、暴力を振るったりするのだと思うのですよ。

一つとても大事なことがあります。
叱られ続けた子どもは『嘘をつくようになります』。なぜ叱られているか子どもは本当には理解できていません。叱ると言うことは親(大人)の論理なのです。大人になれば理解できることも子どもには理解できないことがいっぱいあります。子どもはそんなとき頭の上を通り過ぎるのを待つしかないのです。次に同じ状況になると親の見ていないところでやります。それで後で親からとがめられると叱られたくないために嘘をつくことになります。

嘘つきは泥棒の始まりと言いますね。私も親にひどく叱られたので、嘘をつくようになりました。そうなると、親と口をきくことができなくなり、何を聞かれても「べつに」と無視するようになりました。さらに恥ずかしい話ですが親の財布から金を抜き取ることを覚えました。そのままでは犯罪者になっていたかもしれません。あるとき嘘をつき続けることができるほど頭が良くない自分に気づいて嘘をつくことをやめました。なぜか、それきり人の金には興味が無くなりました。

子どもを叱ると、どうしても連鎖をします。叱られた子どもの態度でまた叱ってしまうのです。それが又と繰り返して、エスカレートすると最後に虐待が待っています。
本当に些細な最初で自分を押しとどめないと、どこで止めるかとても難しいのです。

新聞に『叱るのをやめられない母』の投稿があり、興味深いので抜き書きします。
3歳の娘のやることが気に入らなくて、いちいち叱っていました。あるとき食卓の塩を皿に山盛りにしてスプーンですくって食べようとしている娘を見て「何をしているの、止めなさい!」と怒鳴り取り上げようとしました。ところが娘は泣きわめいて止めようとしません。困っていたら祖母が来て「食べさせて上げなさい」と言い、孫に「少しだけ食べて、おいしかったらもっと食べていいよ」と言いました。娘は喜んで口に入れ、すぐペッペッと吐き出して泣きそうになりました。周りは大笑いになりましたが、娘は二度と塩を口に入れようとしなくなりました。
「よほど危険でなければやらせてあげなさい。危険であれば目の届かないところに置きなさい。子どもを叱ると言うことは自分の配慮が足りないのだよ」と祖母は静かに言いました。
霜田静志の『叱らぬ教育の実践』と言う本に面白い話が書かれています。
どうにも手に負えない悪さをするチムという15歳の子がいて、ものは壊す、悪態はつく、人のものは盗む、誰が叱っても全くなおらなくて、ついに盗みで捕まり収容所の所長に引き渡されたそうです。所長はチムにこういったそうです。「明日からうちに来てください」と1ポンドを渡し、「明日、これで切符を買って、1時にエバーショット駅に着く汽車に乗って一人で来てください。迎えに行きますから」と言ったそうです。みんなが驚いてその金を持ってチムは逃げるに違いないと思ったそうです。でもチムはちゃんとエバーショット駅に来て所長に釣りを返して一緒に収容所に入ったそうです。

他の人がその所長に「あなただからできる。私が金を渡して『君を信用するから、明日くるように』と言ってもこないだろう」と言うと、所長は「私は信用するなんて言っていません」と言いました。つまり信用すると言う言葉自体がその子を信用していないことを表しているのです。チムは金が欲しかったのではなかったのです。欲しかったのは自分を信頼してくれる人で、その人を裏切りたくなかったのです。チムはやがてそこを出て立派な社会人として人生を送りました。
また院長は自分の財布から金を盗む子どもがいたので、その子に「そんなに金が欲しかったんだ。後何ポンドあればいいのか」と聞き、金を渡そうとしたそうです。その子はいらないと答えて、二度と盗もうとしなくなったそうです。

アリスミラーはヒットラーのことを調べて、彼が父親からひどく叱られていたのでとても権威主義的になったと言うことと、その当時のドイツ人のほとんどは親から厳しくしつけられていたので、ヒットラーを見て無条件に父親と重ねて見てしまい、思考停止してしまったと分析しています。彼女は子どもを叱るのが当然の文化がヨーローッパに二度の戦禍を招いてしまったのだと主張しています。

私は息子を叱ったことはありません。2歳の頃タイムアウトを2回やりましたが、それ以降8歳になるまで一度もやったことはありません。それでも、何の問題もなく成長しています。人からは息子の目が輝いていると褒めていただくことが多いのも叱られていないからと自己満足に浸っています。

私は一人でも多くの子どもを「教育や、叱る」と言う強制から解放したいのです。それが私に残された最後の仕事だと思っています。
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「悪いことをしたから叱る」と考えるのが普通ですが、じつは「叱るから悪いことをする」というのが真実なのかもしれません。とくに子供のころの叱られ体験は、その後大人になってからの対人関係にも大きな影響を残すようです。

幼児のときは母親から、学校に入ってからは先生から叱られ、相手の態度を見て考え行動するようになってしまう。しつけ、教育といいながら自分の頭で考え判断する力を押さえ込み、意欲や追求心を封鎖してしまっているのではないでしょうか。

投稿者 hoiku : 2017年12月29日 List   

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